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ニッポン無責任野郎 (1962)監督・古澤憲吾


開始より0:02(東京都世田谷区自由が丘1丁目・東急東横線、東急大井町線、自由が丘駅付近)

「オッス!ご苦労さんっ!」

と源均(みなもとひとし)(植木等)は改札の駅員(堤康久)に声をかけて改札を素通りしてしまう。追う駅員を振りきり、踏切りを渡る源均、という冒頭シーンだ。
ここは東急東横線の自由が丘駅。 西口の改札を出た源均が駅前広場を左に進み、踏切りを渡るという道順は実際に即し正確に描かれている。

現在の自由が丘は服飾、雑貨、飲食などの店が並ぶおしゃれな街として知られている。住んでみたい場所のアンケートでも、いつも上位にランクされている街だ。当時はどのような街だったのだろう。



(撮影・2007・08・06)
↑ 駅前広場から踏切を渡るあたりの雰囲気は割合いと当時と変わっていないように見える。線路沿いに見える建物などもそのまま残っている。




(撮影・2007・09・09)
↑ 上のカットからそのままカメラがパンし、商店街を歩く源をワンカットで追う。正面に見えるのは東急東横線のガードだ。





開始より0:03(東京都世田谷区成城6丁目→2丁目・小田急線成城学園前駅付近)

すると次のカットでは突然、小田急線の成城学園前駅の南口駅前に瞬間移動している源均。
しかし自由が丘、成城学園前の様子を知らない観客にとっては、全く違和感なくつながっているので、場所が変わっているとは気がつかないようになっている。
成城は世田谷区の中でも特に高級住宅街で知られている街だ。現在の駅前はそれに相応しいショッピング街となっている。しかし映画製作当時の様子を見ると、必ずしもそうとは言えない大衆的な商店街のようにも見える。



(撮影・2007・12・30)
↑ 左側にある住友銀行(現三井住友銀行)はそのままの位置にある。
中央に見える送電線の鉄塔もそのままの位置にわずかに見える。(矢印)
(2013/05/09記 この送電鉄塔に緊急事態発生!「巡礼メモ 3」をご覧下さい!)




(撮影メタBOの若大将さん・2007・12・30)
↑ 住友銀行の角でタバコの吸い殻を拾い、靴を磨いてもらっている客(井上大助)に火を借りる源均。




(撮影・2007・12・30)
↑ 源均は拾った吸い殻と、火を貸してもらった客が吸っていたまだ新しいタバコをすり替えて立ち去る源均。
駅からは遠ざかる方向だ。




(撮影2007・12・30)
↑ すると次のカットで源均はまた瞬間移動。今度は先ほどの成城学園前駅南口とは線路を隔てた反対の北口に突如現れる。調子よく踊りながら「無責任一代男」を唄っている。絶好調の冒頭シーンだ。古澤演出も絶好調。

正面に見えるのは小田急線、成城学園前駅。当時の小田急線はこの区間、地上を走っていたのだが現在は地下駅となっている。正面に見えるのは駅ビルの「成城コルティ」。
駅前商店街の桜の街路樹がわずかに面影をとどめている。




(撮影メタBOの若大将さん・2007・12・30)
↑ アベックをからかって調子よく立ち去る源均。
後ろに見える「カネボウ化粧品」の看板が掛かった化粧品店は現在でも建て替えられて存在した。




(撮影2007・12・30)
↑ バックで駐車しようとする車を誘導する源均。
ここは駅前広場のすぐ横なのだが、同じ位置に道路がある、というだけで面影は全くなし。




(撮影・2007・12・30)
↑ 駐車しようとする車を無責任な誘導でぶつけてしまい、逃げる源は長谷川(ハナ肇)にぶつかる。しかし源にとってはこれが明音楽器に入り込むきっかけになる。
ここは駅前通りより一本西寄りに入った通りだ。左側に見える洋品店は現在でも存在するし、正面突き当たりに見える和菓子店のビルも変わらず存在していた。




(撮影・2007・12・30)
↑ 上のカットとは通りを挟んで対面側。木造の商店が残っている。

(協力・メタBOの若大将さん)




 巡礼メモ 1

2007年のメタBOの若大将さんによる調査報告を見ていただくと、摩訶不思議な成城学園前駅周辺での源等の行動がよくわかるので、下記にあげておきます。
プリントを持って現地に行き、ぜひ「オ〜レ〜はこの世で一番、無責任といわれた男〜」と唄ってきてください。
成城学園前駅周辺図



