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喜劇 駅前団地 (1961)監督・久松静児


開始より0:02(神奈川県川崎市多摩区西生田・小田急線読売ランド前駅付近)

1958年に公開された井伏鱒二原作による「駅前旅館」から3年後、オリジナル脚本による駅前シリーズ2作目となる本作が公開された。以後駅前シリーズは全部で24作が製作されることになる。

この作品が製作された1961年頃というのは、東京への通勤圏内として郊外の農地が次々と宅地化された時代だった。
本作品の冒頭シーンは小田急線西生田駅(にしいくた・1964年に「読売ランド前駅」に改称)付近だ。団地ができたため人口が増加し賑わっている様子が映し出される。通勤客増加のため、西生田駅の隣に新たに百合ヶ丘駅を開設させる予定という話の運びなど、ストーリーも実際に沿ったものになっている。

「♪ズンタタッタ ズンタタッタ ズンタタズン 聞いてくれ 聞いてくれ 話さなきゃいられねんだ 素晴らしいだ 素敵なのさ」

物語はクリーニング屋店員の九作(坂本九)が自転車に乗り「九ちゃんのズンタタッタ」を唄いながらやってくるシーンから始まる。
西生田駅の北側からやってきて、警報機が鳴っているのに踏切りを渡ろうとする九作。



(撮影・2010・10・03)

郊外の見晴らしの良い風景は一変してしまっているが、それでも道路向こう側に石垣と、石垣の上にある屋敷に通じる坂が残っていた。(矢印)
その坂を登った所には現在も茅葺き屋根の農家が保存されている。



踏み切りを渡る九作。当時のこの踏み切りは警報機はあるが、開閉するバーは無いようだ。
線路の向こう側に見える西生田駅南口には1〜2階建ての商店が建ち並んでいる。西生田駅は画面の右端。
(撮影・2009・09・06)
現在も同じ位置に踏切りがある。プラットホームがそのすぐ間際まで延長されている。「駅前団地」で写し出される小田急電車は4両編成のようだ、当時は短いプラットホームで間に合ったのだろう。

九作が踏切を渡ると、カメラは線路の反対側に切りかわる。警報機が鳴っているのに線路を横断してしまったので呼び止める巡査(千葉信男)。 (撮影・2009・09・06)
こちら側から見える駅北口はマンションなどが建ち並び、様相は大きくかわっている。商店街は駅の南側、という構成は今も昔も変わっていない。



(撮影・2009・09・06)

巡査をうまくごまかして駅前を去っていく九作。
ああ、この駅前の変わり様だどうだ!何が何だか分からないくらい雰囲気が変わっている。線路に沿ったゆるくS字型に曲がる道路だけが「ああ、ここなんだ」と教えてくれる。
映画画面には「百合ヶ丘団地入口」と書かれた看板が見える。




開始より0:03(神奈川県川崎市多摩区西生田)

さて九作はどこに行ったのだろう。

「団地の皆様、お帰りなさいませ。こちらは高砂亭でございます。一日のお勤め、ご苦労様でございました」

スピーカーを使い、色っぽい女性の声で街頭に宣伝放送をしている店がある。「高砂亭」と書いてある。駅に近い場所にある飲み屋のようだ。どうやら九作はこの店に入ったらしい。



(撮影・2010・10・03)

この飲み屋は西生田駅南口の線路と平行した道沿いにある。先ほど九作が巡査を振り切って駅前を通り過ぎて行くすぐ先の場所だ。
50年近くを隔てて同じ場所を同じようなポーズの青年が歩いていた。


高砂亭の前を通り過ぎる人々。
高砂亭とは路地を挟んで向こう隣に「パーマ・スズラン」と書かれた看板が見える(画面中央)。これはロケ地特定の手がかりになりそうだ。



(撮影・2010・10・03)

この「高砂亭」があった場所を探すため、「読売ランド前」「スズラン美容室」などのキーワードで検索してみた。すると「スズラン美容室」はどうやら現在でも存在するらしいことがわかった! その隣が「高砂亭」があった場所ということになるのだが、地図で「スズラン美容室」付近の道路の形状などを調べると、どうも「スズラン美容室」の位置に納得がいかない。線路と平行した通りの角地にあるはずなのだがどうも違う。うーん、どういうことだろう。

悩んでいるとロケ地探しに日頃から協力していただいている某氏からの報告。「判明しました!『パーマ・スズラン』は場所を移転しているんです!」
そうだったのか!「スズラン美容室」が移転する以前の場所(移転といってもごく近い場所になのだが)だと映画画面と様子が一致する。万事解決だ。後述する森繁の乗った自動車がエンコ(今言わないか。車が故障して止まっていること)している場所とも辻褄が合う。
シャッターが閉まっている店の場所が「高砂亭」、路地を挟んで向こうの角の店が以前「パーマ・スズラン」であった場所だ。
(協力・タニーさん・シー9156さん・ミシェンヌさん)


1962年(駅前団地公開の翌年)の住宅地図

この地図が謎を解いてくれた。
スズラン美容室で移転の事実を確認したかったのだが、外から覗いてみると若いスタッフの方ばかり。後を継いでいる方がいたとしても、もう孫の代くらいかもしれない。ちょっと入りにくいので確認は断念。

(資料提供・作図 タニーさん)




開始より0:06(神奈川県川崎市多摩区西生田)

九作を「高砂亭」まで追ってきた巡査が外に出てみると車が故障して停まっている。古くから地元で「暁天堂(ぎょうてんどう)戸倉医院」という病院を経営する戸倉院長(森繁久彌)の車だ。先ほどバイクとぶつかりそうになり、その時の急停止でエンジンが止まってしまったようだ。
「高砂亭」の女の子達にも手伝ってもらって車を押すとエンジンがかかって去っていく。



(撮影・2010・10・03)

ここも実際に「高砂亭」のある場所のすぐ前だ。ゆるく右に曲がるカーブも道幅も変わってない。

作品冒頭で九ちゃんの自転車が西生田駅東側の踏切を渡り、南口駅前を通過し、線路際にある高砂亭に寄り、その店の前から森繁の車が走り出すという一連の流れの中で、ロケ場所にウソは無いということになる。
いつもロケ地を調べていると、同じシーンの中なのに、全然違う場所に飛んだり、同じ場所であっても方向が不自然に行ったり来たり、などしばしばだ。したがって疑ってかかるクセがついてしまっている。だからこのシーンのように地理的に全くそのままだと「なんだ、そのままじゃないか」と肩すかしをくらったような気もするし「すごいな!完璧じゃないか!」と、当たり前なことに感心したりもしてしまう。
(協力・タニーさん)


作品の場面では森繁の車の先の方に不動産店の看板が見える。巡礼写真では見にくいが、同じ位置に不動産店は現在でも存在する。
作品ではその手前に暖簾がかかった飲食店のような木造平屋の建物も見える。この建物は現在は盛大に蔦がからまった状態になっているが当時のまま残っているようだ。
(撮影・モンパパさん 2010)




開始より0:06(神奈川県川崎市高津区久本・久本薬医門公園)

そして次のシーンでは、先ほど高砂邸近くから走り去った戸倉院長の乗った車が「暁天堂戸倉醫院(ぎょうてんどうとくらいいん)」としたためられた大きな看板のある建物に到着する。
ここは同じ川崎市だが高砂亭があった西生田(読売ランド前)からはやや離れた溝の口。
かつては実際に診療所であった歴史的な屋敷の門前だ。
現存するこの門は明治43年に造られたれたものとのことで、屋敷があった敷地の一部は現在、公園として解放されている。



(撮影・2012・05・20)

瓦葺きの立派な門構え。このロケ地はかなり歴史のあるお屋敷の前だということは容易に想像できるが、ここが何処であるのかはなかなか突き止めることができなかった。
ストーリーから推測すると読売ランド前駅、百合ヶ丘駅近辺のはずなのだがどうも見当たらない。なにしろ古そうな門だ。映画撮影当時には存在したが、現在では取り壊されているのかもしれない。もしそうであったとしても何処であったのかは知りたい。試みにこのページで情報を募ってみた。

