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2008年11月29日 「落語、30年ぶり。」 あるきっかけで落語を聞きに行く。 中野にある「なかの演芸小ホール」という場所で、春雨や雷太という前座さんと、桂夏丸という二つ目さんが出演する落語会だ。お二人の他に色物として女の子二人の曲芸も入った。 落語は30年以上前によく聞いていた時期があった。当時は志ん朝、談志、円楽、小三治といったあたりが若手だった時代だ。テレビからカセットテープに録音して繰り返し聞いて笑った。 それから30年のブランク。 最近落語を聞き始めた若い友人が「この前寄席で、文楽の『目黒のさんま』を聞きましたよ」と言う。 「え?文楽って桂文楽?今、文楽っているの?」 「いますよ。知らないんですか」 「誰が文楽を襲名したの?」 「いや、文楽の前の名前は知らないんですけど」 いったい誰が文楽になったのだろう。すごく気になったのでネットで調べてみた。小益が文楽になったらしい。あのペヤングソース焼きそばの小益が・・・。 そのくらい落語界のことは知らずに過ごしてきた。 さて前座さんと二つ目さんの落語、これがなかなか面白かった。さすがプロ、というか、面白い若い人もいれば、あまり面白くない真打ちもいるということかもしれない。やはり落語は才能というか、もって生まれた個性かなと思う。 以前は新作否定派だったのだが、この日二つ目さんが演じた「子ほめ」は新作仕立てになっていて「ねえ、君、今度僕のうちに遊びに来たまえよ。女房も会いたがってるから」「えっ!課長、いいんですか!ぜひ御伺いいたします」みたいな新作は、新作とは言っても雰囲気が昭和30〜40年代から止まってるなあ、っていう感じで、これはこれで現在としていいんではないか、と思った。 以前に録音した落語のカセットを今せっせとCD化している。 不思議なことに、30年も聞かなかった落語をよく覚えている。「次にこう言うぞ」とわかるのだ。 若いうちに覚えたことは忘れない。 話は変わるが、最近エレキギターの練習をしている。笑。 ベンチャーズである。加山雄三である。 今は「十番街の殺人」を練習している。私にしてみればそうとう難易度の高い曲だ。なんとかようやく通して弾けるようになった。エレキのカラオケDVDなるものがあって、一人でデケデケ弾いている。 エレキを持ってるからには「十番街の殺人」と「ブラック・サンド・ビーチ」くらいは弾きたい。 しかしなんとか通して弾けるようになっても、なんと次の日には忘れてしまう。笑。 ところがである。何十年も昔に弾けた曲は今でも弾けるのだ。指が覚えているのだ。 やはり何でも若いうちに覚えておくべきだ。 何の話だか収拾がつかなくなってしまったが、そろそろお時間のようですので・・。 |
2008年10月03日 「虫が騒ぐ夜。秋だからか?」 |
プラモデルを作るのが好きだったのだが、寄る年波には勝てず老眼でこの趣味もままならなくなって久しい。 何年も以前は、古い車や建物の模型を作るのが面白くて、わざと汚したり、錆(さび)させたりして楽しんでいた。 今でもこの趣味の虫が騒いで何かやってみたくなる時がある。 居間にある照明のスイッチを錆させることにした。 家族が寝静まった夜中にゴソゴソ塗料を引っぱり出して錆を塗装で表現する。 面白い!なかなか上手いじゃないか! 次の日の朝。 奥さん「一晩でこんなに錆が・・・雨が続いて湿気が高かったからなあ」 娘「うわっ!何だこれ!漏電だよ漏電!」 あはは、だまされてやんの! うちの家族はバカだ。いくら湿気が高くたって漏電していたとしたって、一晩でプラスチックが錆るわけがない。 三日経った。ちょっと心配になった。本当に漏電と思われて電気屋とか呼ばれたら困る。電気屋に何バカなことやってんですか!などと言われたくない。 「いや、実はね、あの錆、わしが描いたんだよね」 「バカじゃないの!信じられない!」 「元に戻してよ!」 もちろん元に戻すつもりはない。 |