 巡礼メモ 2

この「東宝映画のロケ地を訪ねる・ニッポン無責任野郎編」をご覧になられた方からメールをいただいた。
了解をいただいたので以下にメールの一部を紹介させていただくことにする。

(メール前略)
じつは、私が幼少の頃(4歳頃)、母に連れられて自由が丘の改札を出ると突然騒がしい人ごみに遭遇。怪しい大人たちが拡声器を手にしてわけの分からない大声をあげていたのです。
母はその状況を理解し、「撮影をしているから、ちょっと見学をしましょう」と。
これも幼い私にはわけがわからず・・。

私は大人たちに埋もれ、この状況が理解できませんでした。
そして隙間を除くと、突然に派手なスーツを身にまとった不思議なおじさんが登場!顔が白く、笑顔というよりはこの世のものとは思えない表情に私は硬直してしまいました。
そうです、これは「ニッポン無責任野郎」の冒頭シーンの撮影現場だったのです。
後に植木等演ずる無責任シリーズの映画であることは分かったのですが、何の映画であることは分からないまま、48年が過ぎ・・・。

しかし、このサイトを見て、長い謎が解け早速映画をレンタルし鑑賞。あのときの自由が丘へタイムスリップすることができました。

(後略)

「ニッポン無責任野郎」のロケ撮影の現場に偶然居合わすことができたという、実にうらやましい経験をされた方なのである。
この日の自由が丘駅前の様子が目に見えるようだ。
「この世のものとは思えない表情・・・」
4歳のお子様に植木は強烈過ぎたか。
(2010/05/17記)


 巡礼メモ 3



Sさんから成城学園駅南口から見える鉄塔についてメールをいただいた。(2013/03/24)
作品冒頭、東横線自由が丘駅付近から小田急線成城学園前駅に瞬間移動したシーンの遠景に写っていたあの鉄塔だ。
どうやらあの鉄塔、拝観するなら今のうちのようだ。
以下Sさんからのメールを引用。



成城学園前駅付近で、送電鉄塔の建て替えが進んでいます。
昨年の中頃からでしょうか、徐々に工事が進んでおりいくつもの鉄骨組み立ての鉄塔が丸パイプのマスト型の高い鉄塔に変わりつつあります。

そこで! 「ニッポン無責任野郎」の冒頭シーンの鉄塔が間もなく消えます。
前後に高いマストができているので、地上を走っていたころの小田急線を跨いでいた2本の鉄塔は何れも撤去されるものと思われます。
残り数ヶ月か1年くらいか。

件の鉄塔は、東京電力の川世線No.40 で高さ33m、1940年(S.15)12月建設です。
「ニイタカヤマノボレ」の1年前ということになります。
1962年公開の「ニッポン無責任野郎」よりずっと先輩だったことになります。
ちなみに小田急線(新宿~小田原間)が開通したのは1927年4月です。

この鉄塔についてSさん登録の画像など:


ああ、ショックですね。Sさんから「喜劇 駅前団地」の時に鉄塔のお話をうかがって、わずかなりとも鉄塔に魅力を感じられるようになったところでした。戦前から電気を送り続けていた鉄塔。ご苦労様でした。
(2013/05/09記)




開始より0:16(東京都中央区八重洲1丁目・東京建物ビル前)

「丸山英子さんでしたね。よろしくお願いします。引っ越し蕎麦の代わりにお茶でもご馳走したいんだけど、手空いてる?」

まんまと明音楽器に入社した源は同僚の丸山英子(団令子)をお茶に誘う。ところが行った先は喫茶店ではなく、何故か東京駅八重洲口にある銀行。





(撮影・2018・05・04)

ここは東京駅八重洲口の真ん前、八重洲通りにある「東京建物ビル」。前々から近くを通る度に「ああ、ここが植木と団が入った銀行だ」と思いながら、なかなか写真を撮る機会がなかったが、やっと撮ってきた。
当時このビルには富士銀行(現みずほ銀行)が八重洲口支店として入居していた。
→ 参考サイト




開始より0:17(東京都世田谷区成城2丁目・三井銀行成城支店)