数日後、メールをいただいた。
「暁天堂戸倉医院の所在地について心当たりがございますのでお知らせしたいと思います。溝の口の駅のそばに『久本薬医門公園』があります。そこに保存されている『久本薬医門』が映画に写っている場所と思われます」
とのこと。

「久本薬医門公園」を検索し、早速ストリートビューで見てみる。
あった!ありました!まったくそのままだ!溝の口だったのか!
現在は建物本体は無くなり、公園になっている。しかし作品に登場するあの門はまったくそのまま残っている!
(作品に登場する暁天堂戸倉医院母屋の外観、内部はともにセット)
さっそく現地に出かけてみた。うん、まさにここだ。門は閉ざされていたが、イベントの時などには開かれることもあるらしい。
情報をお寄せいただいたG様、おかげ様でなかば諦めかけていたこの撮影地を特定をすることができました。ありがとうございました。
(協力・Gさん)

「久本薬医門公園」は江戸時代後期から地元で代々診療所を開いていた旧・岡家跡地が整備され、2007年に公園としてオープン。
この門の高さを高くとっているのは、往診の際、馬に乗ったまま門を通れるようにしたためだという。





開始より0:18(神奈川県川崎麻生区市高石)

「ちょっと失礼ですがここをお買いになった方ですか?」
「はあ、こちらの先生が病院をお建てになるんです」
「ほう、犬猫病院でも」

ある日、戸倉院長を乗せた自動車が高台の尾根道にさしかかると、1台の乗用車が路上に停まっているのに出会う。停まっている車にはこの場所に新しく病院を開業しようとしている女医、玉代(淡島千景)と、周旋屋(不動産仲介業者)の桜井(フランキー堺)が乗っている。
この地で古くから伝わる病院を経営している戸倉は、新しくやってきた同業の女医に皮肉を言う。
この見晴らしの良い場所は百合丘第一団地から東方向の高台にある。



(撮影・2012・07・01)

作品場面で画面左遠方に弘法松(こうぼうのまつ)公園(後述)の高台が見える。そこから右に並ぶ建物群が百合丘第一団地の棟々。
病院開設候補地と設定された場所は現在、駐車場になっていた。同じ位置に立って弘法松公園を同じ方向に見ると、その右方向には当時とは違う、もっと高層の建物が見える。第一団地跡地に建替えられた「サンラフレ百合ヶ丘」の建物群だ。





↑ (撮影、写真上の説明・Sさん 2012・06・10)



 巡礼メモ 1

「たまたま今日、息子と「弘法松公園」に行ったのでバチバチ写真をとってきました。映画と同じ風景がまだ残っている貴重な場所かもと思い・・・・」

百合丘にお住まいのMasterJOKERさんという方からメールをいただいた。
添付していただいた写真を見てビックリ! 残っているなんてもんじゃない。 50年経っているとはとても思えない風景がそこに写っていた。

「弘法松公園」(こうぼうのまつこうえん)というのは後述する孫作の息子、一郎がベンチで昼寝をしてた、小高い丘の公園だ。
私はそれまで、ここが公園として管理されている場所だとは知らず、高低差の多い百合丘にある単なる自然の丘の一つなのだと思っていた。
だから一郎や九作がいたあの丘は、その後開発が進んで、もうとっくに無くなっているだろうと考えていた。
だから送りっていただいた写真を見てとても驚いた次第なのだ。この後で「弘法松公園」の現在をお伝えするので、ご覧いただき驚いてほしい。

映画撮影当時はこの付近に団地が出来始め、作品の中にはまだ建築中の様子も写し出されている。しかしその建築中だった建物もすでに老朽化し、現在は新しく建替えられているものも多い。それだけの年月が流れているということだ。しかしそれなのにこの丘の変わりの無さだどうだ。 まるで遺跡が保存されているかのようだ。

「早くこの場所に立ってみたい」
数日後、私も現地に行った。
すごいすごい!本当に映画の中そのままだ。
花見のピークからはやや過ぎた日曜日。しかしまだ何組かのグループが公園内でお花見を楽しんでいた。


久しぶりに「駅前団地」のロケ地探しに燃えていたところ、さらにMasterJOKERさんにより「フランキーと淡島が乗った車がトラックと衝突する地点」と「森繁と淡島が新しく開業した新戸倉医院の場所」が判明。この場所の現在の写真もMasterJOKERさんにお願いしたところ快諾してくださり、これも合わせて紹介させていただいた。




開始より0:20(神奈川県川崎市麻生区百合丘)

玉代と桜井が車で先ほどの候補地を見た帰り道、団地が建っている地域を走っている。どうも車の調子がおかしいようだ。



(撮影・MasterJOKERさん 2012・04・29)

(以後、青字の部分はMasterJOKERさんから報告していただいたメール文。とてもわかりやすく説明してあるので、引用させていただきました)

「フランキー堺の運転する車がエンストしながら坂を下るシーン。 道幅、側溝、事故がおこる十字路に至るまでぴったりでした。 まず間違いないと思います」





(撮影・MasterJOKERさん 2012・04・29)

「トラックが衝突する事故シーンの十字路。
さきほどのエンストしながら坂を下る道の、リアルに先に位置します。映画といえど位置関係はあってます。
ここは迫力を出すためか、カメラを地面に据え、しかもカメラを傾けています。(電柱をみると傾けていることがわかる)
だからトラックが走ってくる道が坂道に見えますが実際は平坦な道です。フランキーの車の背後の方に弘法の松と百合ヶ丘教会がある方向になります」





「本当にここで撮影したのか確認するため、トラック下部にみえる石垣の画像を拡大し 現在の画像と比較。50年の年月が白い石を黒く変色させていますが、石の欠け方から 排水管の位置まで完璧にマッチングしました!まるでCSIの刑事のようですね(笑
物知りの父に聞いたところでは、当時の石垣は頑丈なため随所に作られたが、 造成にコストがかかるためまず新規では作らないそうです。頑丈ということについて は50年経っても残っているので証明されてますね。おかげで場所の特定には「道路」 と「石垣」が重要であることがわかりました。何年経ってもこの2つは変わらないのですね。勉強になります」


石垣を作り直さないかぎり石垣のパターンがそのまま残っているのは当たり前なんでしょうけど、何十年も前の画面と見比べてみて、一致している石を見つけると、ああ、この石があの画面に映っていたあの石なんだ、と感動しますよね!すごいなあ!




開始より0:32(神奈川県川崎市麻生区百合丘・弘法松公園)

「オレねえ、昨日、桃子のとこへ洗濯物とりに行ったんだよ。そしたら根掘り葉掘りおまえのこと聞いてたぞ」
「そんなこと・・」
「そんなことないよって、まんざらでもなさそうじゃないか」
「そんなことないよ」

建設中の団地を見下ろす小高い丘の上で孫作の息子、一郎(久保賢)(後に日活に移籍して山内賢、久保明の実弟)が昼寝をしている。するとそこへクリーニング店の九作をはじめ商店の小僧らが来て、一郎と「高砂亭」の桃子(黛ひかる)との仲をひやかすシーン。
ここは百合丘第一団地(当時)の南側に位置する「弘法松公園」(こうぼうのまつこうえん)だ。



(撮影・2012・04・15)

九作とその仲間の商店の小僧連中が、ワイワイ言いながらコンクリートの階段を上がってくる。
九作たちが自転車を停めた公園の中にある小道も、コンクリートの階段も、まったく変わっていない。




(撮影・MasterJOKERさん 2012・04・08)

次のカットでは丘の上から眺めた様子。建築中の建物が見える。これらは公団の団地ではなく民間企業の社宅かもしれない。現在はこのあたり、一戸建ての住宅が多い。
丘の上には石のテーブルとベンチが見える。現在はベンチが破損しているが痕跡が残っているだけでも素晴らしい。
そしてその左側にあるコンクリート(?)製の何か不思議な物体。50年経ったというのにまったくそのままだ。こんなことがあるんだろうか。それにしてもこれはいったい何なのだろうか。




(撮影・MasterJOKERさん 2012・04・08)

カメラは左から右にパンする。すると顔に本を乗せ、ベンチに横たわって昼寝している一郎の姿が見え出す。




(撮影・MasterJOKERさん 2012・04・08)

