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天国と地獄 ① ロケ地編 監督・黒澤 明(1963)



↑ こちらをクリックすると「天国と地獄 ロケ地MAP」が別ウィンドウで表示されますのでご参照ください。



開始より0:02(神奈川県横浜市西区浅間台)

「で、結局、今日の話ってのは何だね・・」

ナショナルシューズ常務、権藤金吾(三船敏郎)のこのセリフから物語が始まる。
ここは権藤邸のサロン。大きなガラス窓の外には横浜の実際の風景が見える。屋外に建てられたセットでの撮影だ。このセットは何処に建てられたのか。
詳しくは 「天国と地獄 補足・些細なことなど編・浅間台の権藤邸はどこにあったのか」をご参照ください。




(撮影・2014・07・22)
(協力・Hさん)




開始より0:10(神奈川県横浜市西区浅間台)

「あいつが何を企んでるか知らんが、それをぶっ潰す手助けをしてくれるなら、重役の椅子を約束してもいい」
「誘惑しないでくださいよ」
「いつまでも権藤の片腕でもあるまい。よく考えるんだな」



権藤邸を訪れていた三人のナショナルシューズ重役(伊藤雄之助、中村伸郎、田崎潤)は、権藤と言い争いになり、追い出されるようにして玄関を出る。権藤の秘書、河西(三橋達也)が見送りに出る。玄関の外では室内から見えたのと同様に、夕暮れの横浜市街を見おろす風景が見える。三人の重役が乗った車が走り出す。




開始より0:10(東京都大田区田園調布・カトリック田園調布教会)

そこでカットが切り替わり、門までの坂を下って出て行く車が映し出される。それを見送る秘書、河西。
重役たちの車と入れ違いに権藤の息子、純(江木俊夫)と運転手青木の息子、進一(島津雅彦)が西部劇ごっこをしながら走ってくる。

横浜市西区浅間台に建てられた権藤邸セットの位置は分かっている。では玄関から門に至るまでのこの坂も、権藤邸セットの敷地内なのか?
しかし権藤邸セットが建てられた場所は実際に見て来たが、その敷地から道路に接する状態はこのように下った地形ではない。セットが建てられた場所には現在マンションが建っている。そこは一階が半地下のようになっていて、むしろ道路へは上る地形だ。
ではこの坂の場面では違う場所にカメラを移したのだろうか? カットが切り替わっているのでそれはあり得る。セットが建てられた高台の付近は高低差が大きい地形で坂が多い。いつものロケ地探索メンバー三人で権藤邸セットの付近を探してみる。見つからない。門があるのだから私有地内なのかもしれない。そうなると探すのはますます困難だ。どこなのだろう。考えを巡らす日々が続いた。

ここがどこだか分かる日が突然来た。ここは横浜ではなかった。東京都大田区田園調布にあるキリスト教会内だった。閑静な住宅地の中で広大な敷地を持つ教会で、正門から聖堂に向かうスロープだった。



(撮影・2017・07・06)

↑ ロケ地である教会に行ってみる。映画撮影時から比べると、多少の改修部分はあるものの、あのシーンの雰囲気は十分に伝わってくる。ここだったのかあ。




↑ 当時と変わっていないと思われる部分を黄色で示してみた。こちらから見て門の右側にある、純と進一が走った脇にある植え込みを囲ったコンクリート壁や、河西の立っている脇にある鉄柵などだ。
ただ、門扉は外側(こちらから見て向こう側)に数メートル移動しているようだ。




↑ 田園調布の教会の鉄柵をよく見てみる(写真左)。夏場だったので葉に覆われて見にくいが、鉄の棒が上下に大きく波打っている形状ということが分かる。
浅間台にあった権藤邸セットの玄関先の場面を見てみよう(写真右)。鉄柵の形状を田園調布の教会に合わせて作ってある。ロケ場所が変わっていないと思わせる連続性を持たせるためだ。

ついでに言うと、横浜撮影のこの夕暮れ場面で、鉄柵のすぐ上に光が点々と見える。映画ではこれがゆっくり移動しているので、遠くを走る自動車のヘッドライトだと分かる。実はこれはヘッドライトではない。ヘッドライトでは光量が足りないので、何台もの車に探照灯のような大きなライトを積み、バッテリーで点灯させ、権藤邸セットからトランシーバーで指示を送り、一斉に走り出したところで三橋達也と三人の重役が演技をしたという。
そして三人の重役が車に乗り込み、門の方へ走り出す。三橋達也がそれにおじぎをし、一歩踏み出したところで田園調布に切り替わる。誰もが違う場所とは思わない。それが映画というものなのだろうが、鉄柵の形状の工夫など、後に語られることがあるのだろうか。何か、とてつもないことをしている映画のほんの一部分を見た気がした。
(協力・Iさん)




開始より0:19(東京都大田区田園調布・カトリック田園調布教会)

「警察か?」
「いや、違いますね、デパートのトラックですよ」

運転手の息子、進一が何者かに誘拐される。犯人は進一を権藤の子供と間違えたのだ。
「警察には知らせるな」という犯人の指示を無視し、権藤は警察に通報する。警察は警察とは分からないようにして権藤邸に入り込む。その手段がこの横浜高島屋のトラックだ。



(撮影・2017・07・06)

このカットも先ほどと同じ田園調布の教会。
ここがどこだか分かってから考えてみると、登場する「横浜高島屋」のトラックも「ここは横浜」と信じこませる大きな役目を果たしていた。




開始より0:59(神奈川県小田原市南鴨宮~小田原市寿町・下り東海道線車中)

「もうすぐ鉄橋です。子供の顔をよく見てください! 私は子供の顔は写真でしか知らない。替え玉ということも考えられますからね!」
「俺の命とひきかえるんだ!間違えるもんかっ!」

誘拐犯人は身代金の受け渡しに、東海道線の特急の窓から現金の入った鞄を投げろと指示してきた。酒匂川(さかわがわ)の鉄橋の手前で誘拐した子供を見せるから、川を渡りきったところで鞄を投げろと言う。

撮影には特別ダイヤで実際と同じ12両編成の特急こだま号が借り切られた。1962年10月22日のことである。(スクリプターの野上照代氏の資料によると10月25日)(また、後部運転席のカメラが故障のため、一部を別日に取り直したという説もあり)
そして田町電車区を発車したそのこだま号の中では、実際の時間の流れの中で撮影が行われた。いや、車中だけではない。酒匂川の両岸で待ち構える共犯者達の演技も連携している。絶対に失敗は許されない。車中では8台のカメラが回されたという。カットごとにこま切れで撮影したのでは絶対に出ない臨場感、緊張感だと思う。



(撮影・2009・08・02)
↑ こだま号は酒匂川にさしかかる。子供と共犯者の姿が見えてきた。「ボースン」こと田口刑事(石山健二郎)が先頭車両から8ミリカメラを向ける。




(撮影・2009・08・02)
↑ 酒匂川とカーブする川沿いの道に挟まれた狭い三角地帯。作品ではこの部分に砂利を盛って高くし、その上に子供と共犯者を立たせ、目立つようにしている。
当時砂利道だった道路、現在は綺麗な歩道付きの舗装路になっている。

巡礼写真ももちろん本編の撮影と同じく下り東海道線車中より撮影。車中で路線図と地図を確認しながら酒匂川を待つ。国府津(こうず)駅を通過したあたりでカメラを準備する。
線路が左にカーブする。もうすぐだぞ! 見えたっ! 酒匂川だ! カメラを構え、川を渡りきるまで夢中でバシャ、バシャっとシャッターを切り続ける。なかなかのバーチャルリアリティでした。

※ 1979年、当時の東海道線の南側に隣接して新しく東海道線旅客専用線が新設され、従来の東海道線は貨物線となりました。(次の人質救出シーンのところの地図参照)
2009年8月2日撮影の東海道線車内からの巡礼写真は、当時は存在しなかった現在の旅客線から撮影されたもので、作品撮影当時の位置からは、南東方向に十数メートルの位置のズレがあります。
進一と共犯者が立った位置は、現在では新設された旅客用東海道線の下あたり、ということになります。

※ このシーンの撮影で、構図的に邪魔という理由で屋根が取り壊された家屋がある、という有名なエピソードがあります。それについては 「天国と地獄 補足・些細なことなど編・あの家が邪魔だ!壊せ!」をご参照ください。




開始より1:00(神奈川県小田原市南鴨宮)

「おい、これからは手加減はいらん。まっすぐホシを追え。あの人のためにも、それこそ犬になってホシを追うんだ!」

解放された子供を救出するため、酒匂川の鉄橋のたもとに来た権藤(三船敏郎)と刑事たち。
列車でのシーンの後、鮮やかに切りかわるこのシーンはワンカットだ。



(撮影・2009・08・02)

↑ 前述のように当時は舗装路ではなく砂利道だった。デコボコ道に車体をゆらしながら、権藤や戸倉警部(仲代達矢)らを乗せた車が砂ぼこりを巻き上げて走ってくるのが印象的だ。そして車がまだ停まりきらないうちにドアが開き、「進一!」と叫びながら権藤が飛び出して行く。
作品の写真で見えている橋は国道1号が酒匂川を渡る「酒匂橋」。
現在の写真で見えている橋は、「酒匂橋」ではなく、もう一つ上流に架かる国道720号線が酒匂川を渡る「小田原大橋」。この橋は当時まだ出来ていない。写真では「小田原大橋」遮られて見えないがこの向こうに酒匂橋がある。そしてさらに一番下流には「西湘バイパス」が酒匂川を渡っている。「西湘バイパス」もこの当時には存在しない。