2008年07月26日 「NHK、アナログ停波に向け「アナログ」ロゴ表示」 というニュース。 一応デジタルには対応済みだが、試しにアナログ経由でNHKを見てみる。 あ、ほんとだ! しかし、こ、これって・・・・し、失礼じゃないですか!! アナログ放送見てる人に。 でも子供の頃、画面の隅に「カラー」って出た時代もあったなあ・・・。 |
2008年04月25日 「第2回京南大学OB会」 去年10月の第1回に続き、19日は第2回目の京南大学OB会。 もう一週間が経ってしまった。 前回は若大将シリーズのロケ地にも使われた「浅草今半別館」だったが、今回はその名もズバリ「麻布・田能久」。幹事であるメタBOの若大将さんが探してきたのだが、へえ、そんな店があるとは知らなかった。 元、民家であった木造建物を改造して店舗にしてある。なかなか面白い趣向で隠れ家的だ。 もちろんすき焼き。これも美味しいのだが、メタBOの若大将さんが愛知から持参した八丁味噌で特別に作ってもらったらしい赤出しがものすごく美味かった。 メタBOさんは「田能久」のマッチ、箸袋、コースターの田能久布教三点セットに加え、田能久エコバッグまで作ってきてくれて参加者に配られた。 右の写真を見てほしい。病気の人たちの向こうに「田能久」ののれんがかかっている。これもメタBOさんが特注して前回のOB会の時にもあったのだが、その時にゲストとしてお招きしたK原さんが「K山さんに何とかサイン頼んでみますよ」と預かってくれていた。 それが先日、本当にサインが入って戻ってきたものだ!「K山雄三」と書いてあるのかと思ったら、「田沼雄一」と書いてあるのが写真でも見えると思う。 なるほど!「田能久のれん」にふさわしくてこれは素晴らしい! K原さん、お世話様でした。 K山先輩!ありがとうございます!! こんな奴らがいることを知っていただけただけで感無量です!! |
2008年02月04日 「映画館貸し切り」 |
自主映画集団「HIT AND RUN」が立川にあるシネコンを借り切っての上映会に参加。 へえ〜。映画館が貸し切りができるとは知らなかった! 一般のお客さんを入れる通常の上映が終わってからの貸し切りなので、夜9時上映開始。映画館のスクリーンに映る自分!恥ずかしいけどこれはいい!冥土の土産になるな! 中央写真は前座に上映された私の撮った作品。映画みたいに見えるよ。不思議と。 貸し切り料金が私は安いと思う。2万円。これはやりようによっては使えるな! 加藤隊長、お疲れさまでした。またやりたいですね。 |
2008年01月28日 「サンダーバード21号と24号に乗る」 能登半島の和倉温泉という所に行った。 行きに金沢から和倉温泉駅までサンダーバード21号に乗った。 帰りには和倉温泉駅から金沢までサンダーバード24号に乗った。 サンダーバードは現在ではJR西日本が運行している。 車掌さんはとても良い人で、快適な旅ができた。 |
2008年01月10日 「松下電器産業は社名を」 うーん、なんか寂しいぞ。パナソニックの冷蔵庫とか言われてもなあ。 じゃあ「ナショナル坊や」はどうなる?「ナショナルキッド」の運命は? それは今さら関係ないか・・・・ |
2007年12月24日 「クリスマスイブの夜に」 私の自主映画仲間にサバイバルゲームを趣味にしている連中がいる。 彼等の作る自主映画はいつも戦いをテーマにしたものだ。 そのメンバーの一人、I君が結婚をすることになった時、彼の仲間たちは一編の作品を作って新郎新婦にプレゼントした。 いつも荒々しい戦いの作品を撮っている彼等からは想像できないロマンチックな作品だ、そして新郎新婦自身の出演ならではの感動があると思う。 この作品は披露宴の時に会場で上映されたらしいが、会場でこの作品を見た出席者の方々の驚きが目にみえるようだ。 余談だがこの作品の撮影は冬に行われたものではない。暑いのにコートを着ての演技には参ったらしい。そしてクリスマスケーキ。これは季節外れの時期に、不二家に事情を話したら特別に注文を受けてくれたそうだ。不二家も粋なことをやるじゃないか! (下のはクリスマスイブ・スペシャルカラオケ) |