九作たちに冷やかされ、丘を下る階段を降りた一郎。そこは少し広い平地になっている。そこに偶然、噂をしていた桃子が現れる。




(撮影・2012・04・15)

丘を下った平地にカメラが切り変わる。
見上げる丘に付いた階段、樹木、雑草の感じ。ここも当時とほとんど変わっていない。
この公園全体が当時から時間が進んでいない奇跡ゾーンという気がしてくる。




(撮影・MasterJOKERさん 2012・04・21)

すると公園から見下ろす下の道を引っ越しのトラックがやってくるのを一郎が見つける。一郎は九作たちに「おーい!引っ越しだぞ、引っ越しだぞ!」 と教える。すると九作たちも「あ、引っ越しだ、引っ越しだ」と言ってあわてて公園を出る。




(撮影・MasterJOKERさん 2012・04・21)

引っ越しのトラックを追って九作たちが自転車を走らせる。
鋭角の二股になっていて、角は三角の空地になっていたが、現在はキリスト教の教会が建っている。
当時の空地は土管などが転がっていてるのが見える。まるで昔の漫画に出て来るような典型的な空地の様子そのものだ。




(撮影・MasterJOKERさん 2012・04・21)

空地の角を猛スピードで通り過ぎる九作の自転車。
この引っ越しを見つけて駆けつけるシーン、私も弘法松公園を訪れた時に撮影してみたのだが、MasterJOKERさんのようには撮れなかった。 急な斜面に樹木や草が覆い茂り、滑り落ちるのに気を付けながら、そうとう身を乗り出さないとこのようには撮れないのだ。MasterJOKERさん、かなり危険な体勢をとっていただいたのではないでしょうか?




(撮影・MasterJOKERさん 2012・04・21)

引っ越しのトラックが停まり、そに集まる九作たち。
九作たちは、なぜ急いでトラックを追いかけたのだろうか。
一郎は邪魔な九作たちを追い払うための機転で「おーい!引っ越しだぞ、引っ越しだぞ!」と叫んだのだろうが、九作たちはなぜそんなに急いでトラックを追いかけたのだろうか。そんなに引っ越しが珍しいのか。荷下ろしを手伝う親切心か。それとも我が町に新住民がやってきた歓迎の気持ちか。いや、それだけではないと思う。九作たち商店の小僧は引越しの荷物を降ろすのを手伝い、新住民を店の客として取り込むためのサービスなのだと思う。今の感覚ではちょっと不思議な感じがするが。

完璧な保存状態の公園から一歩出ると、ごらんのように周辺の建物は一変している。しかし道の様子はそのままだ。
百合丘に住んでいない私にとって、「駅前団地」に写し出されている出来たばかりの近代的な鉄筋の建物が、ちょっと(と言っても50年だが)目を離している間にその生涯を終えて、もう新しい建物に変わっている、という時代の移る早さに驚く。
(協力・MasterJOKERさん)


「一郎が昼寝していた石のテーブルと椅子ですが、現在は椅子部分が壊れてありませんでしたよね。実は、彼が冷やかされて丘を駆け下りる階段に、この石の椅子が使われておりました!
この画像を見ていただくとわかると思います。2つの石が裏返されて、階段の一部に使われております。きっと壊れて落ちてしまった椅子を誰かが階段に流用したのでしょう。椅子は3つがなくなっていたので、あと1個もどっかにあるのかも。
これ、直して欲しいなあ。。重くて自分では持ちあげられなかったです(笑 」

(MasterJOKERさんからの報告より)


 巡礼メモ 2


以前に「クレージー作戦 くたばれ!無責任」のバス停は百合丘という情報を寄せていただいたKさんからメールをいただいた。
作品中、弘法の松公園のシーンで、建物に「QR 1」「QR 2」などと書かれた棟が写っているカットが何度か登場する。「QR」とは何だろうと以前から気になっていた。
Kさんがその疑問を解いてくださった。
これはラジオ局である文化放送の社宅。「QR」(JOQR) は文化放送のコールサインだ。なるほど!しゃれてる!

その後、一郎と桃子のデートシーンで、二人が弁当を食べた高台もKさんのおかげで判明。今回は大変お世話になり、ありがとうございました。



 巡礼メモ 3

「1960年代の百合小と百合丘」さん(以後Sさん)という方からメールをいただいた。

「弘法松公園てっぺんの石のベンチの横のナゾのコンクリートの「印」は標高118.2mの三等三角点です。なくなっては困るものなので、国土交通省かその関係機関で管理されています」

とのこと。(一郎がベンチで昼寝をしているシーン参照)
三等三角点とは測量に用いる基準点のこと。そうだったのか!そういえば真ん中の石には十字が刻まれていた。
そしてさらにその後、Sさんから、

「弘法松公園頂上のコンクリートベンチの外れた天板。よく階段に使われていると分かりましたね。 すごい観察力。そこで、3枚目を探してみました。3枚目はベンチのすぐ横、頂上南側斜面の草むらの中に裏返しに埋もれていました。誰がやったのやら」(以後も緑字はSさんからのメールを引用させていただいたものです)

とのメールをいただいた。
4つあるベンチの内、3つのベンチの天板が外れていて、2つまではMasterJOKERさんによって発見されていたのだが、これで全部揃ったことになる。ああ、よかった! MasterJOKERさん、安心しましたね!

また、今回のロケ地特定に際しては「1960年代の百合小と百合丘」さんに掲載されてある団地の棟の配置図を大変に参考にさせていただいています。




開始より0:38(神奈川県川崎市麻生区百合丘)

「ねえ、大学行ったら何やんの?」
「オレ、ほんと言うと行きたかないんだよ、大学なんかに。百姓やってる方がよっぽどいいと思うな」

一郎と桃子が、団地を見下ろす高台で昼寝をしている。弘法松公園での一件以来、二人は親密な仲になったようだ。一郎は高い場所でのんびり昼寝をするのが好きなようだ。このあたり、近代化ばかりを歓迎しない一郎の考え方の表現だろうか。
そして二人は起きあがり一緒に弁当を食べる、というシーンがある。

しかしこのシーンの撮影地はどうやら先ほどの弘法松公園とは違う場所のようだ。どこなのだろう。
前出のKさんよりご連絡をいただいた。ここは旧第二団地の東側、現在は給水塔がある高台の近くということだ。
そうだったのか。

場面の写真をごらんいただきたい。いろいろと書き込みをしたので見にくくなってしまったが、遠くに団地の群れが見えて、手前すぐ近くにも何棟かが見える。
画面の左端の棟にうっすらと「119」という棟の号数が写ってるのがなんとか見える。Sさんにある団地配置図と照らし合わせてみた。撮影場所が現在の給水塔近くだとすると確かに「119号棟」はすぐ近くだ。それとY字型の棟(スターハウスというらしい)が該当する位置に3棟見える。その先に写っているのは工事が続いている第二団地。さらに先に見える団地の群れが第一団地だろう。後で登場する孫作がトラクターで通った、百合ヶ丘駅に通じる通りも見える。なるほど、なるほど、ここだったのか。

しかし二人が弁当を食べたと思われるこの高台、現在もまだ残っているのだろうか。
当時カメラが据えられたと思われる位置の近くにある給水塔は現在もそうとう高い位置に建っている。しかし給水塔を残し、隣接するその北側一帯は切り崩され平地になり、現在は住宅が建ち並んでいる。
カメラが据えられたのはどのへんの位置だったのだろう。仮に現在は住宅になっているあたりであったのだとしたら、当時と同じ位置からの撮影は、住宅の屋根の上にでも上がらせてもらわないかぎり不可能だ。いや、それでも低いだろう。なにしろ画面を見ると団地の屋上を見おろす程の高さなのだ。



(1961年航空写真・国土地理院)

※注1 そこでSさんがさらに詳しく撮影位置を検証してくださった。
まず上の画像にある「※注1」と書かれた矢印を見ていただきたい。
矢印の左側に写っているのは百合丘第二団地の118号棟(スターハウス)、矢印の右側に遠く写っているのは首都高速職員宿舎A棟とのことだ。撮影位置から見ると、それぞれの右端、左端がちょうど接している。ということはこの二点を結ぶ延長線上に撮影地点があるということになる。そうして当時の地図上でこの位置を割り出してみると、やはり給水塔よりやや北のこの地点ということになる。どうやら給水塔が建っている高台の北側。現在では切り崩された斜面ギリギリくらいのあたりのようだ。(検証: Sさん)
しかし給水塔が設置されている水道局の敷地であるこの高台、監視カメラまで設置されて立ち入りが厳重に禁止されているそうだ。だからいずれにしろ現在はこの撮影位置に立つのは難しい状態になってしまっている。