(撮影・2009・08・02)

↑ そしてカメラは権藤の動きにつれ右にパンする。解放された子供のいるところに走る権藤。それを見て決意をあらたにする四人の刑事。
映画開始から権藤邸内の密室劇、特急こだま車内と経て、ちょうど一時間。最初のタイトル場面で音楽が使われてから、ここまで一切音楽は登場してこなかった。しかしここで突然のトランペットのファンファーレ。いやあ、狙ってるなあ!と思う。
権藤は警察の車から飛び降りて、子供のいる所まで全速で走る。50メートルくらいはあるだろうか。何故警察の車は子供のいる場所まで行かなかったのだろう。それは権藤が子供のいる所まで自分の足で走って行き、子供も権藤にかけ寄って来た方が効果的だったからだと思う。それを不自然に見せないために、車に乗っている権藤は、はやる気持ちをおさえきれずに、まだ車が動いているのにドアを開けてしまう。運転している刑事は危険と感じそこで車を停車させる。ということで解決している。観客は全く不自然には感じない。意図されていて計算されている。黒澤はよくリアリズムなどと言われるが、くそリアリズムではないのだと思う。
前述のようにこのシーンはたったのワンカットだ。刑事達の背中越しに見える権藤と子供は遠くてよく見えない。もしこれが抱き合う権藤と子供のアップ、それを見る刑事達、などとありがちにカット分けされていたとしたら、なんと安っぽいシーンになっていたことだろうと思う。



巡礼を予定していた当日、朝起きてみるとあいにくの小雨。天気予報によると神奈川県地方はこれから午後にかけてさらに天気は下り坂という。「今日は中止だなあ」と半分諦めたのだけれども、どうしても諦めきれない。午後になって「どうにかなるだろう」と思い切って東海道線に乗る。小学校の時の遠足でもこんなに楽しみにはしていなかった。

まず東海道線の車中から撮影。小田原,国府津間を2往復する。現場にいちばん近い鴨宮駅で下車し酒匂川へ。酒匂川に着いた時が雨の最高潮。土砂降りだ。風も強い。傘をさしながら資料のプリントが風で飛んでいかないようにするのが精一杯。しばらく屋根のあるところで雨が弱くなるのを待つ。
ようやく少し雨が弱くなってきたので撮影開始。しかしまだ遠くが雨で霞んでしまっている。おまけに鉄橋は塗装工事でネットが被せられていた。
帰りに小田原でお土産に蒲鉾を買う。




開始より1:01(神奈川県‎横浜市‎南区宮元町1丁目‎・吉野橋付近)



人質の子供は身代金と引き換えに救出できた。いよいよ犯人を割り出す捜査が始まる。
犯人からかかってきた脅迫電話は公衆電話からだと思われる。電話で話しながら望遠鏡で権藤邸の内部を見ていたようだ。権藤邸を見通せる公衆電話を一つ一つ調べる中尾(加藤武)、荒井(木村功)の両刑事。電話ボックスのガラス越しに高台に建つ権藤邸が見える。

この権藤邸が、映画の冒頭、三人の重役が来ていて、大きなガラス窓越しに横浜市街を見渡せたあの権藤邸の外観なのか。
いや、違うのだ。
まず説明しておかなければならないことは、屋外に作られた「権藤邸のセット」は二つあったということだ。

一つ目はサロン内からガラス窓越しに横浜市街が見える西区浅間台(せんげんだい)に建てられたセット。映画冒頭に登場したのがこれ、「浅間台の権藤邸セット」だ。
ここには一階サロンの内装、玄関周りの内、外装、芝生の庭、塀など外構が作られたのだと思う。
( ↓ この浅間台の権藤邸のセットの詳細についてはこちらをご参照ください。)
「天国と地獄・補足・些細なことなど編・浅間台の権藤邸はどこにあったのか」

二つ目のセットは浅間台からは南に3.7キロばかりも離れた南太田に作られた「南太田の権藤邸セット」だ。
このセットは外観用だ。竹内や、捜査する刑事が屋敷を見上げるシーン用に作られた。しかし権藤邸のサロン内で子供達が走り回っている様子が見えたり、ソファーなども見えるので、ある程度は室内も作られていたのかもしれない。
それに加え、東宝の撮影所に作られた邸内のセットがある。それを入れると「権藤邸」は実に三つ作られたことになる。




(撮影・2014・07・22)

「しかしあれだけの奴だ。塒(ねぐら)のそばの電話なんて使うかな」
「さあ、次行こう」

↑ さて、このシーンでは刑事たちが電話ボックスの窓越しに南太田に作られた権藤邸のセットを見上げている。電話ボックスはおそらく撮影の為に用意されたものと思う。ここは何処なのだろう。
画面左端に橋の親柱(橋の両端にある大きな柱)が写っている(矢印①)。横浜には川が多く、ゆえに橋も多い。それぞれの橋にはその橋独自のデザインがされた親柱が立てられている。アールデコ調にデザインがされた洋風のものが多く、異国情緒の横浜らしい。ここはどうやら橋のたもとらしいが、作品に写っている親柱は見にくい角度で、ここがどこの橋なのかを判断するのは難しい。親柱は造り替えられているかもしれない。
この撮影地点を特定されたHさんは言う。

「当時『お三の宮』という電停が『吉野橋』の橋上にあったようで、画面上にも『電停標識』らしきものが一瞬写ります。橋と権藤邸の位置関係から判断するとココしかありえないと思えます。『横浜市HPの古地図』を見ると、橋の上に『電停』があるのは吉野橋だけなんです」

なるほど!バスの停留所の標識のような物が写っている(矢印②)。これはバスの停留所ではなく当時走っていた横浜市電の電停標識なのだ。素晴らしい!間違いなし!
「よし!わかった!」
あ、これは同じ加藤武さんでも違う映画のセリフでしたね!


↑ 現在の吉野橋。頭上には首都高が通り、周辺にはビルも多く出来たので、とてもではないが権藤邸があった高台を見通すことはできない。正面やや右方向が南太田の権藤邸の方向。
橋の基本的な形状は変わらないが、表面の石はとても綺麗で、少なくとも欄干上部の装飾的な部分は改修されている。


(撮影・2014・07・22)


↑ 1982年の吉野橋。橋改修前で、しかも首都高ができる前は映画撮影当時に近い状況で吉野橋が見られた。

(写真出典:「橋の空間演出・地域資産発掘CORPS」)
(協力・資料提供:Hさん)




開始より1:02(神奈川横浜市南区日枝町5丁目(カメラ位置)・竹内が歩いた川沿いは横浜市南区南太田1丁目)

「ホシの言いぐさじゃないが、ここから見上げるとあの屋敷はちょっと腹が立つなあ。まったくお高く構えてやがるって気がするぜ」

と若い荒井刑事はつい本音をはく。
川に沿った道を歩いていた中尾、荒井の両刑事は、ふと立ち止まり権藤邸を見上げる。



(撮影・2021・04・20)

↑ 川を挟んだ対岸に工場が見え、看板は「横浜容器株式會社 横浜工場」と読める。 この川は南太田の権藤邸を間近に見ることができることから、付近を流れる大岡川と考えて間違いない。




(撮影・2021・04・20)

↑ 再び歩き出す両刑事。川岸の側面、川面から1メートルばかり立ち上がったコンクリートにY字型の柱が等間隔に並んでいるのが見える(矢印①)。それは当時も現在も変わらない。現在は転落防止のためか増水に備えてなのか、上部にコンクリートのフェンスが増設され、さらに金属の柵も付けられている。
(矢印②は工場の住居部分の門。道路から若干内側に入っている。後出の住宅地図、航空写真に記入)




(撮影・2021・04・20)

↑ このシーンの撮影初日、黒澤は川の汚れ方が足りないと怒って帰ってしまったそうだ。画面に映し出される川は確かにかなりな量のゴミが浮いていて汚い。それは自然の汚れに加え、スタッフがさらにゴミを川に投入した成果なのだそうだ。
Y字型のコンクリートの一つに「ヒビ」が入っている。




(撮影・2021・04・20)

↑ ここでカメラは先程よりややアップに切り替わり、川の対岸を、刑事たちとは反対方向にすれ違うようにして歩く男が映し出される。白いワイシャツを着、脇に新聞のようなものを抱えている。犯人、竹内銀次郎(山崎努)の初登場シーンだ。
竹内は川沿いから細い路地を右に入る。角にはテレビやラジオを並べた電気器具店が見える。
このカットのカメラ位置は、竹内が歩いている川に沿った道の対岸なのだが、現在その位置から同じアングルで写真を撮ると、高くなったフェンスに遮られ、付近の様子が分かりにくいので、ここでは例外的にカメラ位置を川向こうに移し撮影した。偶然、白ワイシャツを着、新聞を脇に抱えた人物が竹内が曲がった同じ路地に入ろうとしている。(笑)
当時はこのコンクリートの電柱は無かった。人物が曲がろうとしている位置は正確なはずだ。