2007年12月12日 「リメイク」 私はくっだらない自主制作ムービーを作って、誰彼かまわず見せたがる、という症状の病気持ちである。「そんなこと、今さら告白しなくても知ってるよ」という方も多いだろう。 しかし、まあ、聞いてほしい。 先月のことだが、一通のメールをもらった。英語だ。読めないので翻訳サイトを使って日本語にしてみる。 「私はアメリカのヴァージニア州リッチモンドに住む学生です。日本の怪獣やウルトラマンやアニメが大好きさ。今回、荻窪東宝製作の「夜の若大将・奴にかまうな」を参考にしてショートムービーを作ったので見てほしいあるよ」 だいたいそんな内容だった。 何!ひょっとしてリメイク!? まずは荻窪東宝製作の「夜の若大将・奴にかまうな」(2002年製作)から見てほしい。 う〜ん、面白いのか? まあそれは置いといて、次にアメリカ版。 おお!りっぱなリメイクだよ、これは!! これはすごいことじゃないか? |
2007年10月21日 「京南大学OB会」 今日は楽しみにしていた我が「京南大学OB会」。 7名の卒業生が参加。会場は浅草のすき焼き屋「今半別館」だ。若大将シリーズで外観が「田能久」のロケ地として使われている。 12時少し前、会場に着く。幹事さんであるメタBOの若大将さんが「今半別館」の仲居さんに「京南大学OB会の者ですが」と告げる。今日は「京南大学OB会」なのだから当然だ。しかし私はひっくり返りそうになる。 座敷に案内される。さすがなかなかの格調だ。中庭がある。二階に田沼の部屋がないかと探したが見えなかった。 すき焼きにビールで再会を喜ぶ。主に同窓生、田沼の話題に花が咲いた。 写真は 田沼の店「田能久」の封筒とマッチ。この二種のマッチの一つはメタBOの若大将さんの手作りしたもの、そしてもう一つは私も手作りして持って行ったもの。申し合わせたわけではない。考えることが一緒なので笑った。それにしても何故客が店のマッチを用意するのかわからない。 「田能久」の暖簾と後ろに見えるのが京南の校旗。メタBOさんが特注したものだ。「東宝ツインタワー屋上にて。ここは「ブラボー!若大将」のロケ地。 |
2007年10月13日 「裸婦デッサン」 英会話、今更なあ・・・。茶道、華道、敷居が高いよねえ・・・。日本舞踊、とてもとても・・・。書道、うん、これはいいかも。でも大勢の中で習うカルチャースクールみたいな所はいやだ。できれば少人数、欲を言えば一対一。さらに欲を言えば先生は未亡人がいいかなあ・・・。 などと贅沢なことを考えていたのだが、昨日、急にデッサン会へ出席できることになった。 東京芸大の卒業生の方たちが中心になった集まり。私の地元にある公立の集会所を使って毎月行われているという会だ。知り合いが二人参加しているのでご一緒させてもらうことに。 あわてて近所の西友にスケッチブックと鉛筆を買いに行く。特にスケッチブックは「スケッチブックといえばこれでしょう」という超定番を買う。 会場へ着くとすでに始まっていて、和室の中央に裸になったモデルさんが座ったポーズをとっている。私も隅の方に座り早速スケッチブックを広げる。 私の絵を描く歴は、幼稚園のときのお絵描きに始まり、高校の授業で美術を選択したが、それ以来筆を折り(プッ)、以来、プラモデルに日の丸を描いたりする以外は筆を持ったことはない。芸大出身の方たちにまじって、そうとう無茶だ。 モデルさんは1ポーズ20分。だいたいの形を描くだけで時間になってしまう。5分くらいの休憩をはさんでまた違うポーズ。それを4回くらい描いた。 これは面白いかもしれない。しかし習い事とはちょっと違う。みんな勝手に描くだけだからだ。 よく「デッサン力」とか言うがよくわからない。なぜ裸婦なのか。それもよくわからない。まあ裸夫よりはいいが(プッ) |