(作図: Sさん)

※注2
ではこの給水塔、作品製作当時にも存在したのだろうか。
Sさんがお答えくださった。

「百合ヶ丘配水塔ができたのは、1970年前後です。映画撮影当時には水道局の建物(用途不明だが小型の配水池(=地下式のコンクリート水槽)ではないかと推定)がありました。その建物の一部の円筒形の建物はまだ残っており、その南隣に配水塔が建設されています」

とのこと。
撮影当時に給水塔は無かったのだ。もし当時にも給水塔があったのなら、格好の被写体になるので構図に入れていたような気もする。


↓ MasterJOKERさんが給水塔付近の現状を報告してくださった。給水塔が立つ高台のふもとの道路上からの撮影だ。

給水塔の高台のふもとのやや北よりから作品と同じ方向を撮影。現在の状況から作品製作当時を偲ぶのは難しくなってしまっている。 左の写真撮影地点から北方向を見たもの。向かって左手のあたりにスターハウス(117号棟)が建っていたはずだ。 作品撮影地点の少し南側に給水塔がある。かつての丘もこの高さだったのだろうか。
(以上3点撮影・MasterJOKERさん 2012・05・20)




開始より0:41(神奈川県川崎市麻生区万福寺)

「ここに駅ができるんだね? それは確かな情報なんだね?」

桜井(フランキー堺)の乗った車が、道路の傍らに停車する。
道路は小田急線の線路のすぐ脇を平行して通っていて、線路と道路とはガードレールで仕切られている。
団地が出来たために小田急線に新駅が出来るという噂を聞きつけ、その予定地と目される場所にやってきたようだ。
線路の向こうはまばらに民家が建っているものの、多くの部分が林や畑、あるいは水田のようで、一見これといった特徴は見当たらず、当時のありふれた線路沿いの風景に見える。どこなのだろう。



(撮影・2012・07・01)

Sさんのメールより。

「百合ヶ丘駅の開業は1960年3月25日です。第一団地の入居開始も1960年(月日未確認)です。
映画を見ると、弘法松公園から見た第一団地には既に住人がおり、多くのベランダに洗濯物が干されています。この洗濯物は演出ではないでしょう。
同じ公園から見た第二団地も建設が進んでいます。第二団地の入居開始は1961年(月日未確認)です。
映画の公開は1961年8月13日ということですが、一郎と桃子が高台で弁当を食べるシーンとかオープニングのタイトルバックとか、第二団地のスターハウスに洗濯物が見え、第二団地入居後の画像もあることが見えます。
これらの状況と登場人物の服装も考え合わせると、現地での映画の撮影は1960年の春〜1961年の初夏くらいの間になると思います。
そうすると、撮影時には既に百合ヶ丘駅が存在することになります。
そこで、近場で何もないところを探して「駅予定地」にしたのではないでしょうか。
そもそも切り通しにある百合ヶ丘駅と、映画の「駅予定地」では地形が違いすぎます。

なるほど、そういうことか。
新駅とは「西生田駅」の西隣に出来る「百合ヶ丘駅」のこと。しかし撮影時にはすでに「百合ヶ丘駅」は存在した。しかし映画の中ではまだ何もない「百合ヶ丘駅建設予定地」を撮影しなければならない。それには「これといった特徴が見当らない線路が通っている場所」を選ばなければならなかったのだ。
ではこの「これといった特徴が見当らない場所」というのはどこなのだろう。

Sさんはここで、おもしろいアプローチでロケ地特定にせまってくれた。
線路、道路、そしてもうひとつ「高圧線の鉄塔と送電線」だ。



左側地図の書き込みは現在の地図に書き入れたものです。右航空写真1961年撮影・国土地理院

再びSさんからのメール。

「フランキー堺が「百合ヶ丘駅予定地」を視察する場面がありました。線路の中に入ってしまうというのは今から考えれば驚きです。列車往来妨害罪で逮捕ものです。
この場面で中央にフランキー堺(桜井)の後ろ姿があり、右上方に鉄塔が見えている場面があります。 この鉄塔は、その位置(山の上)と高圧線の方向、小田急線との位置関係および百合ヶ丘駅近くであろうという条件から特定できます。

これは東京電力の桜ヶ丘線78番という鉄塔で、現在も同じ場所に立っています。
この線は昭和初期から使われているようなのですが、よく見ると映画に写った鉄塔と現在の鉄塔では形状がやや異なります。
桜ヶ丘線78番の建設年は分からないのですが、たとえば同線76番は 昭和60年(1985)に建て替えられています。さらにたどると、72番が映画に写った78番とほぼ同等の形状でした。これは昭和14年(1939)建造です。
そこで推測するに、78番は映画撮影後、昭和の後半に建て替えられ、若干形状が変わっているものと思われます。
この事実から、「駅予定地視察」の撮影地は次の場所付近に特定できます。
この場所は、現在ある鉄塔桜ヶ丘線77ー1番の近くになります。フランキー堺はこの付近から南東方向を小田急線越しに見ていたのです。
乗用車が停止したところの後遠方に少し頭が見える2つの建物は、第一団地の一部であろうと思います。41、42号棟あたりか。
目の前に水田が広がっているのにはびっくりしました。

当時は78番からの高圧線が小田急の線路を越えて北西側の里山の上にある77番との間に渡されていました。現在は77番が取り壊され、跡地には広大な敷地をもつマンション群があります。
取り壊された鉄塔のかわりに新規の77番と77ー1番の2本ができ、間は地中ケーブルで接続されています。77ー1番は、小田急線の反対側のほぼ同じ場所にある78番とつながっています。


すごい!
上図はこの鉄塔と送電線による撮影地点特定の概略図。
78番鉄塔からこちらに向かって伸びている送電線を直線で示してみた。
映画製作時は78番鉄塔から77番鉄塔(当時)へ、現在は映画製作時とほぼ同じ位置に立っている78番鉄塔から新しく出来た77−1番鉄塔へと結ばれている。旧77番、77−1番の位置は、距離的にはずいぶん離れているが、78番鉄塔から伸びる送電線の方向は大きくは変わっていないことがわかる。
下の比較写真を見ていただきたい。78番鉄塔から伸びる送電線が、こちらに向かってやや左方向に伸びているのがなんとか見える。現在も送電線が同じ方向に見える地点が撮影地点ということになる。



(撮影・2012・07・01)
78番鉄塔、当時と現在では形状は非常に似ているが、よく見ると微妙に形が変わっている変わっているのがわかる。1967年2月、駅前団地から6年弱後、鉄塔は建替えられているのだそうだ。(Sさん調べ)




(撮影・2012・07・01)

Sさんからのメール。

なお、百合ヶ丘駅で小田急線に並行する県道(世田谷通り、津久井道[つくいみち]等とも呼んでいます)がありますが、小田急線は新百合ヶ丘駅がなかったころは、次の柿生までこの道路とほぼ並行していました。
現在は前述の「駅予定地」あたりから山を崩して作った新百合ヶ丘駅にまっすぐ入っています。
旧ルートは一般の車道となり、どこに線路があったかはわかりません」


もう一度、桜井が車を停めたシーンと、送電線概略図を見てほしい。
当時は小田急線の線路と県道3号線の高低差がほとんど無い。しかし現在の撮影地点だと線路の方が2メートル以上も高い位置にある。その理由もこれでわかった。新百合ヶ丘駅を開設した時に線路は新しいルートに移行し、その時にこの高低差が生じたのだろう。
いや、しかし面白かった!今まで何気なく見過ごしてきた高圧線の鉄塔からロケ地が特定できるとは思いもよらなかった。





開始より1:06(静岡県伊東市吉田・伊東市立大池小学校西側)