ここで非常に鮮明なスチール写真(映画映像とは別に、作品の宣伝用に撮影された写真)があるので見てみよう。映画撮影とほぼ同位置から撮影されている。

↓ 下の画像をクリックしてください。拡大画像が表示されます。


「横浜容器」を中心に背後に見える権藤邸、歩く竹内が鮮明に見える。
竹内は「横浜容器」の板壁の建物にさしかかっている。板壁の建物を過ぎた所で「指定消防水利」(消火に使用する水源)と書かれた杭が立っていて、次にトタンの壁が少し写っている。そこでスチール写真は切れている。
さらに竹内が歩いて行く先を映画画面から継ぎ足してみた。「指定消防水利」が位置決めのよい目印になった。その画像がこちら。↓


板壁からトタン壁に変わって2〜3メートル歩くと、次は板塀の部分になり、掲示板などが見える。4〜5メートルで角になり竹内はその路地に入る。
1966年の住宅地図と1963年の航空写真でそれを見てみる。
状況は概ね合致させられたと思う。竹内が入る路地の角の電器店はセットだとは思っていたが、案の定、住宅地図に電器店の記載はない。(この電器店は川沿いに竹内が現れると流れ出すBGM(シューベルトの「鱒」)が実はラジオからの音楽で、竹内が自室に入ってからラジオをつけると同じ音楽が連続して聞こえるという演出のために必要だった)
もしかしたら竹内が曲がる角の手前の板塀や掲示板の部分も、実際の建造物の外側を覆うようにして作られたセットかもしれない。

竹内が右に曲がって入り込んだ路地は、実は路地ではなく、横浜市の公共の施設(南公会堂、及び南文化センター)の敷地だったのだ。現在は建て替えられ、やはり公共施設の「フォーラム南太田」となっている。
竹内が路地を入るとカットが切り替わり、路地の奥と竹内が住むアパートが映るが、それは別セットだ。



この川沿いには2009年に一度見に来ている。しかしその時は刑事が立ち止まった位置、竹内が入った路地の正確な位置の特定には至っていなかった。
今回Hさんから住宅地図の提供があり、詳細がずいぶん分かったので再巡礼ということになり、Hさんにも同行していただいた。Hさんには白ワイシャツで来ていただくようにお願いしようとは考えたのだけれど、お願いしそこなっていたら、当日、こちらの意を察して白ワイシャツと新聞まで用意してきていただいたのには驚いたり笑ったり。どうもありがとうございました。



(協力・資料提供:原田さん 2021年4月記)




開始より1:11(神奈川県横浜市南区南太田)

「でもなあ、主犯は声から推定して若い男らしいというだけでねえ、誘拐した子供にも黒メガネとマスクの顔しか見せていない。これじゃあ手のつけようがないぜ」

公衆電話の捜査は続く。
実はこのシーン、もう少し後の捜査会議のシーンに登場するのだが、南太田の権藤邸、竹内のアパートの位置を推測する材料の一つになるので、前後するが先に紹介させてもらうことにする。
ここは京浜急行線南太田駅のガード下。高台に建つ権藤邸が見えている。



(撮影・2009・10・04)

↑ 京急線と平戸桜木道路が交差する南太田駅のガード下。 この位置からは現在でも権藤邸の高台を望むことができる。
この電話ボックスも前述の吉野橋の電話ボックス同様、撮影のために置かれたものだと思われる。
ガードを支える鉄骨の柱が当時のまま残っている。


ではなぜこの外観用の権藤邸を、浅間台とは別に作らなければならなかったのだろう。それは地上から見上げる権藤邸の画面が、脚本に沿った理想的なイメージ、理想的な構図で撮影するために必要だったからだと思う。
南太田の権藤邸セットは「日蓮宗西中山 常照寺」という寺院の境内に作られた。この地域、小山のような高低差があり、常照寺の本堂は平地にあるが、権藤邸セットはその本堂の背後にある小山の山頂部分に作られた。そこには現在「日蓮聖人大銅像」が建立されている。

しかしあくまで設定上の権藤邸の位置は浅間台だ。セリフの中にも「浅間台」と出てくるし、捜査会議の場面で壁に大きく貼られた地図でも浅間台が権藤邸の位置になっている。



↑ 現在は高い建物が増え、権藤邸が建てられた山頂を地上からはなかなか見ることができない。Hさんが京急線南太田駅南側のスーパーマーケットの屋上から権藤邸セットが建てられた高台を撮影してきてくれた。「日蓮聖人像」と書き入れた位置がほぼ権藤邸セットの位置。



↑ 1981年建立の「日蓮聖人像」。高さは10mもある。山頂のこの平地に権藤邸セットが建てられた。この高台、当時の地元の方からは「ダンゴ山」と呼ばれていたそうだ。

(2017・11・12 撮影:原田教隆さん)




開始より1:03(神奈川県横浜市南区宿町/花之木町・蒔田公園)

「捜査本部の発表によりますと、犯行の動機は単に金だけが目的とは思われません。犯人からの電話の言葉には多分に嫌がらせの調子が、権藤氏に対する何か異常な憎悪といったものが・・・・」

竹内が住むアパートの自室にあるラジオが誘拐のニュースを伝えている。世間では権藤氏に同情的な意見が多いと言っている。
竹内はラジオを違う局に変える。するとシューベルトの「鱒」が流れ出す。さっき竹内が川沿いを歩いていた時に流れていた音楽だ。そうか、あれはBGMではなくて電気店から聞こえていたラジオの音だったのか! と観客は気が付く。

竹内の部屋の窓からは権藤邸がよく見える。前述した常照寺の高台に建てられた権藤邸セットが直接見えるのだ。ということはそういう位置にアパート室内のセットが作られたことになる。そして窓の外側、隣家の屋根などもセットと思われる。家と家の隙間からうまい具合に権藤邸が見通せるようになっている。この大掛かりな屋外セット、どこに作られたのだろう。



仰ぎ見る南太田の権藤邸は、竹内のアパートの窓から以外にも、公衆電話を特定する捜査過程のシーンで3回登場している。それらの撮影位置はすでに特定済みだ。権藤邸がどのような角度で見えるのかの違いから、ある程度アパートセットの位置も推測できるはずだ。

下図右側は捜査過程で登場する3ヶ所から見た権藤邸だ。(写真は権藤邸のみをトリミング)
吉野橋から見た権藤邸はほぼ正面を向いている。撮影位置がそれよりも右に寄った、刑事とすれ違った川沿いからでは建物の右側面が見えてくる。さらに右に寄った京急のガード下からでは、もっと右側面が見えてくる。
撮影位置から権藤邸までの距離に従って、見上げる角度が違っているのも理屈通りだ。



映画の中で竹内は川沿いの道を刑事たちとすれ違うようにして歩き、狭い路地に入り、自室のある「日の出アパート」に着く。図の折れ曲がった青矢印が竹内が歩いた方向だ。これを見るとアパートは上図の中で「注1」と書いた付近になるはずだ。果たしてアパートセットはこの位置だったのだろうか。

竹内のアパートから権藤邸はどう見えたのかというと、上図の右側一番下のように写っている。
今度は逆に権藤邸の左側面の壁が見えているのだ。ということは竹内が川沿いから入った路地の付近では全然なく、吉野橋よりももっと左からの角度ということになる。
しかし権藤邸からの大まかな方向は分かったものの、具体的にセットが作られたのはどの位置かはまだ漠然としている。
ここでスチール写真がヒントをくれた。




↑ 本編映像には出てこないスチール写真。
権藤邸が高台にあり、常照寺の本堂がその少し左にずれた地点に見え、その手前、権藤邸とはほぼ同じ方向に「多摩モータース」と書かれた看板が写っている。権藤邸は左側面が少し見えている。



↑ 「多摩モータース」は建物が新しくなっているが現存する。位置は当時とほぼ同じとみてよいと思う。
常照寺本堂は当時と建物は変わっていない。
それを地図に落とし込むと上図のようになる。スチール写真が撮影された位置は、権藤邸の側面の見え方、仰ぎ見る角度を考えると、大岡川を挟んだ蒔田公園(まいたこうえん)のこの辺りの位置になるだろうか。前後位置の誤差は多少あるかもしれない。
竹内の部屋から見た権藤邸と比べてみる。スチール写真よりもう少し権藤邸の左側面が多く見えている。ということはもう少し左寄り。竹内の部屋のセットが作られたのは「アパートセット位置」と書いたこの辺りか。



↑ 竹内のアパート室内のシーンはもう一度ある(開始から1:42)。竹内がカバンを焼くためにダンボールに詰めるシーンだ。このシーンでの映像は、これまで見てきた室内シーンとは同じセットでもカメラ位置が微妙に違っていて、別の手がかりが見える。高台の下にある常照寺本堂と思われる屋根が写っている。
その部分を拡大し、同じ方向から見た現在の本堂の屋根の形状と比べてみた。大屋根中央の何と呼ぶのか三角の屋根の形状、方向が一致する。常照寺本堂に間違いない。
ちなみに静止画では確認しづらいが、その手前を京急の電車が左から右に通過しているのが写っている。(図の下の赤楕円・注1)
「竹内が住むアパートの部屋のセット」は、ほぼこの辺りで間違いないと思う。公園に作られたのだ。

ここでネット上で以下のような記述を発見。

「子供のころ、南太田駅の裏山の頂上に突然大きな家が出現し、『あれ、あんなところに家があったっけ』と思っていたのですが、いつかまた、気づかぬうちになくなっていました。また、その『豪邸』があったころ、蒔田公園に巨大なテントが設置されていたのですが、そこに、セットが組まれていたのではないか・・・」(抜粋)

おー!素晴らしい!