2007年08月17日 「おもいこんでいたこと」 昨日は40.9度を記録した地方もあり、これは観測史上最高気温だそうだ。どうりで暑いわけだ。 スポーツなどで日本記録、世界記録などという記録がある。 日本記録は日本の中での最高記録。世界記録は世界で最高の記録だ。そんなことは私だって知っている。小学生の頃から知っていた。 「日本タイ記録」という記録もある。小学生の頃の私はこれを誤解していた。 まず世界の国々を抽選などの方法で、二つの国で組み合わせる。日本はタイと組み合わせられることになった。この二つの国の中で最高記録が出ると「日本タイ記録」だ。 同様に「中国・カナダ記録」もあるし「フランス・インド記録」もあるといった具合だ。 愚かだった。 「世界タイ記録」はどう理解していたのだろう・・・。 覚えていない。 |
2007年08月05日 「聖地巡礼」 森繁の社長シリーズ、植木等のクレージーシリーズ、怪獣もの、そして加山雄三の若大将シリーズなどといった1960年代の東宝作品が好きなのだが、これらの作品は製作されてから、もう50年近くが経とうとしている。 こういう作品を今見ていると、当時の街の様子などが映し出された時、懐かしいなあ、と思うと同時に、今、ここはどうなっているのだろう。という興味がわいてくる。 建物、道路、看板、商店、走っている車、歩いている人、何もかも今とは違って見える。しかし今もそのまま残っているものもあるのではないだろうか。そういう場所を探索してみたい、という考えは以前からあったのだが、あるきっかけで知り合いになった方から「それらのロケ地を訪れてみる計画があるのですが、ご一緒にいかがですか」というお誘いがあり、今回、同行させていただくことになった。 その方は愛知県にお住まいで、今回は東京出張の機会にロケ地探訪をされる計画のようだ。 8月4日、5日の2日間、早朝からびっしり廻る計画なのだが、私は5日の午後から同行させてもらうことに。 12時、有楽町の東宝ツインタワービルで待ち合わせ。 この場所から同行される方が、私の他にあとお二人いるらしい。その方たちを待ち、東宝ツインタワーへ。ここの屋上は「ブラボー若大将」に使われていて、当時の日劇などを一望するシーンなどがある。しかし屋上へは上がれず引き返す。 この日、東京は気温35度、私は最初の巡礼地、東宝ツインタワーを訪れただけで、すでに汗が吹き出す。しかし企画されたこの方はもう2日目。それも終盤にさしかかっている時間なのだ。 次に「フレッシュマン若大将」に使われている日産本社。 ここは建物がそのまま残っている。 次が「日本一のゴリガン男」で使われた国立がんセンター。 ここは当時の建物が無く、付近の様子もずいぶん変わってしまっている。しかし付近の道路や橋の位置から「ああここだったんだ」と分かる。「そうか。ここに植木等が立ったのか」 そこからいよいよ大和証券へ。 ここからもうおひと方が参加。 このビルは入り口付近、屋上が無責任シリーズ、社長シリーズなど、多くの作品に使われている。 私はここを訪れるのは5年ばかり前に続き2回目だ。 今回の企画を立てた方が屋上に上がれないものかと、お願いを試みるが日曜日とあって、ビルの人が不在で断念。 巡礼の行程を終え、コーヒーショップで水分を補給。持参のタオルのハンカチは、大げさでなく絞れば汗がしたたるほどだ。しかし楽しかった。 今日参加された方は20代から私の50代まで。昨日もおひとり別の方の参加があったそうだ。皆さん、東宝作品にはさすがに詳しく、私なぞ一番知らないと言っていい。 さらに驚いたのは愛知からいらした企画をされた方が、ロケ地、そして東京に詳しいこと。学生時代を東京ですごされたからだそうだが、それにしてもすごい。 そしてさらにさらに驚いたのが、この方の持つ雰囲気が誰に似ているというわけではないのだが、実に「東宝」なのだ。 お世話になりました。 |