「ところで僕と結婚しない? いや、結婚たってねえ、そう大幅に考えることはないんだよ。今まで他人だった二人が、一緒の家に寝起きして、一緒に飯を食うだけなんだから。ま、軽い気持ちで行こうよ」

そしてカットが切り替わり、その銀行の店内。
はたしてこの店内も富士銀行八重洲口支店なのだろうか。もちろんそうとは限らない。映画だから。
源がお茶を奢る、というのは銀行内にある無料のドリンクサービスのことだった。「さあ、好きなだけ何杯でもやってください」と源が言う。
この銀行内、セットとは思えない。しかしどこなのか分からない・・・。




この銀行内部のロケ地、特定は無理かと諦めていた。そこに突然、かつて成城にお住まいであったSさんという方から情報をいただいた。

「源が丸山英子をお茶に誘って行く銀行ですが銀行内部が不明とありましたが、多分冒頭に出てくる成城学園前の南口にある住友銀行内でロケを行ったかと思います。
実は私昭和45年から10年ほど成城に住んでいましてあの銀行内部に見覚えがありました。
入口に住友銀行の文字があります。入口から見える向かいの建物と街灯が多分一致するかと思います」


とのこと。

え! 外観は八重洲の富士銀行で内部は成城学園前の住友銀行!

↓ まず入り口の「住友銀行」の文字。
ああ、これは気がつかなかった。ガラス面に書かれた「住友銀行」の文字が裏から見た文字になって写っている。 拡大し、さらに裏文字を反転させ左右正しく見えるようにしてみた。
ガラスに書いてある文字はまず上段に「住友銀行」とあり、下段に「〇〇支店」と読める。漢字で2文字支店。そう言われて見れば最初の文字が右肩上がりの筆文字で「成」に見えるような気がする。「住友銀行成城支店」!
八重洲の銀行の内部は、植木が成城学園前駅の駅前でタバコの吸殻を拾った時に写っていたあの住友銀行だったのか!これはびっくり。



↓ 画像一番上は先述した源が成城学園前駅の南口に降りたときの画面。通りを挟んで左側の角地にあるのが「住友銀行成城支店」だ。右側赤円内にクリーム色の壁が見える(当時歯科医院)。
真ん中は八重洲にあると思わせた銀行内に入った画面。赤円内に銀行入り口から外の様子が見え、歯科医院のクリーム色の壁が見える。
一番下は2015年のストリートビューで見た「住友銀行成城支店」。赤円の窓が真ん中の画像の源の背後に写っている窓だ。
もう一点、見ていただきたいのが画像右下の1、2と番号のついた何やらぼやけた画像。これはなんだか分からないのだが銀行内外の二つの場面に共通して写っているもの(黄緑円内)の拡大画像。樹木か、あるいは装飾か何かだろう。



↓ 銀行内のカットで、メインの出入口とは別に、もう一ヶ所、小さい出入口があるようで盛んに客が出入りしている。それは外から見ると、冒頭、源がタバコの火を借りた時に写っていたこのドアだろう。位置的、角度的に合致する。



この「住友銀行成城支店」(現・三井住友銀行成城支店)、現在は解体され、他所に移転している。まだあるうちに入っておくべきだった! 無料のドリンクサービスはやってなかっただろうが。

一番最初に「ニッポン無責任野郎」のロケ地を探し始めてから十数年。思いもよらぬ新しい情報が入って、今回も大変に楽しませていただきました。Sさん、ありがとうございました。
(2021年1月・記)
(情報提供:佐々木さん)(協力:原田さん)


← さらに詳細にこの場面を観察してみると、その客の出入りする銀行横のドアの隙間から、赤いラインの小田急バスが右から左へ通過するのが見える。


と書いたらある方からメッセージをいただいた。

「小田急バス」だと書いてありましたが、あのボディカラーは東急バスだと思われます。成城学園前駅南口には小田急バスと東急バスが乗り入れています。
「荻窪東宝」久しぶりの更新、驚異でした。まさか東京駅前の銀行の中のシーンが成城(の本当の銀行)で、しかも(おそらく)タバコ拝借のシーンと同じ時に撮られたとは。これだからロケ地捜しや「撮影の裏側」調べ趣味は止められません。チョー楽しいです。


とのこと。小田急沿線なので小田急バスと決めつけてしまっていた。
下に掲げた写真は小田急バス(左)と東急バス(右)。正確に「ニッポン無責任野郎」撮影時期のものではないが基本的に変わっていない。幅10数センチの一本の赤いライン。銀行横を通過したバスは間違いなく東急バスだ。