↑ 現在の蒔田公園の、特に権藤邸があった北側には高速道路が縦横に走り、権藤邸が作られた高台など見ることができない、と諦めていたところ、わずかに常照寺の高台の繁みと、建て替えられてはいるが現在もほぼ同じ位置にある「多摩モータース」の看板を同時に見られる地点があった。



↑ 常照寺の高台の繁みはわずかしか見えないが、この繁みは高台のどの辺が見えているのだろうか、と同日に撮っておいたスーパーマーケット屋上からの写真と見比べてみた。権藤邸までの距離は全然違うが、方向は大体合っている。両方の写真に写っている繁みの形にどこか一致する箇所はないだろうか。樹木の頂点付近に季節がら新緑が出始めたような、まばらな状態のところを双方から見つけた。すると権藤邸が建てられたのは赤い四角の位置くらいになるはずだ。

たまたま蒔田公園で写したこの写真のカメラ位置は、竹内が権藤邸を正面に見上げ、映画画面には写っていないが、もし写っていたとしたら、多摩モータースはその視線からやや右にずれているはずの、先ほど図の中で「アパートセット位置」と仮定した条件に合致している。
この蒔田公園でのカメラ位置は、当たらずとも遠からず、といったところではないだろうか。


「天国と地獄」のロケ地を回り始めて10年以上になる。読み返してみると、始めたうちはロケ地特定の難易度も高くなかったこともあるが、解説もサラッと書いてある。それがだんだん歳を取るにつれ、解説がくどくどと長くなり、それで分かりやすくなったかといえば全然そんなことはない。困ったものだとは思っている。
(2021年4月記)

(協力:原田さん 三浦さん)




開始より1:10(神奈川県横浜市南区中村町・稲荷坂)

「そりゃあ、あなたは立派な事をした。世論はあなたに大変同情的だが・・・」
「同情は一文も出さずにできます。しかし我々は金を、まとまった金を出してるんです。同情なんかしてられませんよ」

< 権藤宅に押しかけた三人の債権者たち(山茶花究・浜村純・西村晃)は権藤に融資の返済をせまる。
ちょうど捜査の報告で権藤邸を訪れていた戸倉警部と田口刑事は、権藤が窮地に陥っている様子を見て、複雑な気持ちで権藤邸を後にする。
二人の刑事を乗せた車が坂道を下って行く。二人の沈痛な表情を、併走する別の車に乗せたカメラが捉える。

しかしこのシーンの撮影に使われた坂は、前述した二つの権藤邸、浅間町のセットからの下り坂でも、南太田の丘に作られたセットからの下り坂でもない。それらとは全く別の場所にある坂なのだ。



(撮影・2009・10・04)

↑ ここは根岸の高台から国道16号に降りる稲荷坂と呼ばれている坂。当時は右側に切り立った崖が写っているが、現在は切り崩されたようで存在しない。遠くに見える高架道路は首都高速狩場線。

それにしてもこの長くてゆるい坂、高台の豪邸から下る坂にふさわしい雰囲気がある。幹線道路でもないのに当時としては綺麗に舗装してある。この坂の上は米軍の根岸住宅。そうか!米軍のための道路かもしれない。試しに1944年(昭和19)の航空写真で確認してみるとこの道路、案の定、存在しなかった。



↑ 画面の中で、現在も同じ建物が見える位置部分を拡大してみた。
この範囲の中でA.B.C.Dの四つの建物が同一であることが確認できる。
Aは寄棟造りの屋根が特徴的な商店。Cは入母屋造りの居酒屋。Dは印章店だ。Bの建物は残念ながら現在は解体され、マンションに変わっている。(2015年・記)

追記:さらにその後「A」の寄棟屋根の商店、2017年3月までには解体が済み、更地になっているのが確認されている。(情報提供・Aさん)




開始より1:13(東京都千代田区有楽町1丁目)(カメラ位置)

「店番の婆さん、目は悪いし、耳は遠いし、処置なしです」

「捜査会議」において、分担された各方面からの捜査状況が報告される。
担当した刑事が説明すると、その捜査状況画面がカットバックで挿入される。

「次、列車電話の方の報告を聞こう」
と戸倉警部が言うと、それを担当した二名の刑事が立ち上がり、
「かけた場所が簡単に解りました。千代田区有楽町二丁目六番地、有楽町駅近くのガード下のタバコ屋の赤電話です」
と報告する。特急こだまに乗っている権藤氏に、犯人が身代金受け渡しの指示をする列車電話をかけた場所を捜査しているのだ。

まず、高架線路上を向こうからこちらに進んでくる車両が写る。山手線外回り、101系という車両だ。当時の車体色は現在の総武線カラーと同じカナリア・イエローのはず。
車両の先頭部分が画面中を通過するか、しないか、くらいのタイミングでカメラは下に振られ、ガード下のタバコ屋に向けられる。すると刑事二人が聞き込みのためにタバコ屋に歩み寄る。有楽町シーンはここまで。全体で7秒くらいのワンカット。綱渡り的なタイミングだ。

映画ではやや高い位置からタバコ屋を見おろすように撮影されているのだが、現況写真はカメラが据えられたと思われるビルの上部には上がれず、仕方がないので地上から撮影した。タバコ屋があった位置にタバコ屋は無い。飲食店になっている。では当時はタバコ屋だったのだろうか。しかしこれはどうやら撮影のために、タバコ屋とは違う店舗をタバコ屋に見せている気がするがどうだろう。



(撮影・2014・08・28)



このカットを撮影したカメラの位置を想像すると、有楽町駅の西側の晴海通り添い。高さはビルの3階か4階くらいではないかと思う。
↓ 1969年の住宅地図を見てみる。お誂え向きな場所に「東宝有楽ビル」というのが見える。ここの公算は高いと思う。角度的距離感的にも合致する。
「カメラ位置は日活ホテルの屋上から」という説もあることは承知しているが、そうなると角度的に煙草屋の位置は死角になり写すことができないように思える。山手線の車両のかなり正面を向いた見え方、タバコ屋が面する線路下の通りの角度の見え方から考えると、ここでは『東宝有楽ビル』をカメラ位置と推測したい。



↑ 1969年の住宅地図と、撮影年は不詳だが有楽町近辺の空撮俯瞰写真。俯瞰写真撮影時にはまだ「東宝有楽ビル」は竣工以前と思われる。

↓ ①は撮影用(?)に取り付けられた看板。②は何かを(例えば飲食店のサンプルケースとか)隠している板と思われるのがどうだろうか。③はたばこ屋のケースなのだが公道にはみ出ているようだ。撮影用かと考えた根拠。
④は後のシーンで花屋の店員や酒場の客で出演している記平佳枝さんがここでも子供を連れた通行人として姿を見せている。大活躍だ。




↑ 高い位置からの撮影ができず残念だったが、しかしディテールに収穫あり。⑤はガード下の壁面に沿う雨樋(?)とそれを固定する金具、レンガの凹んだ装飾が残っていた。

この映画で、撮影所は別として神奈川県以外のロケ地というと、ここと、国鉄関係者捜査場面の田町電車区、権藤邸の門の田園調布の三ヶ所だけだと思う。

(2021年12月・追記)
(協力:Hさん 住宅地図提供:Yさん)




開始より1:14(神奈川県藤沢市片瀬海岸)(作品の正確なロケ地ではなく今回の撮影地点)

「この太陽はたぶん夕日でしょう。あの辺からは夕日が沈む時、どこからでもこんなふうに見えます」

誘拐された進一は、監禁された場所は「海と富士山の見える所」と証言している。子供にその時の絵を描いてもらい、その場所を突き止めようとする刑事からの捜査報告場面。
茅ヶ崎沖に浮かぶ烏帽子岩(えぼしいわ)の向こうには伊豆方面の山々がシルエットになって見える。
しかし山の稜線と烏帽子岩の位置が一致しない。作品の撮影地点はもっと茅ヶ崎寄り、多分、辻堂かそのあたりではないかと思う。これは要再巡礼だ。

「天国と地獄」は出演者の服装でも分かる通り、残暑厳しい時に事件が起き(9月3日にこだま号での身代金受け渡しの設定)、捜査をするという作品だ。しかし湘南方面のロケは実は11月から12月にかけて行われている。刑事たちは半袖のシャツを着、汗を拭き、セミの鳴き声が聞こえて・・・。まるで暑い季節にしか見えない。
この「富士山と海」のシーンでの富士山はシルエットになっているのでよくわからないが、後に出てくる別荘番をしている共犯者のシーンで写し出される富士山はしっかりと冠雪している。しかしそれを見て「あ、暑い季節じゃない」と不思議には思わない。暑い季節だと信じ込んでいるから。
冠雪している富士山は黒澤の妥協なのだろうか。しかしよほど富士山の冠雪状況を気にしている人には不自然に感じるだろうが、そうではない多くの観客にとっては富士山には雪があってあたりまえだろう。富士山を富士山らしく見せるには、むしろ冠雪は必要だったのだ、と思うのは黒澤をかいかぶりすぎているだろうか。



(撮影・2009・11・03)

前述したように作品のロケは11月から12月に行われている。烏帽子岩越しに伊豆の山々の稜線が見え、そのある地点に日が沈む。ということは同じ位置に日が沈む写真を撮るには同じ季節を選ばなくてはならない。今がまさにその季節なのだ。