2007年07月30日 「感動の条件」 友人と話したことがある。 「濡れてもかまわない状態だったら傘なんかささないで、ずぶ濡れになって歩くのって、やってみたいですよね」 「いいよねえ。なかなかそういう状況ってないよね。全身ずぶ濡れ。で、空を見上げると顔に痛いほどバチバチ雨があたって、もう雨なのか涙なのか分からない状態・・いいなあ・・」 「ははは、なんで泣くんですか!」 「ははは、感動して泣くんだよ」 「ところで日本人て、ちょっとの雨で傘さしすぎですよね。僕はあんまり傘ささないんですよ」 「あ、ぼくも傘ささない派!」 などと傘ささない自慢に話はそれていったのであるが、それはいいとして、大雨の中、ずぶ濡れ状態願望が私にはあるのだ。 さて昨日の夜は友人と「おふろの王様」というスーパー銭湯に行った。 実はちょっと期待していることがあった。 昨日の東京はカミナリをともなった大雨。そのスーパー銭湯には露天風呂もあるし、外で寝そべるところもある。絶好の条件ではないか! スーパー銭湯に着くと、うまい具合にちょうど大雨のピーク。 「さあ!濡れるぞお!」 サウナから出たあと、裸で大雨の中に寝そべる。 普段は結構混んでいるのに今日はあまり外にお客がいない。大雨だからか? こんなに面白いのに・・ 空が光ってカミナリも鳴る。おお、濡れる濡れる! さあ、感動するぞお、感動するぞお・・・ ・・・・ん? こんなもんか? 意外と感動しない・・・ 感動というのはむずかしい。さあ、感動するぞお、ではだめなようだ。感動は予期していないときに、いきなり訪れるもののようだ。 景色に感動したことが何度かある。 いちばん最初は小学校5年か6年の時。 林間学校で、御岳山のお寺に泊まったことがある。 夜、先生が「みんな、外に出てみろ」と言う。 私たち生徒が真っ暗な外に出てみて驚いた。 眼下に見事な雲海が広がっていたのだ。 月が出ていたのだろうか、雲が本当に白い海のよう見え、そこから頭を出した山々が島のように見えた。ほんとうに感動だった。 そんなものが見えるとは期待してなかったのだ。雲海など、気象条件などが揃わなければ、いつでも見られるというものではないだろう。雲海を見られるのは運かい? 失礼。 次はいきなり飛んで3年ばかり前のニューヨーク。 現地に住んでいる友人が「ブルックリン・ブリッジ」という橋を徒歩で渡るのを提案してくれた。マンハッタン島から対岸のブルックリンという地域へ渡る古い大きな橋だ。 夕方出発。橋の途中からは遠くに自由の女神も望める絶景だ。ブルックリンへ渡り着いた頃は、あたりも薄暗い黄昏時になっていた。公園のような所のくねくね曲がった坂道を登る。しばらく登ると眼前が開けた。足がすくんだ。 思わず出た言葉は「ちょ、ちょっと待ってよ」だった。 急に目の前に現れた景色は、海の向こうで黄金色に輝く摩天楼だった。 友人の見事な演出だった。いちばんきれいに見える時間を見計らってくれていたのだ。何も知らされないで急に見せられたその光景は一生忘れられない。 感動は予期しない時に突然現れるのだと思う。 「期待が大きいとダメだってことだよね」 と言われればそれだけのことなのかもしれないが。 |
2007年07月10日 「TOSHIBA 37H3000」 おとといの日曜日、地デジ・ハイビジョン対応の液晶テレビを購入。今まで10年くらい使ってきたブラウン管式のテレビが壊れたら液晶テレビを買おうと思っていたのだが、こういう時に限って待てど暮らせどなかなか壊れてくれず、ついに決断。 販売店は比べてみるものだ。近所の某店と購入した某店とは5万近くの差があった。説明してくれた店員さんも親切でしかも知識がある人に当たった。 ちょっと奮発して37インチ!翌日の月曜日に届くという。 一人で買いに来たのでテレビを買ったことを家族は知らない。 届けてもらう時間指定ができるらしいので、私が仕事の休憩時間が取れる時間帯を選んだ。その時に届けてもらえば、奥さんや娘が仕事から帰ってみると居間にデーンと新しいテレビがあって驚くという寸法だ。 月曜日の朝。奥さんが「テレビ、3時半ころ届くらしいわよ」 と言う。 「え?何で知ってるの?」 「朝、確認の電話があったもの」 「なーんだ、驚かそうとおもったのに」 奥さんが馬鹿にしたように言う。 「テレビを買って驚かそうなんて、昭和30年代にやることよ!」 |