「結婚? 僕たち結婚なんかしないよ。冗談じゃない、心中なんて。あははははは」

一郎と桃子の姿が朝から見えない。クリーニング屋店員の九作(坂本九)の無責任な情報によると、二人は伊豆の伊東に駆け落ちし、心中しようとしているのだと言う。 慌てて伊東に向かう一郎の父親孫作(伴淳三郎)、「高砂亭」女将君江(淡路恵子)、戸倉院長(森繁久彌)の三人。一郎と桃子が草はらに寝そべっている。しかしどうやら心中ではなかったようだ。


伊東、というがここは伊東の何処なのだろう。
入江のようになった海が見えていて、画面右奥に表面がなだらかで、お椀を伏せたような美しい形をしている山が見える。この特徴的な山は伊東市の「大室山」(おおむろやま)だ。毎年、山焼きが行われることで有名な山で、現在は活動していない火山だ。しかしこの場面の撮影地がどこなのか、これまで深く考えたことがなかった。
久しぶりに百合丘のSさんさんからメール。

「眼下の水面は当然海であろうという先入観の元、伊豆半島の東岸の伊東から川奈、 城ヶ崎海岸付近を探しましたが映画のシーンと地形が合う場所がみつかりません。
長い年月の間に人の手が加わった部分は多いと思いますが、自然の地形は大きく変わって はいないはずです。
延々と探して見つからない中、ふと思いついたのが陸地の「水面」です。 大室山に縦に 走る2本のスジ、リフトおよび(たぶん)頂上の売店などへの補給用ルートの位置から 再度検討した結果、「一碧湖」(いっぺきこ) にたどりつきました。  伊東の駅からほぼ南へ5キロほど離れた場所です。 大室山までは約3キロ。」


作品の公開翌年にあたる1962年の12月10日に撮影された航空写真があるので見てみる。



このシーンで見える水面は一碧湖だったのか!
では一碧湖のどの辺りの岸から撮影したものなのだろう。
映画画面をよく見ると、対岸の高台に鉄筋の建物が見える。これは航空写真にも写っている「伊東パークゴルフ場」(現・ゴールド川奈カントリークラブ)のクラブハウスだ。現在は撮影地から見てその手前に「一碧苑マンション」という建物が建っているが当時はまだ無い。
さて、大室山が一碧湖越しに右手に見え、伊東パークゴルフ場クラブハウスがほぼ正面に見える位置というと、一碧湖の西側から北側にかけての岸ということが想像できる。孫作らが車で駆けつけた道路が一碧湖を一周する道路だと仮定して、ストリートビューで見て回る。一碧湖西側の一碧神社あたりからスタートして一碧湖北側に位置する伊東市立大池小学校を過ぎるあたりまで回って見たが、湖の水面と大室山が見える地点は1箇所もない。道路から湖側は樹木や竹藪で覆われてしまっているのだ。
違うのだろうか。いや、地図や航空写真を見て平面的に考えれば撮影地はこの一碧湖岸しかないはずなのだが。

それに不思議なことが一つある。インターネット上で「一碧湖」「大室山」などのキーワードで画像検索してみても、映画に出てくるような構図の写真は一枚も出てこないのだ。他の位置から写された一碧湖や大室山の写真は山ほど出てくる。なぜだろう。これほどの絶景なのに誰も写真に写していないとは。
現在では立ち入れないのか、あるいは何かに遮られてもうこの眺望は望めないのか。
道路の一碧湖側はどこも成長した樹木に覆われてしまい、現在はこの景色が見えないのだろうと考え、どこか高いところから見たら今でもこの絶景が見られるのではないか、例えば湖のほぼ真北にある三階建ての伊東市立大池小学校の屋上からとか。との考えから「伊東市立大池小学校」で検索していたらとんでもない動画が見つかった。下に表示したのがそれ。


動画出展 「ATELIER ROCKY KALEIDOSCOPES GALLERY」さん 2018

すごい!すごい!思わず興奮。おそらくドローンを飛ばして撮影したものだろう。カメラの高度が上がってくると、映画のあのシーンにかなり近い構図になる。
下に映画画像とドローン画像の対応するポイントを示してみた。


やっぱり現在の同じ撮影位置からではこの絶景が見えなかったのだ。ドローン偉い! ポイントの「ズレ」から考えて、映画の撮影地点はこのドローン画像より少し右(西)によった位置だろうか。



↑ 1962年の航空写真を詳細に見ると、ここにちょっと広い草地と考えられる部分が見える。孫作らを乗せた車は画面右(航空写真では左)から現れ、右にカーブを切りながら停まる。それも考え合わせると、おそらくここではないだろうか、と一応結論を出す。

Sさん、おかげさまで久しぶりに「駅前団地」のロケ地探しを楽しむことができました。

「しかし、物語中では「伊東」と聞いてこの場所を見つけるなんて、映画ってなんて 都合良く事が運ぶのでしょう」
いや、ほんとですよね!!

(2018・10・16記)




開始より1:23(神奈川県川崎市麻生区百合丘・小田急線百合ヶ丘駅)

ーそれから1年後ー
人口が増加したことにより、小田急線西生田駅(現読売ランド前駅)の西隣に1960年に開業した「百合ヶ丘駅」。下りロマンスカーが通過して行く。
前述したように、映画撮影時にはすでに「百合ヶ丘駅」は開業していた。しかしこの時点までは「百合ヶ丘駅」はまだ存在しないものとしてストーリーが進められてきたので、この場面で晴れての登場となる。

ここで思い出されるのが作品冒頭、九作(坂本九)が自転車で西生田駅(現読売ランド前駅)前を通過したシーン。駅舎の横に「百合ヶ丘団地入口」と書かれた看板が写っていた。この看板は撮影のために用意されたものだろう。なぜなら百合ヶ丘駅が存在するのであれば、西生田駅はけして百合丘団地への最寄り駅ではない。しかし冒頭シーンの時点では百合ヶ丘駅はまだ存在しないことになっているので、新団地の見学には西生田駅から行くしかなかったことを強調していたのだ。
同じ理由でもう一つ。やはり九作が立ち寄った西生田駅近くの「高砂亭」。街頭宣伝で「団地の皆様、お帰りなさいませ」と言っている。これも百合ヶ丘駅がまだ無いということを強調していたのだと気が付く。
ちなみに「新百合ヶ丘駅」が開業したのはさらにずっと後の1974年。



(撮影・2012・07・01)

この場面は上りホームから下りホームを撮影したものだ。向こうが新宿方面、手前が小田原方面ということになる。
百合ヶ丘駅の構造は作品製作当時とは少し変化している。以下はそのあたりの事情にも詳しいSさんからいただいたメールより。

「百合ヶ丘駅開設の1961年においては、駅舎は南側駅前道路と同じ高さの地面の上にあり、ホームと線路の上には跨線橋がありました。現在と異なり、出入り口は南側のみで跨線橋の北端は階段でホームに降りられるだけです。改札口は跨線橋の南端に1箇所だけでした。
跨線橋の幅は約3m。跨線橋の東側に6mほどの隙間があって、隣に幅6mほどの高石橋(線路の南北を結ぶ、人と車が通行する陸橋)があります。 高石橋は、その欄干を現地で確認すると拡幅などの大きな改築の跡はありません。
現在は高石橋の西側に接近して橋上駅舎があります。駅舎の線路に沿った長さは29mほどあります。
橋上駅舎の高石橋に隣合う部分は自由通路になっており、北側からも出入りできるようになっています。
1961年当時と比べて、ホームは10両編成の運転に合わせて大幅に長くなり、階段付近では幅も広くなっています。 階段の位置は、小田原方面に降りる上下ホームのそれぞれ1つの階段が、1961年当時に比べて20mほど小田原寄りに移動しています。階段の幅も拡がっています」


なるほど。ということは作品に写っている階段の位置は、現在はもっと手前(西寄り)になっているということだ。現在の状況を写すのだったら、だいたいこんな位置でいいはずだ。
通過する電車の上、跨線橋を見ていただくとよくわかる。作品のロマンスカーの上に写っているのは高石橋(向こう)、そして少し間をおいて跨線橋(手前)。現在の写真で電車の上部に見えるのは、高石橋、駅構内で南北をつなぐ改札口に面した通路、駅事務室と両ホームに降りる手前の広くなった部分、とが合わさって見えている。当時に比べるとずっと幅広だ。この広くなった分、階段が小田原方面に移動したことになる。