巡礼当日、現地には電車で出かけた。まず腰越の坂のあたりの撮影。それが済むともう日が暮れかけてきた。今の季節は日が短いのが困る。
あわてて「海と富士山」の現場へ。徒歩だ。江ノ島の向こうに行かなければならないのだが江ノ島は遙か遠くに見える。日の入りに間に合うだろうか。急ぎ足で30分ばかり歩く。かなり寒い日なのに汗ばんでくる。
やっと江ノ島。日はもう沈んでしまい、空は薄暗い。富士山が見えそうな快晴だったので今日を選んだのだが、ちょうど富士山のあたりだけ雲が出てきて富士山が見えない。もっと茅ヶ崎寄りに行かなければならないのだが、これ以上行くと真っ暗になってしまう。

あきらめて新江ノ島水族館のあたりから海岸に出る。遠くに烏帽子岩が見える。一応写真を何枚かバシャバシャ。
棒のようになった足をひきずり近くのデニーズへ。もう完全に真っ暗。ほっと一服。ハンバーグとエビフライの盛り合わせ。
この「何やってんだろうな、オレ」感がなんともたまらない。

夕暮れの海岸からシルエットで見える富士山。 冠雪している富士山が見える。汗を拭う刑事。




開始より1:15(神奈川県川崎市川崎区田辺新田)

「工業用エーテルの線を追うとなると、大は造船、車両、自動車工業から、小は個人の鉄工所、修理工場まで洗わなければならんことになります」

犯人は人質誘拐の際にエーテルを使用している。その入手経路の捜査を担当した刑事からの報告場面。
刑事が工場に聞き込みに行った場面が挿入される。刑事の背後には凸形屋根の工場建物、手前に3本、その向こうにさらに3本、合計6本の煙突が見える。画面に見える情報はこれだけしかない。ここはどこなのだろう。犯行が行われた場所に近い所だとすると、横浜、あるいは川崎の工業地帯と思われるが・・・しかしこの場所をその線で追うとなると、大は造船、車両、自動車工業から・・・・。



(下2枚「兄貴の恋人」(開始から1:18)より)

↑ 「天国と地獄」のこの煙突のシーンと同じ場所で撮影されたのではないかと思われるシーンが登場する映画を発見。「兄貴の恋人」(1968年・東宝作品・監督:森谷司郎・出演:加山雄三、内藤洋子、酒井和歌子 他)という作品だ。たまたま観ていて、あっと思った。その中で内藤洋子は川崎駅で降り、徒歩でこの煙突の見える場所まで行っている。するとここは川崎駅近くか。しかし具体的にこの場所がどこなのかは分からないでいた。
そのまだ分からなかった時に、

『実はこのロケ地、特定できていない』

と書いたところ、 「東宝映画のロケ地を訪ねる・喜劇 駅前団地」で、森繁久彌が院長を務める暁天堂戸倉醫院のロケ地、久本薬医門公園を教えていただいた「Gさん」からご連絡。

「有力な写真を見つけました」

↓ それが下の「昭和43年川崎市渡田地区日本鋼管付近」(「神奈川県環境科学センター」による資料 )という航空写真。
この中に「天国と地獄」の場面に写っている合計6本の煙突が写っているとのこと。私にはすぐには見つけられなかったが、あーっ!これか!とやっと見つかった。いやあ、それにしても・・・凄い!



↑ これは当時の日本鋼管の工場らしい。
私など、複雑怪奇なこの川崎の工業地帯(川崎という保証もなく)の中から、どこにこの3本、あるいは6本の煙突があるのかを見つけるなど思いもよらず、最初から諦めていた。
だいいち私にはこの写真が川崎のどこになるのか、それすらもよく分からず、「日本鋼管(現JFEスチール)」という手がかりでやっと地図上にこの位置を見つけることができた。ああ、ここが分かる日が来るとは。

↓ 「天国と地獄」「兄貴の恋人」両作品とも並んでいる煙突を斜めの角度から見ている。撮影しているカメラはどこなのだろう。この項の最初に掲げた映画画面と下の図を見比べてほしい。
まず「天国と地獄」では、凸型屋根の右端が、手前3本の煙突の一番左の、さらにやや左側越しに見える。
同じように「兄貴の恋人」では一番左の煙突と真ん中の煙突の中間くらい。
この延長上にカメラが据えられたことになる。青線が「天国と地獄」、緑戦が「兄貴の恋人」だ。
両作品とも、望遠レンズで撮影されているようだ。すると国鉄鶴見線と並走する道路上がカメラおよび出演者の位置ではないかと思われる。「天国と地獄」では刑事の後ろをトラックが通過していることでも、ここが道路上だと想像できる。
両作品とも地面は写っていないので判断が難しいのだが、ことに「天国と地獄」では、いくら望遠レンズとはいえ、カメラはもう少し工場に近い位置(工場と道路の中間にある空き地状態の所か?)から煙突を見上げている画面のようにも見える。どうだろう。しかし延長線上であることは間違いないと思う。



↓ さて、「兄貴の恋人」で煙突シーンの直前、内藤洋子が電車の通る線路沿いの道を歩いているシーンがある。煙突シーンの直前なので、ロケ地の位置的な設定が実際に沿っているなら、推測している煙突シーンの撮影地点に近いはずだ。



↑ このストリートビュー画面は、煙突背景シーン推測撮影位置から50メートルばかり西に寄ったあたり。カメラの位置、高さが異なり、見え方が違うが、鶴見線の高架線柱、道路との境のコンクリート柱など、映画画面に近い場所と思う。線路はもちろん鶴見線。ここから内藤洋子が50メートル位こちら方向に進めば煙突があのように見える地点になる(現在はもう煙突は無い)。おお!場面進行上ともピッタリ合致する。
しかし、ちなみにここは内藤洋子が降りた川崎駅から徒歩ではけっこう遠い。4〜5kmはある。最寄駅は鶴見線の浜川崎駅、あるいは武蔵白石駅になる。

G様、「喜劇駅前団地」での「久本薬医門公園」同様、なかば諦めていたこの撮影地を特定をすることができました。ありがとうございました。 (2015・06・29記)
(協力・Gさん)




開始より1:16(神奈川県横浜市神奈川区浦島丘)

「ナンバーを変えていることも考えられますので、捜査三課の方で灰色の59年型のトヨペットをシラミつぶしに調べてます」

犯行に使用した盗難車の捜査を担当している刑事からの報告場面。
白バイが走行中の灰色のトヨペットクラウンを停めさせている。



(撮影・2014・07・09)

実はこのシーン、以前は全然違う間違った場所を撮影地として紹介していた。そこへ、
「これは『横浜市神奈川区浦島丘』付近の国道1号線だと思います」
とのご指摘をいただいた。
私はこの道路と左側に見える線路とが立体で交差しているとばかり考えていたのだ。それで交差している地点を地図上に見つけ、安易に特定してしまっていた。お恥ずかしい。
実際のロケ地は横浜駅からは北東に位置するJRと京浜急行の線路がひしめく一帯にそった国道一号線だ。国道一号線と線路とは高低差があり平行して通っている。
歩道際のフェンス、鉄道上に設けられた橋などによって、この位置からは線路の様子がほとんど見えなくなってしまっているのが残念だが、線路際に近づいてみると、作品に写っているようにたくさんの線路がカーブを描いている様子を見ることが出来る。こちらから見て国道一号の右側が石垣になっている様子も一致している。

ここへはご指摘いただいた横浜在住のHさんに同行していただくことができた。そしてこれがきっかけで「天国と地獄」の他の多くのロケ地を特定できることになる。まさに強力な助っ人の出現。本当にありがとうございました。
(協力・Hさん)




開始より1:16(神奈川県横浜市中区山下町・横浜中華街)

「紙幣番号はアルファベット別に分類した一覧表を作りまして、市内のタバコ屋、食堂、喫茶店、映画館等に配布は終わりました」

身代金の千円札は番号が控えてある。その千円札が使われたら、そこから足取りをつかもうという作戦だ。数名の刑事が紙幣番号の一覧表を配る分担を確認している。

↓ ここは横浜の中華街。その中でもメインストリートといえる中華街大通りの「親仁善隣」と掲げられた「牌楼門」(現在の「善隣門」)から入ったいちばん賑やかな所。中華街にはいくつもの門があるが「牌楼門」はいちばん最初(1955年)に建てられた門だ。門の外側には「中華街」と掲げられていて、それまで「南京町」と呼ばれていたのが「中華街」と呼ばれるようになるきっかけを作った。



(撮影・2015・06・02)
↑ 1989年に建て替えられ、現在の「善隣門」となった。やはり同じく「親仁善隣」と掲げられている。

↓ 作品のカメラ位置からでは現在、木が繁っていて、門がよく見えない。近寄って撮影してみた。




↓ 刑事の一人が他の刑事たちから離れ、一覧表を手にして角を入っていく。もちろん現在もその角がある。



(撮影・2015・06・02)

勝手のわからない中華街。今回もHさんに同行をお願いして案内してもらった。撮影を終わって台湾料理の店で「お疲れ様」の一杯。横浜取材は楽しいです!
(協力・Hさん)




開始より1:27(横浜市中区尾上町・尾上町交差点)

「とにかく、あの子をつかまえなきゃ今日の仕事にならん。青木はおそらく酒匂川に行くよ。東海道を追いかけよう」

運転手の青木(佐田豊)は息子の進一(島津雅彦)を連れ、子供の記憶をたよりに手がかりを探そうと行動しているらしい。ボースンこと、田口(石山健二郎),荒井(木村功)の両刑事がそれを追い、交差点を左折する。 ここは関内駅に近い関内大通りの尾上町交差点。