いや、本当に楽しいですよね。本物の大手の市中銀行を借りて映画の撮影ができたとは現在では考えられないです。銀行の休日に撮影されたのでしょうか。植木らが銀行に入ってきたのは日中のようですが、例のバスが通過する場面はおそらくもう日が暮れて、外は暗い感じがします。銀行は3時までのはずなのに。立ち合いの銀行の人も大変だったでしょうねえ。
シー9156さん、今回もありがとうございました。
(2023年3月・記)
(協力:シー9156さん)




開始より1:20(東京都世田谷区経堂4丁目・小田急線千歳船橋駅付近)

「オーライ、オーライ、バックル、バックル、ストッピッ!」

源の同僚、中込(谷啓)の実家では、中込の母親うめ(浦辺粂子)が源の進言により庭を改造して時間貸しの有料駐車場を経営している。
このへんの事情は作品をご覧になられた方はお分かりであろうから省略する。中込の結婚、源自身の結婚、嫁姑問題、住宅問題などなど、次々に解決してしまう無責任野郎とは思えない活躍ぶりなのだ。
「ニッポン無責任野郎」、ハチャメチャな作品であると考えられがちかもしれないが、実は意外と理路整然としたストーリーなのだ。



(撮影・2012・08・15)
↑ そしてこの場所が現在ではどうなっているのかというと、おお!なんと時間貸しの駐車場なのだ!今度は母屋も無くし、敷地全部が駐車場になっている。記念に駐車してきた。
源均の先見性には驚く。駐車場を経営されているのは浦辺粂子さんのような方なのかもしれない。



(撮影・2012・08・15)
↑ 実家の庭が駐車場になっているなどということは知らずに、久しぶりに実家を訪れる中込夫妻。庭が駐車場になっているのに驚く。
走行する小田急線が後方に見える。当時は地上を走っていたが現在は高架。当時のこの道路は砂利道だったようだ。



(撮影・2012・08・15)
↑ 久しぶりに顔を合わせる中込親子と嫁厚子( 藤山陽子)。うめは駐車場経営に意欲を燃やし、嫁姑のわだかまりは消し飛んでしまったようだ。



(撮影・2012・08・15)
さてここは何処なのだろう。
「喜劇 駅前団地」では大変お世話になったSさんが探してくださった。
Sさんは上の場面で屋上に3つの出っ張りのある建物に着目。それと中込夫妻が歩いている場面で小田急線があの距離に見える角地という条件で1963年の航空写真から千歳船橋と特定。いやお見事。素晴らしい。
3つの出っ張りの建物、現在は残念ながら残っていなかった。

協力:「1960年代の百合小と百合丘」さん



この作品の公開は1962年12月23日。前作の「ニッポン無責任時代」が同年7月29日公開だから、その好評をうけて製作された本作の撮影はおそらく1962年の秋くらいだろう。
作品中では中込宅の庭を貸し駐車場にするために、植木職人役の人が庭の木を抜いたり、生け垣を倒したりしている。(しかし職人さんが「あらよっ」という調子であっという間に庭木を抜いたりしているのは、これはどうやら予め抜きやすくしておいたのだと思う。何年、何十年経って根を張った植木がこんなに簡単に抜けるとは思われない)そして庭が駐車場になり、うめが「オーライ、オーライ、バックル、バックル」と言ったのは確かにこの場所だ。
最初考えたのは、1962年秋頃、建て替えのため解体を予定している実存した家屋を撮影に使用。それなら遠慮なく庭木は引っこ抜けるし、家屋内部も撮影に使える。(しかし家屋内部、内部から見える庭、外の道路などは確実にセットだが)。
映画公開の翌年、1963年撮影の航空写真を見てみた。ところが映画撮影後にもかかわらず、庭はどうやら駐車場にはなっておらず、ちゃんと庭木が植わった庭に戻っているように見える。家屋も映画に写っているのと同じ形状のものが建っているようだ。
ということは撮影の為にいったん実在の家屋の庭を駐車場のような更地状態にし、駐車場シーンを撮影。撮影後また元の庭状態に戻したということなのだろう。当時のクレージー映画、それくらいのことは普通にやったのかもしれない。

(協力:原田さん)





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