↑ 「喜劇 駅前飯店」(1962)にも百合ヶ丘駅付近がロケ地に使われ、当時の跨線橋が写っている。
これは百合ヶ丘駅の北東側からその跨線橋を見たシーン。百合ケ丘駅は切り通しになっているので、跨線橋の上部がまるで地上に建っている建物のように見える。ここから階段を下ったところがホーム。
跨線橋の手前には跨線橋と並んで高石橋が見える(車が渡ろうとしている橋)。




開始より1:24(神奈川県川崎市麻生区高石(カメラ位置))

新しい団地ができたために一騒動あった町であったが、うまいこと収まることで物語は終わる。
一年後の百合丘は団地の建設工事が終わり、計画中だった新駅「百合ケ丘駅」も、前の特急通過シーンで示されたように、すでに出来上がり開業している。

一年前のシーン、たとえば弘法松公園や、一郎と桃子が弁当を食べた高台から見えた団地建築中の様子、土地を物色していた玉代が戸倉院長と顔を合わせた高台の更地から見えた百合丘団地、それらのシーンに写し出されていたのは、これから百合丘は変わる、ということを印象付けるものばかりだった。それに相応しい撮影地が選ばれていたのだと改めて気がつく。
ところがここからの一年後の百合丘のシーンは、すっかり団地の工事も完了し、元からいた地元の人たちの生活も新しいものになったと画面で表現している。

この作品が、団地の工事途中から撮影を始め、全部が完成するまでの時間、また、新駅「百合ヶ丘駅」が計画だけでまだ何も無い段階から新駅開業までの時間、それらを待って撮影を中断、再開するというような時間のかけかたは、当然していない。
だからこの実際の限られた撮影時期は、団地はまだ建設途中で全ては出来てはいないが、一部は完成している、すでに百合ヶ丘駅は開業している、という時期を選んで、撮影されたのだと思われる。あるいは、実際のそういう状況の中で撮影が可能な脚本が書かれた、のかもしれない。(前述したように一年前の百合ヶ丘駅建設予定地は実際の駅とは違う場所で撮影)
この「一年後」と表示された場面でも、建設途中の様子は見せず、完成した団地だけが整然と並んでいる様子をうまく見せている。



(撮影・2012・07・01)

ではこの遠くに百合丘団地を一望するシーンはどこから撮影したのだろう。
Sさんの推測によるとこの画面の撮影位置は、小田急線線路を挟んで団地とは反対側の北側、百合ヶ丘駅の西方にある高台からの撮影とのこと。
Sさんはそれを現地に出向かれて確認されていたのだが、私も訪れてみた。

その教えていただいた地点を目指し、線路沿いの県道3号(津久井道)から北に入る。そうとう急な勾配の坂道を登る。坂では無理で階段になっている部分もあり、距離的には県道からそう奥に入るわけではないのだが一気に標高が上がる。
撮影地に到着。現在では住宅が建ち並んでいたり、樹木が繁っていたりで、Sさんが推測された地点からは百合ケ丘団地であった方向を見通すのは難しい状況になっている、やや位置を変えて写真を撮ってみることに。
作品では画面右端に弘法松公園、左端に百合ヶ丘第一団地1号棟がギリギリ入って2、3号棟・・・と続いている。
現在の巡礼写真でも右端に弘法松公園、左端に現在のサンラフレ百合ヶ丘4、1、6号棟などが見える。これら新旧団地の棟の位置はそれほど違う場所ではない。百合ヶ丘駅からは一番近い一角だ。






開始より1:24(神奈川県川崎市麻生区百合丘・百合丘第一団地(現サンラフレ百合ヶ丘)付近)

孫作(伴淳三郎)がトラクターに荷物を乗せて引っ越しをしている。



(撮影・2012・04・15)

ここは百合ヶ丘駅から団地方向に通るメインストリート。
作品では「百合丘第一団地」が、現在では跡地に建設された「サンラフレ百合ヶ丘」が背景に見える。
この角は「クレージー作戦 くたばれ!無責任」で植木がバス停に並ぼうと向かう時に曲がる角でもある。
(「東宝映画のロケ地を訪ねる」「クレージー作戦 くたばれ!無責任」参照)




開始より1:25(神奈川県川崎市麻生区百合丘・小田急線百合ヶ丘駅前)

巡査(千葉信男)が「百合ヶ丘」駅前に新しくオープンした桜井(フランキー堺)と君江(淡路恵子)が経営するバー「ベーロ」の様子を見に行く。



(撮影・2010・10・03)

駅前商店街の柳の並木はアーケードに置きかわっている。
たまたまこの写真のアングルで見ると、当時と現在との違いはそれほどでもなく感じるのだが、「駅前団地」に写し出される広々とした駅前の様子はすさまじく変わっている。





開始より1:26(神奈川県川崎市麻生区百合丘・小田急線百合ケ丘駅前)

「あ、院長先生ですか? おそれいりますが家内が具合が悪いと言ってるんですが、往診していただけませんでしょうか」
「ほう、マダムが、では、いま家内を、いや副院長をやるからね」

戸倉病院に電話をする桜井(フランキー堺)。
桜井が「家内」と呼ぶのは、かねてから思いを寄せていた君江(淡路恵子)のようだ。
そして院長が「家内」と呼ぶのはどうやら玉代(淡島千景)らしい。あの反発しあっていた二人も結婚し、夫婦で新病院を経営しているようだ。
前述した百合ヶ丘駅の南口改札が背景に見える。



(撮影・2009・09・06)

余談だが、このカットのように撮影隊が用意した公衆電話を街角に置き、都合のいい風景をバックに撮影するというやり方はいつから始まったのだろう。このやり方は東宝の娯楽映画にはすごくよく登場する気がする。特にこの場合などダイヤルがこっち側を向いてしまっていて、こういう状況は実際にはあまりないのではないか。しかし私は好きだ。(笑)




開始より1:27(神奈川県川崎市麻生区百合丘・大同生命相模寮)

新築した戸倉病院。あの歴史ある建物の「暁天堂戸倉医院」は近代的なビルの「暁天堂戸倉病院」となった。
この建物は保険会社の寮である建物(大同生命相模寮)を新築の病院に見立てて撮影に使用されたようだ。

旧暁天堂戸倉医院は川崎市高津区久本(最寄駅は東急田園都市線、大井町線の「溝の口」)にある明治から伝わる療養所であった屋敷の門が保存されており、それが撮影に使われたが、新築の暁天堂戸倉病院は物語の設定通り、百合丘での撮影となっている。
「暁天堂戸倉医院」が溝の口で撮影されたのは古くからある病院を表現するのに最適な物件が残っている、という都合であって、設定は西生田(現読売ランド前)、あるいはその隣の百合ヶ丘駅近辺であると思う。では設定上、新築した新戸倉病院は旧戸倉医院と同じ場所に建て替えられたのか、あるいは新しく取得した土地に建てられたのか。その辺りのはっきりした説明はない。冒頭で戸倉院長が父親(左卜全)に孫作(伴淳三郎)が、農地を宅地として売りに出しているので、そこを購入し越したらいいのではないかと相談しているが、はっきりした結論は出ていない。私は旧戸倉医院を取り壊し、同じ場所に建て直した設定もありだと思う。団地が出来、百合ヶ丘駅ができる前は田舎然としていた土地が近代的に発展し病院も新しくなった、という表現。旧戸倉医院と新戸倉病院を同じアングルで比較しているのも意図されたものの気がする。



(撮影・MasterJOKERさん 2012・04・29)

(以後、青字はMasterJOKERさんからのメールより)
↑ 「ラストの戸倉病院のシーンですが現在はマンションが建っています。銀のフィットが停まっているあたりが、病院から車が出るあたりか思います」

現時点でこの場所をGoogleのストリートビューで見ると建築工事が行われている状態になっている。ということは現在建っているマンション、ストリートビューの更新が間に合わないほど最近になって出来た建物なのだろう。もしかしたらこのマンションが建つ直前は戸倉病院の建物として撮影に使用された保険会社の寮であったのだろうか。もしそうだとしたら惜しかった!
(2012年4月記)