(撮影・2015・06・02)

↑ 正面が海方向。ビルの建て替えが進んでいるが、かろうじて交差点からも見える矢印のビルは当時と同じもののようだ(最上階は建増しと思われる)。これは横浜銀行協会。その向こうの突き当たりに見えるのは日本郵船(現・日本郵船歴史博物館)。これも格調のある古い建物だ。しかしイチョウの並木が50年の間にごらんのように成長してよく見えない。

↓ 映画からの拡大写真と、交差点からもっと横浜銀行協会に近寄って撮影した現在の写真。






(撮影・2015・06・02)

↑ 交差点でハンドルを左に切ると、向こう左側の角に立つビルの45度に隅切りされた角が見えてくる。当時のここは大和銀行。現在は銀行ではなく、他業種になっているが建物は変わっていない。
(協力・Hさん)




開始より1:28(神奈川県小田原市小八幡3丁目)

「お父ちゃん、お父ちゃん」
「どうした、何か見た物を思い出したか?」
「僕、あそこでオシッコしたよ」

運転手の青木が息子の進一を車に乗せ、犯人の車に乗せられた時に通った道順を探している。 すると進一がある地点を指差す。



進一が指差した先には松の木と木造の平屋の建物が見える。車は一旦止まるが、青木は黙って車を発進させる、というシーン。
ここはどこだろう。
このシーンの二つ前のシーンで、青木親子が国道1号が酒匂川を渡る地点に立ち、「降ろされたのは確かにここだね。じゃ引き返すから後ろの窓から道をよく見てるんだよ」と言い、車で国道1号を東方向に向かうシーンがある。ということはこの道路はおそらく国道1号、それも酒匂川以東ということになる。
このシーンは17秒ほどのワンカットだ。何か具体的に場所を特定できる材料は写ってないだろうか。



画面をコマ送りして見ていくと、進一が指差した地点とは道路を隔てた向かい側に「いづみ 置場」と読める看板が一瞬写る。「いづみ」の文字と「置場」の文字の間隔が広く開いていて、そこに何か文字が書かれてあったのかもしれないが読めない。おそらく赤ペンキが退色してしまったのか(赤の塗料にはよくあること)、白黒画像だからなのか。
付近には土管など、土木関係の資材が置かれているようだ。
酒匂川近辺の国道1号というと小田原市だ。「いづみ 小田原市」で検索すると国府津駅の近くに「いづみ建材株式会社」という会社が見つかった。業種は「土木建築材料」とあり、場所は国道1号添い。これはかなり有力かもしれない。
「いづみ建材株式会社」の位置をストリートビューで見てみる。しかしどうも道路がカーブする具合が一致しない。進一が後ろのシートから後ろを見る、ということは国道1号の下り方向を見る、ということなのだが、道は緩やかに右にカーブ(車の進行方向としては左にカーブ)していなければならない。ところが「いづみ建材株式会社」の前はそうなっていない。カーブの仕方が逆なのだ。
さらに付近を探してみる。



↑ 「いづみ建材株式会社」から西に300メートル程の地点、この辺りから下り方向を見ると道路が理想的にカーブして見える。左側には進一が指さした松の木の形状に似た松も見える。ここではないだろうか。しかし「いづみ 置場」であるはずの位置は現在、住宅が建っている。しかしそれは60年近くも経ってからの状況だ。変わっていて当たり前。それに看板には「置場」となっているので本社とは別の場所にあって不思議ではない。看板は「いづみ建材置場」と書かれていたのではないだろうか。
上図で松の木を見てみると、B、C、Dは幹の傾きが一致しているように見える。一番手前の太いAの松は伐採されたのか見あたらない。(その後、BとEも伐採されて現在(2021年)には存在しない。上図のストリートビュー画面は2015年時点のもの)

道路のカーブと松の木だけでは決め手に欠けるかもしれないが、これ以上の状況は国道1号沿いでは他には見あたらない。ここを「僕、あそこでオシッコしたよ」の一応のロケ地と仮定した。
ここまでの調査が数年前。

2021年、Hさんが横浜市立図書館に行き、1966年の当該地の住宅地図を閲覧させてもらってきた。横浜市立図書館所蔵の小田原市の住宅地図では一番古いものとのこと。
さてどう記されてあるだろう。

真っ先に車を停車させたと推定した位置を見る。「いづみ建材置場」とある。やった!数年前の推定は当たっていた。
進一が指差した方向にある木造平家は「倉庫」とあるのがそれだろう。
映画画面でその向こうに二階建ての洋風の建物が写っている。これは住宅地図上の「和田玩具製作所」ではないだろうか。(現在は「株式会社ワダガング」と社名変更し、同地裏手にて操業)
「いづみ建材置場」の両隣を見てみる。住宅地図で向かって左隣は「古谷運輸」となっている。作品にも建物は写っているが看板は読めない。ストリートビューを見ると「古谷運輸」。右隣は作品にはギリギリ写ってないが住宅地図では「報徳タクシー」となっている。ストリートビューでは「報徳ハイヤー」。
(A~Eは先の新旧比較画像の松の木の位置)

ロケ地特定の裏付けは完璧だ。
Hさん、ありがとうございました。



↓ これまで進一が車の後ろの窓から見た、せいぜい100メートルばかりの範囲を見てきた。全体としてここがどのあたりなのか理解しやすくするためにもう少し広範囲の地図で見てみた。



進一が「僕、あそこでオシッコしたよ」と指さしたのが住宅地図上の「倉庫」であったのなら現在は「ガスト」になっている。ガストに入り何か食べてトイレを借りればここを通る機会がある度に「僕、あそこでオシッコしたよ」と言える。行ってみるか。

(2021年2月・記)
(住宅地図提供:原田さん)(協力:原田さん・三浦さん)




開始より1:28(神奈川県横浜市戸塚・横浜新道戸塚料金所)

「じゃあ、青木の車を追います。見つけ次第、子供を連れて予定の地域を周ります」
「ちょっと待てボースン」

鑑識からの報告によると、犯人が乗り捨てた盗難車には魚市場付近を通った形跡があった。戸倉警部から腰越の魚市場へ向かうよう指令が出る。横浜新道の戸塚料金所を通過しようとするボースンと荒井刑事の車。



(撮影・2009・11・01)

料金所の構造そのものは当時と変わっていないように見える。しかしその後の交通量増加や最近のETC導入などによって、ゲート数はずいぶん増えているようだ。




開始より1:30(神奈川県鎌倉市腰越)

「ボースン、なんだかホシが近いって気がしますね」
「あの丘の上に行こう。いいか、デカみたいなツラするなよ」
「僕は大丈夫ですよ。でもボースンのその顔は整形手術でもしなくちゃね」





(2009・11・01 撮影写真に映画画面をはめ込み)(地図番号1)

運転手親子を捜し海岸沿いを走る国道134号線に出た田口,荒井両刑事の車。道路と平行して走行している鉄道は江ノ電(江ノ島電鉄線)だ。
江ノ電は存続が危ぶまれた時期もあったが、現在でも元気に走っている。住民の足としての役割ももちろんだが、観光客や鉄道ファンにも人気だ。巡礼の時にも車両にカメラを向けている人を何人も見かけた。




(撮影・2009・11・01)(地図番号2)

道端に車を寄せ、降りてみる両刑事。眼前に江の島が大きく見える。灯台は作り直されていて、位置が多少移動している。右手に突き出しているのは小動岬(こゆるぎみさき)。
荒井刑事は「なんだかホシが近いって気がしますね」と言っているが私は「なんだか(ロケの)現場が近いって気がしますね」と緊張した。




(撮影・2009・11・01)(地図番号3)

「あの丘の上に行こう」と振り向く。すると線路沿いに崖が切り立っている。
両写真とも画面左の方に教会の十字架が見える。建物は建て替えられているようだが。




開始より1:30(神奈川県鎌倉市極楽寺)

「お父ちゃん、お父ちゃん、ぼくこのトンネル見たよ」

独自に捜査の手伝いをしようとする青木親子は、眼下に線路とトンネルの見える場所にさしかかる。子供の記憶だとどうやらこの橋を渡ったらしい。



(撮影・2009・12・23)(地図番号4)

ここは江ノ電「極楽寺」駅付近だ。鎌倉らしい高低差が大きい自然の中にある。


青木親子が江ノ電の線路をまたぐ橋を渡る直前、道沿いに縁側のある古い建物が一瞬見える。現地に行ってみたらそれがまだ存在していた。「導地蔵」と書かれてあった。
(撮影・2009・12・23)




開始より1:31(神奈川県鎌倉市腰越)

「おいっ!無茶しちゃ困るっ!探偵気取りはやめてほしいな!」
「・・・私が今朝、車を玄関にまわすと旦那様がこう仰るじゃありませんか。『青木、今日から閑になるよ。もう毎日工場へ行く必要はないんだ』旦那様は笑ってそう仰ったけど、胸の中が煮えくりかえってるのは私にはよくわかる・・・だから・・・」





(撮影・2009・11・01)(地図番号5)
国道134号線から江ノ電の線路を横切り、丘の上に上がる坂を登る刑事の車。 道幅は狭く勾配は急だ。
実際に車で登ってみると、そうとう急な坂であることが実感できる。一方通行ではないので見通しのきかない前方から車が来るかもしれないと思うと、慣れた人でも怖いだろう。しかもすぐ後は線路だ。荒井刑事が運転する車はおそらくマニュアル車。運転技術が確かでないとできない。