2007年06月27日 「うちではめったにないこと」 さっき仕事から帰ると娘と奥さんが夕食を食べ始めたところだった。 うちの家族は食事の時間もまちまちだし外食が多い。三人揃う、というのはめったにない。なので私も早速食事に参加。 うちの娘は私に口うるさい。 「その瓶詰めのシャケに一回箸を入れたらもう入れちゃダメだよ!」 「はいはい」 家で家族そろって食事なんて何日ぶりだろう。 あ〜〜食った食った。 ヨネスケが来るかと思ったけど来なかった。 |
2007年06月20日 「7分間の興奮」 昨日は我が「荻窪東宝」とは友好条約を結んでいるサバイバル系自主映画チーム「HIT AND RUN」の新作上映会に同席させてもらう。 タイトルは「BIG DRUM」。戦闘シーン中心の作品だ。いつもながら感心するのだが見ていて恥ずかしくならない。自主映画というのはとかく見ている方が恥ずかしくなるものなのだが、それが全く無いのがこの人たちのすごいところだと思う。 息をつく間もない7分間。今回のは特にテンポがよく退屈している暇がない。 本編7分に対して特典映像が、ん時間もあるいつもながらのサービス精神。 映画作りは楽しいよねえ!! |
2007年03月27日 「植木さんForever」 夜8時過ぎ、携帯の着信音が鳴った。電話に出られない状況だった。その後メールの着信音が何度も鳴る。なんだろう? 後で見るとどれも植木さんの訃報。友人達が知らせてくれたのだった。 そうだったのかあ。 用事が済み、腹がへったのでラーメン屋で食事。 ラーメンをすすりながらメールで知らせてくれた方達に返事を書く。 いなくなってほしくなかった人だったなあ。 メールを打っていると植木さんの出ていた映画のシーンや唄う様子が目に浮かんでくる。 芸能人が死んで初めて涙が出てきた。 |
2006年12月06日 「もどき」 実際の街や建物をまるでミニチュアのように撮る写真家だ。 彼の作品を初めて見たのは、今年の夏ころに「small planet」という写真集を本屋でみつけた時だった。パラパラとページをめくると、そこには驚くべき写真がたくさん載っていた。 「えっ!何だこれ?ほんもの?それともミニチュア?」 どうやらどの写真も実景のようだが、ページをめくる度に「えっ?」「うわあ!」と頭の中で叫んでしまう。「あはは、これどう見てもミニチュアだよ!」 どうしてミニチュアにように見えるのだろう。 ミニチュアを写真に撮る時、カメラをミニチュアに近付けるわけだが、そうするとレンズの特性で被写界深度が浅くなるらしく、ピントの合う範囲が狭くなるという。その特徴を実景の写真にも表現すればまるでミニチュアのような写真が出来るという原理のようだが、被写体選びやアングルが重要なのだろう。 私は模型好きで、子供のころからプラモデルを作るのが趣味だった。それを写真に撮るのがまた楽しい。自動車や街並みの模型をいかに本物らしく撮るかに腐心していたものだ。 本城氏の写真を見て「おお、このやりかたならわざわざ模型など作らなくても模型みたいな写真が撮れるじゃないか!」 本末転倒というやつだ。 本城氏は「アオリ」といってレンズとフィルム面を傾けることによって擬似的に被写界深度を浅くしているようだ。これはフォトショップで、なんとかそれらしくならないだろうか、と挑戦させてもらったのがこれ。 うーん、まだまだだだけど、しかしこれはけっこうおもしろい。 |