(撮影・MasterJOKERさん 2012・04・29)

↑ 「車が走り去るシーン。左の道路、電柱の位置、百合ヶ丘駅に向かう道路の角度、さらに 右側にわずかに残る石垣がこの場所であることを示しています」



↑ 「確認のため石垣部分だけを拡大しました。現在はマンション建設に合わせて石垣の手前側が削られてしまっていますが、石垣の奥側の断面の角度は当時のものとほぼ変わっていません」

MasterJOKERさん、今回は地元の方ならではの撮影地の考察、現状の撮影、本当にありがとうございました。MasterJOKERさんから「弘法松公園」の現在の様子をお伝えいただいたのがきっかけで、私としてはこれまでで最大規模と言っていい巡礼を楽しませていただくことができました。

さてと、めでたく近代的な病院を新築し、新戸倉病院開業となったわけだが、ひとつ発見。



↑ 新築した「暁天堂戸倉病院」の全景が映る。



↑ ここでさかのぼり、開始より0:32、弘法松公園のシーンを思い出していただきたい。
一郎(久保賢)が昼寝をしている公園のてっぺんから見える先に、一年後にならなければ完成するはずがない「新戸倉病院」のほぼ全体が堂々と写っている(Sさん発見)。この時点ですでに建っている不思議。


(1961年航空写真・国土地理院)

その後、文化放送社宅(QR 1・QR 2)のことを教えていただいたKさんより情報。戸倉病院の撮影に使われた建物は、映画撮影の1年ほど前にはすでに建っており、1995年度版の住宅地図によっても大同生命の寮であることが確認できた。
調べ始めた頃は新戸倉病院がどこなのか見当もつかなかったのだが、協力していただいた方々の情報でかなりなことまで分かってきた。




開始より1:27(神奈川県川崎市麻生区百合丘・百合ヶ丘第一団地(現サンラフレ百合ヶ丘)付近)

君江の具合が悪いのはどうやら懐妊したためのようだ。副院長になった玉代が車で往診に出かけるラストシーン。



(撮影・2012・04・15)

ここは百合丘団地から百合ヶ丘駅に向かう道。地理的に実際に即している。
左右の団地は百合丘第一団地。現在は「サンラフレ百合ヶ丘」という名称になっている。
作品の方の場面の道路左側にバス停が写っているが、これが前述した「クレージー作戦 くたばれ!無責任」で植木が並んだバス停だ。(矢印)





 東京駅〜百合丘団地 タイトルバックの7地点

本作品は最初のタイトル部分で、スタッフ、出演者などのクレジットのバック画面にロケ映像が使われている。 東京駅から始まる7カ所が選ばれ映し出される。
最後になってしまったがその7カ所についても何処であるのかを考えてみることにした。

 東京都千代田区丸の内・JR東京駅丸の内口前


(撮影・2015・12・30)

まず最初はオフィス街の象徴として東京駅から出発する。画面右側に丸の内中央口、北口、二つの屋根が見える。左側が丸ビル。カメラが据えられたのは位置、高さから推測して当時の東京中央郵便局(5階建)の屋上だと思う。
現在の中央郵便局は敷地内に「JPタワー」として高層化されたが、旧東京中央郵便局舎の一部も保存、再生されており、「KITTE」という商業施設になっている。その旧局社の屋上が開放されているので、当時とそれほど違わない位置から撮影できた。



 東京都渋谷区千駄ヶ谷・JR代々木駅付近


(撮影・2012・06・10)

二番目に映し出されるのは代々木駅南側付近。画面奥が代々木駅、新宿駅方向。新宿駅から代々木駅まで平行して走っていた山手線と中央・総武線が分かれる地点だ。
左の斜面の上を走っているのが山手線。まだ小豆色の車両だ。同じ高さで右に分かれるように走っているのは(見にくいが)中央・総武線。山手線と並んで斜面の下を通る線路は山手貨物線だ。(現在は埼京線・湘南新宿ラインが使用している)
現在の写真に踏切が写っているが、作品の場面では建物の陰に隠れてしまっている。
現在のこの地域、ビルが建ち並び、同じ位置からの撮影は不可能だったが、なるべく近い位置から撮影。



 東京都新宿区西新宿・JR新宿駅西口前

新宿駅西口前バスロータリーだ。まだ重層化はされていない。現在のバスロータリーはこの映し出されている地点よりやや北側(写真左側)に移動し、現在の画面の中央付近は車が地上と地下を行き来する螺旋状の通路になっている。正面は現在、小田急デパート、京王デパートが建っているあたりだ。カメラ地点は広場を隔てた現在のスバルビルの場所と思う。
遠くに丸に伊の字の「伊勢丹」の看板が見えるぞ! と最初は思ったのだが(矢印)、これは丸に越の字の「三越」の看板であることが、同じ方向から撮られた写真(1953年撮影)により判明。子供の頃から馴染んでいる伊勢丹であってほしかった! 三越のネオン看板の左下に伊勢丹のネオン看板が見える。ライバルであった伊勢丹と三越は今では同じ会社。この時代、まさかそうなるとは誰も思わなかっただろう。



 東京都渋谷区大山町・小田急線代々木上原駅付近




さてさて、ここが難問だった。
この一連のタイトルバック、東京駅から出発して、新宿で小田急線に乗り継ぎ、さらに先のことを書いてしまうと、実はだんだんと団地がある百合ヶ丘駅に近づいて行くのだ。この場面の前の場面は新宿だった。そしてこの次のシーンで多摩川を渡る。百合ヶ丘に近づく順番が正確だと信じるとすれば、(これは信じていいと思った)ここは小田急線が新宿を出発して多摩川を渡るまでの間、ということになる。
雰囲気からしておそらく世田谷代田駅から成城学園前駅くらいのまでのどこか、まあ世田谷区内と見て間違いないだろう、と予想していた。東宝作品で世田谷区内はロケ地として使われることが多いことでもあるし。しかしこの区間の小田急線、現在は複々線化や高架化、地下化しており、線路沿いに当時の面影は全くない。手がかりが少ないこの場面から、いったいどうやって撮影地を探せばいいだろう。

Sさんから 「踏切で待っているのは京王バスのように見えます」 とのメール。

なるほど、クリーム色とオレンジの車体、京王バスに違いない。調べてみると小田急沿線近くを走る京王バスの路線は多くはない。多くは小田急バス。
1964年の京王バスの路線が一覧できるサイトを見つけた。
それによると「佼成学園前ー千歳船橋」という路線があったことがわかった。世田谷区内の小田急沿線で京王バスというとそこしかない。
しかも現在でも京王バスは高架になった千歳船橋駅の下をくぐって横断する路線があることがわかった。多分当時は踏切を・・
「ここは千歳船橋か! ふーん、昔はこんな感じだったんだなあ」
バス以外にこれといった根拠があるわけでもないが、千歳船橋ということで一件落着、としようとしたその時、

Sさんからメール。
「見つけました。ここは代々木上原です」

え"ーー!!代々木上原!!