(撮影・2009・11・01)(地図番号6)
道は何度か右、左と曲がる。道を切り開いた両側は崖になっている。この場面では右側の岩肌に当時と変わらない様子が見てとれる。




(撮影・2009・11・03)(地図番号7)
核心の場所に来た予感からか、車はゆっくりと慎重に進む。
当時のままの岩肌、石垣が見える。




(撮影・2009・11・01)(地図番号8)
刑事たちの車が左の路地に入るのと同時に向こうから運転手青木と子供を乗せた車が現れる。 道路の形状などからここで間違いないと思うが、青木の車が現れる角から向こうは当時と様子が違う。現在ではだいぶ宅地として造成が進んだようだ。




(撮影・2009・11・03)(地図番号9)

車から降りてあたりの様子を探る親子を見つけた刑事たち。「無茶しちゃ困るっ!」と青木に注意をする刑事。
このあと子供がこの場所で共犯者のいた別荘を見つける。
背後は大谷石の石垣。当時と変わっていない。





(地図番号10)
殺されていた共犯者の別荘の庭から走行する江ノ電を見下ろす荒井刑事。
国道134号線と江ノ電が合流する地点の高台の上だ。
この別荘のセットは「ボースン、子供がいない!」と言って踏み込む地点(地図番号9)とはやや離れた場所に建てられたようだ。
この江ノ電を見下ろす地点は柵がしてある私有地の中にあり、入ることはできなかった。


現在の地図に書き入れたものです。




開始より1:48(神奈川県横浜市西区浅間台:カメラ位置)(神奈川県横浜市西区西平沼町:煙突位置)

「ママ!とっても奇麗だよ!煙突からね、桃色の煙が出てるよ!」

身代金を入れた「7センチ以下の厚みの鞄」には水分を吸収すると猛烈な悪臭を放ち、燃やすと異様な牡丹色の煙が出る薬品が仕込まれてある。どうやら犯人は手がかりになる鞄を燃やして処分したようだ。
フィルムに特殊処理で着色された桃色の煙を見る権藤、刑事たち。



(撮影・2014・07・22)

桃色の煙を出した煙突は何処にあったのだろう。
その位置は権藤邸から見て、煙突の手前に写っている県立平沼高校と、さらにその手前に写っている横浜市立岡野中学校(現在はどちらも建て替えられている)との位置関係で推定できる。
しかしその推定される位置の近辺には現在、こんな高い煙突など立っていない。
映画撮影当時の住宅地図と航空写真を見てみる。すると推定される位置に「横浜精糖」の工場があり煙突もあるようだ。ここだったのか。
この「横浜精糖」の工場跡、その後建て替えられてボーリング場になった時期もあり、現在は歯科技工士の専門学校になっている。(Hさん情報)



↓ Hさんは大変な写真を県立図書館から見つけてきた。桃色の煙を出した「横浜精糖」の工場の写真だ。撮影年は不明。映画と当時の航空写真とで確認できる煙突、建物の様子が完全に合致しているのがよく分かる。もう間違いない。
「横浜精糖」はその後、三社が合併し、「スプーン印」の商標で知られる「三井製糖」となっている。


写真出典「グラフィック“西” 目で見る西区の今昔 西区郷土史研究会/編集 西区観光協会(1981)」
(協力:Hさん)

横浜出身の人の証言で「煙突のシーンの撮影中に凧揚げをしていて、凧揚げを止めさせられた」という話を聞いたことがある。
Hさんは「多分、平沼高校の手前にある「岡野公園」のグランドで凧揚げをやっていたのではないか」と推測する。
冬に真夏の映画を撮影していたという格好のエピソードだ。




開始より1:48(東京都世田谷区成城1丁目・東宝撮影所・現東宝スタジオ)

「ブリキは燃えねえってんだよっ!」

桃色の煙を出した煙突は市内の病院だった。そこには竹内がインターンとして勤務している。病院の焼却所を訪ねるボースン。
焼却炉の前にはゴミ置き場があり、トタン板の簡単な囲みの中は雑多なゴミがあふれかえっている。スキマからは外の様子が見える。煙突や病棟と思われる建物など。
このシーンはどこで撮影したのだろう。



作品中に映しだされる桃色の煙を出している煙突、これは浅間台に作られた権藤邸のセットから見おろす西平沼町にある「横浜精糖横浜工場」の煙突だとわかっている。(前項参照)
それならこの病院の焼却所もその「横浜精糖横浜工場」の敷地内に作られたものなのだろうか。トタン板のゴミ置場と焼却炉はどうやら映画のために作られたセットのように想像できる。焼却炉の向こうに桃色の煙を出したと思わせる大きな煙突が写っている。

映画では焼却所の作業員(藤原釜足)の動きに合わせてカメラが左右に振られ、トタン板の隙間から外部の様子が見えている。
焼却所から見える建物や煙突などの方向や位置、角度を整理してみると、下図のような配置になるのではないかと推測できる。



上図のような配置の建造物が、西平沼町の「横浜精糖横浜工場」敷地内にあるのかどうか、当時の航空写真や地図と照らし合わせてみる。しかしどうも判然としない。
わからない。ここはどこなのだろう。窓に人影が見える病棟に見立てたような建物と、大きな煙突がいちばん手がかりになりそうだ。しかし「横浜精糖横浜工場」はすでに無く、煙突ももちろん今は無い。今となっては調べるのは難しい。どこなのだろう。
そんなことをHさんと考え始めて一年以上。ここがどこだか分かる日は来るのだろうか。

来ました。その日が。
Hさんから報告。
「東宝の砧(きぬた)撮影所(東宝撮影所の通称)内に『ポストプロダクションスタジオ』という施設があります。 この建物の前で特撮テレビドラマ『ウルトラQ 第11話 バルンガ』(1966)が撮影されています。これどう思いますか・・・・」



ああっ!これは・・・・! 横浜ではなく東京世田谷の東宝撮影所内! 確かにそうかもしれない。

やはり一緒に考えていただいているMさんからも有力な情報を寄せていただく。東宝撮影所の敷地内では東宝系製作の特撮テレビドラマも多く撮影されているらしい。


↑ この場面は「ウルトラマンレオ(1974・円谷プロ、TBS)」より。背景に「ポストプロダクションスタジオ」が写っている。


↑ こちらは「レインボーマン(1972・東宝)」より。
① は先に挙げた「推測配置図」の中の ① の「鉄筋の建物B」。② は「小煙突」と思われる。そして ③ は「ポストプロダクションスタジオ」、焼却所から見える病棟に似ている!

「ポストプロダクションスタジオ」の建物は2011年にリニューアルされ、「ポストプロダクションセンター2」として現在も残っている。



(撮影・長谷川睦さん 2015・12)
↑ Hさんのお知り合いの方が砧撮影所まで行って写真を撮ってきてくださった。ありがとうございます。
これが現在の「ポストプロダクションセンター2」。中央に見えるエントランスは「ウルトラQ」の画面で三人が立っている後方に見える入り口部分を改修したものだろう。




(撮影・長谷川睦さん 2015・12)

おかげでこの焼却所シーンの新旧比較写真を作ることができた。「ポストプロダクションスタジオ」は現在では改装されているが、病棟に見立てた建物の面影は残っている。

では「天国と地獄」が公開された年、1963年に写された航空写真で「焼却所」が作られた東宝撮影所の一部を見てみよう。
焼却小屋から見える配置と見事に一致する。やったぜ!素晴らしい!ありがとうございました!
(下図は撮影方向を分かりやすくするために、南北を逆にしてあります)



私たちは素直だから、桃色の煙を出した煙突が「横浜精糖横浜工場」だと分かると、その焼却所もその敷地内にあるのだとばかり信じていた。しかし考えてみると無理にそうしなくても、若干のそれらしく見える建物と桃色の煙を出したと思わせる大きな煙突さえクリアできれば、撮影所内にセットを作った方がずっと撮影しやすいだろう。大きな煙突は作り物だろう。巨大なようでも直径はせいぜい2〜3メートルくらい。高さも写る範囲だけ作れば、そうはないと思う。

ところではたして、これをロケ地と言えるだろうか。しかし撮影所内といっても屋外。スタジオの中ではないので「ロケ地」ということにしよう。
(2015・10・26 記)

協力:原田教隆さん(文中Hさん)・三浦弘一さん(文中Mさん)・長谷川睦さん




開始より1:54(神奈川県横浜市中区山下町3丁目・神奈川県警察本部分庁舎(当時)屋上)

「いいか、ホシに気付かれずに、ホシから絶対に目を離すな」

竹内銀次郎を誘拐、および共犯者殺害の主犯と断定した捜査本部は、共犯者がまだ生きていると見せかけ、竹内を泳がせ罠にかける作戦をとる。竹内は再び麻薬を手に入れるため売人と取引をするはずと読む。
県警屋上に整列した刑事たちに捜査方針を説明する戸倉警部。



この警察の屋上はどこで撮影されたのだろう。
戸倉警部が整列した刑事達の中を歩くとき、その動きにつれてカメラが右にパンする。
まず目に入るのが先端がドーム状になった塔。これは「横浜税関」だ。
その右方向から姿を現すのが「シルクセンター」。正式名称を「シルクセンター国際貿易観光会館」といい、横浜開港100周年を記念して1959年にオープンしている。現在も改修されてはいるが存在する。
そして次に見えてくるのが「互楽荘」と書かれた煙突。これはこの屋上からすぐ近くにあるようだ。
「互楽荘」は1932年(昭和7年)に建てられたアパートで、ちょっと洒落たアパートという存在だったようだ。「互楽荘」と書かれた煙突は住人のための共同浴場の煙突ではないだろうか。
以上の状況からHさんは「このシーンが撮影されたのは本当に警察。当時あった神奈川県警察本部分庁舎の屋上だと思います」と推理する。