2006年06月19日 「出演作を見る」 5月15日の日記に書いた、友人が製作した自主映画が完成したので見せてもらう。 監督のK藤君、それにお仲間のS田さんも交えて鑑賞。 なかなかに素晴らしい。参加者の10人が迷彩の戦闘服をまとい撃ち合いを繰り広げる。 突如として私の出演場面が現れる。はずかしい・・・。 屋外の戦闘シーンの撮影地は千葉県とのことだが、国籍不明の作品を見ていると日本には見えなくなってくるから不思議だ。 |
2006年06月4日 「ザ・ヒットパレード」 先月フジテレビで放送されたドラマ「ザ・ヒットパレード ‾芸能界を変えた男・渡辺晋物語‾」を見る。 以前から楽しみにしていたのだが録画するのを忘れてしまい、諦めていたところ友人のS口君が録画してあったので見ることができた。 やはり友人のK穴さんから「このドラマを楽しむコツは、あまり期待しないこと」と言われていたせいもあってか、私はけっこう楽しめた。もともと、こういう近年実際にあった話のドラマ化は好きな方なのだ。 ドラマ的な脚色があるにせよ、芸能界の一時代を築いた渡辺晋とはどんな人物だったのか、渡辺プロをとりまく状況はどんなものだったのかの一部は知ることができた気がする。 「ザ・ヒットパレード」第1回目放送のシーン、椙山浩一(すぎやまこういち)プロデューサーのカウントで生放送が始まる。あのテーマ音楽とよく再現された白黒画面。思わず感動。 キャスティングに異論はあるのだろうが、これはしょうがない。頑張ってるなあと思う。植木等のスーツなどは「ニッポン無責任野郎」の時のをよく再現したりしていた。普段、植木は着てなかったのだろうが。しかし陣内孝則 は植木等というよりスマイリー小原なのでは・・いやいや、しょうがないのだ。誰にだって代わりになる人などいないのだ。 東宝映画の中でも主にクレージーものの製作者として「渡辺晋」の名前はよく目にする。今までは「ナベプロの社長」というだけの認識しかなかったが、これからは「あの渡辺晋さん」に変わるのだろう。 |
2006年05月15日 「出演」 K藤君はサバゲ(サバイバルゲーム・BB弾というプラスチックの弾を発射する銃を使い、主に屋外で撃ち合う戦争ゲーム)ファンだ。 最初は使い捨てカメラで記念に写真を撮っていただけだったらしいが、だんだん撮影に重点が移ってきて、今ではビデオカメラで撮影し、それをストーリーのある自主映画として制作するまでになってきた。前回制作した作品を見せてもらったことがあるが、凝った編集や音楽の使い方がすごくかっこいい。そして真剣そのもので演技し、楽しんでいる彼等をとてもうらやましいと思った。 この前のゴールデンウィークにも撮影に行ったらしく、それを素材に新しい作品を作るそうだ。その作品に私も出演させてもらえるらしい。 今日は私の出演部分の撮影だ。私は戦闘に加わるわけではなく、私の家での撮影だ。役どころは「ひねた、しかし敏腕の秘密諜報部員」だそうだ。難しいよお〜。けっこうセリフが多い。監督のK藤君、それとサバゲ仲間のG嶋君が集まって撮影開始。 長いセリフはもちろんカンペ。それでもつっかえる。全然ダメな演技なのに、割とすんなりOKを出してくれた。 撮影後に軽く一杯。飲み屋にお目当ての子はいなかったのだけれど(笑)サバゲと映画話に花が咲く。 秋の完成を楽しみにしてますぜ。 |
2006年04月15日 「Still Crazy For You」★★★★★ クレイジーキャッツ結成50周年記念のCD「Still Crazy For You」が届く。 松任谷由実作詞&作曲による、谷啓&YUMINGのデュエットソングだ。ジャケットのイメージどおりのロマンチックな曲だ。素晴らしい!素晴らしすぎる! ユーミンが唄う。谷啓が唄う。曲間に植木等のセリフ。桜井センリがピアノを弾く。ベースを弾くのは犬塚弘。今は亡きハナ肇のドラム、安田伸のサックス、石橋エータローのピアノはライブ音源からのサンプリングで参加だ。 通常盤はCDのみだが、限定盤にはCDのほかにプロモーシュンビデオと収録風景のDVDが10インチサイズのジャケットに入っている。両方買ってしまった。 収録風景は必見だ。涙が出る。すごいよ、クレージーは偉大だよ、と誰もが思うだろう。犬塚弘の顔が見える。桜井センリの顔も見える。植木さんが笑っている。歳をとって恋の歌を唄う谷啓はめちゃめちゃかっこいい。 ぜひとも限定盤を手に入れてほしいです。一生大切にしたい1枚になるはずです。 |