Sさんのメール

1963年の航空写真で、世田谷代田あたりから成城学園前あたりの直線部分が怪しいと思い、目をつけていたところを確認したのですが、見つかりませんでした。
ところが、さらに新宿に近づいたところを見ている時に、ここでは、という踏切を見つけました。 それは井の頭通りの踏切です。 1961年頃は、代々木上原駅は現在よりはるかに新宿寄りにあり、井の頭通りは小田急の直線の線路と斜めに交差していました。(名称:代々木上原2号踏切)

根拠は次の様なものです。

●映画画面左側の警手がみえる踏切小屋が、goo の古い航空写真でも確認できます。
●映画画面線路右側に見える2軒の家ですが、左側の家の向きが右側の家よりやや左に回転した位置にあるように見えます。(家を上からみた長方形の話です。2つの家の長方形の辺が平行になっていないということです)この様子が航空写真と合致します。
●映画撮影時期(1960〜1961ころ)と航空写真の撮影時期(1963)と差はありますが、踏切周辺の樹木の様子が映画画面と航空写真で良く似ています。
●特にバスの前面の見え方から、道路が右奥から左手前に斜めに線路を横切っているように見えますが、これは当時の井の頭通りと踏切の様子に合致します。
●踏切の前後の架線柱の位置が映画画面と航空写真で類似しています。
●映画画面で遠方に見える車の通行が見える踏切は、代々木上原駅に近い踏切(代々木上原1号踏切)と考えて矛盾がありません。
●映画画面の奥の遠方の線路がカーブしているように見えるのですが(気のせい?)、カーブしているとすれば当時の代々木上原駅付近のカーブに合致します。
●1964年の京王バス路線にある経由地に「代々木上原」は出ていませんが、井の頭通りにバス路線があるのは不自然ではありません。

私としては自信を持っているのですが、いかがでしょうか。


あ、すごい! なるほどなるほど! 確かにここだ! 間違いない! 代々木上原、井の頭通り、こんなだったのか!
新宿を出てそんなに行っていない場所だったとは! このへんなら京王バスが通っているのも不思議ではない。
念のため調べてみると現在でも渋谷駅→大原一丁目という路線が運転され、井の頭通りを通り小田急線の高架下を通過している。(Sさん調べ)

いやー、あやうく千歳船橋と決めつけてしまうところだった。あぶないあぶない。でもすごいなあ!ちょっと興奮しました。
オマケに航空写真には、偶然映画と同じ位置に京王バスまで写っている!

それにしてもこのカメラ位置、完全に鉄道の敷地内だ。上り電車が来たら危険を感じるレベル。当時は自撮り棒など無かったろうに。フランキー堺が「新駅下見」で線路の中に入ってみたり、当時の映画撮影というのはすごく優遇されていたのだと思う。もちろん、小田急と交渉して了解を取っているものと思うが。



 東京都狛江市東和泉・世田谷通り多摩水道橋から


(撮影・2012・07・01)

小田急電車が登戸駅の手前で多摩川を渡る。 ここは小田急線の北側から小田急線多摩川橋梁を見ている。電車は左から右(東から西)に多摩川を渡る。
当時は川遊びとする人たちが大勢詰めかけたそうだ。貸しボート屋が見える。この店は現在でも営業されているようだ。



 神奈川県川崎市麻生区高石・小田急線百合ヶ丘駅付近



(撮影・2012・07・01)
疾走する小田急電車。ここは新宿方面から来て、百合ヶ丘駅に到着する約500メートルほど手前の地点だ。行く手に百合丘第一団地の一部が見える。この撮影地点からは百合丘第一団地の中でも最も近い北西端に位置する、1、2、6号棟だ。(赤矢印)
青矢印は川崎市の下水処理場にある建物と思われる。

現在写真で遠くにわずかに見える二つ並んだ建物(赤円内)は、百合丘団地から建て替えられたサンラフレ百合ヶ丘5、6号棟の塔屋(ビルの屋上にある建造物)。
この2つのサンラフレ百合ヶ丘の棟が建っている位置は、作品に写っている旧百合丘団地1、2、6号棟が建っていた位置とそれほど違わない。
現在写真の青矢印は作品撮影当時は川崎市の下水処理場であった川崎市上下水道局北部下水道管理事務所。

(当時の百合丘団地各棟の配置については「1960年代の百合小と百合丘」さんをご参照ください)

(1961年航空写真・国土地理院)

映画では線路から、ごくおおよそ10メートル程度は離れた位置から撮影しているように見える。
しかしこの百合ヶ丘駅に到着する手前の地域の現在は、小田急線と併走する県道3号線(津久井道)との間に建物が建ち並び、作品撮影時にカメラが据えられた位置には立つことができない。
今回のように建物の脇から無理して近づくとかえって近寄り過ぎざるをえず、線路から2メートルほどの位置からの撮影になってしまった。

この撮影位置を特定されたSさんはこう考察する。(いただいたメールから整理、抜粋)

多摩川越え直後の急行が疾走するシーンは、百合ヶ丘駅手前の部分だと思います。
確実な「証拠」はありませんが、遠くに見えるのが百合丘団地であろうというのが最も強い根拠です。
中央やや右遠方に見える3つが部分的に重なった建物は、左から順に第一団地6号棟、1号棟、2号棟の様です。(赤矢印)
この後、これらのさらに手前に住宅公団の職員宿舎が3棟建てられることになります。この画像は職員宿舎建設前のようです。
線路左側の小屋とその右に並んだ立木は、多分川崎市の下水処理場ではないかと思います。(青矢印)
現在は川崎市上下水道局北部下水道管理事務所となっています。

整理すると次の理由で、百合ヶ丘駅手前と判断しました。

●線路際まで丘が迫っていることから、多摩川を渡って多摩丘陵地域に入ってからの場所であることはまず間違いない。
●中央やや右奥に3つ見える建物は、その形状、高い位置、並び方、前面の擁壁(現物は石垣で、今も残っている)の形状から第一団地の1号棟付近の建物と思われる。
●線路左側の小屋の存在と周辺の立木で囲まれたエリアの大きさが、当時下水処理場だった現在の川崎市上下水道局の施設と良く似ている。
●前述の下水処理場と思われる場所の左側と右側に尾根の終端と思われる部分が見える。これは、現在の地形と一致する。 左側の尾根(もしくは丘)の上には川崎市営高石団地があり、右側は現在の百合ヶ丘配水塔から続く尾根の終端であると思われる。
●当時も現在も、小田急線の線路と県道3号線の間には15m以上の距離がある。現在はこの空きの部分ほぼ建物で埋められている。今はこの土地の高さは県道と同じだが、線路側から見ると、線路の高さからコンクリートでかさ上げしてある建物があり、また、県道より1m以上低いままで残っている部分もある。よって、当時は線路と同じ高さであったものと推定できる。
撮影時にこの場所は休耕中の畑か空き地か?
実際、当時、百合ヶ丘駅近くの県道北側は畑ないしは水田だった。


という根拠であるのだ。・・・うーーん、しかしこれは凄い。しかしなんでこんなに凄いのだ!!

そしてこのあと物語は西生田駅(現読売ランド前駅)付近から始まる。しかしその西生田駅を通り越して、ストーリー設定上はまだ開業していない、その先の百合ヶ丘駅近くまで来てしまうのは何故だろう。それは「東京駅から出発して、現在建設が進んでいる百合丘団地が見えるところまで来ました」と監督は見せたかったのだろう。そこでちょっと戻り、西生田駅から物語を始める訳だ。


Sさん、今回の巡礼では本当にお世話になりました。おかげさまで私としては大変に充実した巡礼を行うことが出来、楽しませていただくことができました。本当にありがとうございました。



 神奈川県川崎市麻生区百合丘・旧百合丘第二団地東側

そして最後の撮影場所が百合丘団地。ここで大きく「喜劇 駅前団地」とタイトルが出る。
ここは前出の一郎と桃子が弁当を食べた高台と同じ場所からの撮影だ。新しい団地の建設が進行しているという様子がよく伝わる。弁当のシーンと比べると、いくぶん団地側斜面ギリギリにまで前進して撮影しているようだ。
そしてこの後、西生田駅北側の線路沿いを九作(坂本九)が歌を唄いながら自転車を走らせているシーンへと続くのだ。




地図上の書き込みは現在の地図に書き入れたものです。



特に今回のロケ地特定にあたっては以下の多くの方々からの情報、ご協力をいただきました。
あらためてお礼申し上げます。

タニーさん・シー9156さん・ミシェンヌさん・モンパパさん・Kさん・MasterJOKERさん・Gさん・「1960年代の百合小と百合丘」さん (Sさん)

本当にどうもありがとうございました。


表記について:「ゆりがおか」は地名としては「百合丘」、小田急線の駅名は「百合ヶ丘」です。公団の団地は「百合丘第一団地」「百合丘第二団地」と表記するのが登記的には正しいようです。現在の新しく建替えられた団地は「サンラフレ百合ヶ丘」です。
「こうぼうのまつこうえん」は管理する川崎市の表記では「弘法松公園」で「の」は入らないようです。川崎市が設置した公園の入口にある看板にもそう書かれてあります。しかし民間では「弘法の松」と書くことも多いようで、たとえば小田急バスの停留所名は「弘法の松」、近くにある商店街は「弘法の松商店会」などとなっています。



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