↓ 1963年6月26日撮影の航空写真を見てみる。
薄赤く色をつけた部分が当時の「神奈川県警察本部分庁舎」の敷地と思われる。この位置から赤い円弧の矢印の方向にカメラをパンさせると「横浜税関」「シルクセンター」そしてすぐ近くに「互楽荘」という順に写るはずだ。

Hさんが横浜市立図書館で閲覧してきてくださった1966年の住宅地図を見てみる。神奈川県警察本部分庁舎があり、近くに「互楽荘」、そして「シルクセンター」が確認できる。
「神奈川県警察本部分庁舎」には「本館」「別館」の二つの棟があったようだ。作品で「シルクセンター」が見える角度を考えると(45°に近い)、おそらく「本館」屋上が撮影位置で間違いない思われる。



屋上で中尾(加藤武)、荒井(木村功)の両刑事が手にしている拳銃は神奈川県警が貸してくれた本物だという。神奈川県警全面協力。というエピソードからしても、ここは本物の警察、神奈川県警察本部分庁舎屋上であったことを裏付けしていると思う。
捜査方針を説明する戸倉警部の背後、屋上の塔屋側面に警察のマークが取り付けられている。これはどうだろうか。あまり人目に付かないこの部分に警察のマーク、付けるだろうか。美術係の仕事? と睨んでいるのだけれど分からない。

半袖の刑事たちが暑そうに整列する県警分庁舎屋上。撮影は1963年の1月22日だった。




↑ 撮影で刑事たちが様々な変装で屋上に整列した神奈川県警察本部分庁舎、どんな建物だったのだろう。ぜひ見たい。ネット上ではなかなか画像を見つけることができなかった。
Hさんが横浜市中央図書館で発見。分庁舎の写真を見つけた時は思わずニヤニヤしてしまったという。気持ちは非常に分かる。
左端に写っている車は「セリカLB(リフトバック)」(生産:1973~1977)だ。懐かしい!

(写真出典:「ひとすじの道」発行・神奈川県警察本部・発行年1974)




↑ 住宅地図で分庁舎の西隣に「ヘルムハウスビル」と記載されているのがこの建物。写真右端に県警分庁舎が写っている。
運送業を営むヘルム兄弟社が外国人向けのアパートとして1938(昭和13)に竣工した。のちに神奈川県警が取得、使用することになる。
前掲の1966年に住宅地図ではまだ「ヘルムハウスビル」となっているので、それ以降に県警が取得たと思われる。
1989年の住宅地図ではすでにこの建物は県警本部の別館となっており、分庁舎本館(撮影に使われた)は神奈川県警察本部と記載されている。
警察が歴史ある民間の建造物を取得して使用するというのは面白い。
1991年に神奈川県警察本部ビル(海岸通2丁目)が完成して移転。 2000年に解体。
同所は現在「神奈川芸術劇場」および「NHK横浜放送局」になっている。

(写真出典:神奈川新聞の情報サイトさん)
(協力:Hさん)


ヘルムハウスビル、神奈川県警察本部分庁舎があった交差点の現在。(ストリートビューより)
(2021・05・15 記)




開始より1:55(神奈川県横浜市中区山下町・山下公園)

「ホシはそこで売人と会うつもりかな」
「いや、どうやら時間をつぶしているようですな」

刑事たちに見張られているとも気付かず、竹内は市内をうろつき回る。
どこで麻薬の売人と接触するのだろう。



(撮影・2014・07・22)

外国船が見えるこの港は横浜港。竹内がいるのは山下公園だ。
竹内は海に沿って設けられた手すりの石の支柱に寄りかかり煙草をふかす。

ここは山下公園の中の正確にはどの位置なのだろう。山下公園は横浜港に沿って数百メートルにも及ぶ細長い公園なのだ。
石の支柱は10メートル間隔くらいで並んでいて、全部では何十本とある。手すりの横に這わしてある鉄のパイプは現在は意匠を凝らした物に変わっているが、石の支柱は当時と同じもののようだ。どの支柱なのか特定できないだろうか。私はこれがどの支柱なのか、という単位ではとても分からない。ところが撮影に同行していただいたHさんは、
「大桟橋がこんな角度で見えるんですから多分このあたりでしょう。竹内が立ったのはこの支柱のところじゃないかな」
とおっしゃる。
では、というわけで写真を撮る。何故か同じ場所で同じようなポーズをとっている人が写り込んでいる。

下の拡大写真を見てほしい。
竹内が寄りかかっている石の支柱と、今回、Hさんがこれだろうと目星を付けた石の支柱のアップだ。
撮影時には気が付かなかったのだけれども、帰ってから詳細に見てびっくり。矢印の所に御影石の模様なのか、ヒビなのか、完全に一致している様子が見える。
さすが地元のHさんの勘、この石の支柱で間違いなかった!


この石の支柱は山下公園の北西の端近く、現在は地面がアスファルトの部分と、テーブルが並んだウッドデッキになっている場所とのちょうど境目の位置にある。
山下公園を訪れた際には「竹内銀次郎はここに寄りかかってタバコをふかしたんだ」と感慨にふけりポーズをとってほしい。現在の公園内は禁煙なのでタバコはふかせないが。
Hさん、今回はほんとうにお世話になり、ありがとうございました。
(協力・モデル:原田教隆さん 文中・Hさん)





(ロケ地特定協力・原田教隆さん 三浦弘一さん Aさん Gさん)




「東宝映画のロケ地を訪ねる・天国と地獄」ごらんいただきありがとうございます。
ここでは「天国と地獄」の一コマはどこで撮影されたのか、現在ではどのようになっているのか、といったテーマで進めてきました。ところが調べているうちにロケ地特定とは離れた発見も多く出てきました。それらの話題は別ページで紹介することにしました。 「東宝映画のロケ地を訪ねる・天国と地獄・補足・些細なことなど編」がそれです。
こちらもどうぞ合わせてご覧いただけますようお願いいたします。



最初のシネスコサイズ、モノクロの東宝マークですでに(正確には東宝マークよりほんの少し手前で)何かを予感させるような重い音楽が入り、ソプラノの歌声が聴こえ、「東宝株式会社、黒澤プロダクション作品」と入る。「カン、カコン!」と打楽器が入り暗転。画面いっぱいに「天国と地獄」とタイトルが出ると同時に目の前が開けたような感じの佐藤勝ミュージック!! 薄暗くなってきた工場地帯を見通すタイトルバック。街の騒音。もうこれだけでゾクッ!っとくる。これから起こる出来事が次々に頭に浮かぶ。
黒澤明監督の「天国と地獄」は私にとって特別な作品だ。1963年というと私が中学2年の時だ。私はこの作品をリアルタイムで見ている。何て凄い映画なんだろうと思った。「天国と地獄」を「凄い映画」とはよく評される言葉だが本当にそう思った。 その後、見たくても見られない状況が続く。

そしていよいよ1981年、フジテレビの「ゴールデン洋画劇場」枠によって最初のテレビ放映が実現される。テープソフトやレーザーディスクソフトになる以前のことだ。
その放送方法が素晴らしかった。ノーカット、ノートリミングであることはもちろん、民放であるからCMの挿入は避けられないのだが、そのタイミングが画期的だったのだ。話の途切れ目にCMを入れるというよく使われる方法ではなく、ストーリーの展開とは関係なく、フィルムの巻の変わり目にCMを入れたのだ(画面右上の出る、映写機を切り替えるタイミングを教える印、楕円形のパンチでそれが分かる)。それもフェードアウト無し。フェードイン無し。番組名のスーパーインポーズも無し。ブツッと切れてパッと始まる。完璧だ。まさに余すところなく放送したのだ。ただし腰越の別荘のシーンで、田口部長刑事の「ピストルは持ってるな?」という問いに対して、荒井刑事が「もちろん。あんな○○○○野郎、素手じゃ追えませんよ」と音声が消された以外は。
もちろん録画した。宝物だ。「天国と地獄」がやっと自分の手元に置いておけるようになった。

私は以前、プラモデルに夢中になっている時期が長く、夜中などよくその「天国と地獄」を「聞きながら」作業をした。何百回となく。フランシス・フォード・コッポラ監督は「天国と地獄」を50回見たと言っているそうだが、たいしたことはない。笑。おかげでセリフはすっかり覚えてしまった。最初から言え、といわれても言えないが、見ている(聞いている)と次々セリフが出てくる。
一番好きな映画は?と聞かれれば迷うことなく「天国と地獄」と言うだろう。思い入れが強い。そういう作品を持てたことは幸せだと思う。

この巡礼は「天国と地獄」を一度でもご覧になった方に見ていただくのを前提に作っております。いわゆる「ネタバレ」もそうなのですが、場面の解説を最小限しかしてませんので、ご覧になられた方でないと分かりずらいのでは思われます。
これからもボチボチと巡礼シーンを増やして行きたいと考えておりますので、よろしくお願いいたします。


参考資料

「黒澤明 夢のあしあと」共同通信社
「黒澤明と天国と地獄」朝日ソノラマ
ウェブサイト「東京紅團」

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