2006年02月19日 「表参道ヒルズに行く」 原宿に「表参道ヒルズ」というのができた。それが出来る以前は「青山同潤会アパート」という、鉄筋アパートの棟が連なっていた場所だ。青山同潤会アパートは昭和2年に竣工したというだけあり、とても懐かしいたたずまいを見せていて、近代的な建物が建ち並ぶ現代の表参道の中では、異質な魅力があった場所だ。しかし老朽化が進み、惜しまれつつ取り壊しになり「表参道ヒルズ」という商業ビルに生まれ変わった。 オープン間もない新名所を早速見に行く。日曜日とあってもの凄い人出。すでに原宿駅からぞろぞろと人の波。中のレストラン街で昼食を、と考えていたが待ち時間がすごそうなのであきらめる。 外に出て建物の外観を見る。横に長い建物の右端、懐かしいものが見えた。ほんの一画だが取り壊す前の「青山同潤会アパート」が再現されているのだ。そこだけ取り壊しを忘れてしまったかのように。 「やるじゃないか!森ビル!」と思った。 |
2005年12月28日 「整形外科にいる宇宙怪獣」 首が痛くて、近所の整形外科に通っている。牽引といって首を引っ張ってもらうのだ。患者さんは私も含めて(笑)お年寄りが多い。 ま、そんなことはどうでもいいのだが、その整形外科の待合室に気になるものが置いてある。小さな折り紙をたくさん組み合わせて、ひとつの形にしたものだ。そういうので器用に鶴だとかを作ったり、花の形にしたり、きれいな花ビン敷きにしたりしたのはよく見る。しかしその整形外科にあるのは鶴でも、花でも、きれいな花ビン敷きでもない。どう見てもキングギドラなのだ。多分、患者さんとかが作ってきたものを飾ってあるのだろうが、なぜキングギドラ・・・。私はものすごく感動した。 |
2005年09月05日 「祝・カーネギーホールご出演」 ニューヨークに住んでいる友達から加山雄三さんのカーネギーホールでのコンサートのチラシが送られてきた。 |
2005年03月23日 「JA3137」 自主製作で勝手に「ウルトラQ」を作らせてもらっているのだが、その完成も近づいた最近、とても興味深い、不思議な偶然をお知らせいただいた。現在はサンフランシスコにお住いの宮崎さんという女性の方からで、宮崎さんについては、この「支配人日記・4」の中の2002年5月7日「自主映画フロム・サンフランシスコ」で紹介させていただいているので、併せてご覧頂きたい。 宮崎さんのお父様は飛行機が大好きな方で、航空写真家として活躍されていたそうだ。宮崎さんは若い頃のお父様がセスナの前に立っている写真をとても気に入り、部屋に飾っておいたのだが、ある日「ウルトラQ」を見ていたらそれに登場するセスナと、飾ってある写真のセスナが似ていることを発見、よく見てみるとなんと同じシリアルナンバー(固有の機体番号)だったので、驚いてお父様に尋ねてみると、そのセスナは当時、調布の飛行場にあった「三ツ矢航空」(だから尾翼にサイダーのようなマークが入っている)というチャーター機の会社のセスナで、宮崎さんのお父様もよく利用していたのだそうだ。 宮崎さんの写真は1964〜5年頃に撮影されたものだそうだ。ウルトラQの放送は1966年なので、写真の1〜2年後に万城目役の佐原健二さんや一平役の西条康彦さん、由利子役の桜井浩子さんらがこの同じセスナに搭乗することになる。 この不思議な偶然に私もなんだか興奮してしまった。宮崎さんのお許しをいただいたので写真を掲載させていただきました。
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