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喜劇 駅前音頭 (1964)監督・佐伯幸三 |
開始より0:01(神奈川県川崎市多摩区登戸・小田急線「向ヶ丘遊園駅」北口)
「皆様、一日のお勤めご苦労様でございます」
と街頭放送が広告を流している。 駅から大勢の乗客が出てくる。駅名を見ると「向ヶ丘遊園駅」と読める。ここは小田急線の向ヶ丘遊園駅の駅前のようだ。 ちなみにこのギャンブレル屋根の駅舎と、その右に見える跨線橋は現在でも存在する。(2015年記) |
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開始より0:01(東京都世田谷区船橋1丁目・小田急線「千歳船橋駅」北口の商店街)
「こちらはベルマークの『ボン洋装店』でございます。季節の装いのご相談は『ボン洋装店』へ・・・」
と街頭放送は続き、画面は商店街の場面に。当然ここも向ヶ丘遊園駅近くの商店街と思わせる。さてどうなのだろう。 2010年のこと。あるSNSで東宝映画のロケ地を探すコミュニティが立ち上がった。私もそれに参加して、数人でこの商店街が何処にあるのかを盛んに意見を出し合って探したことがある。向ヶ丘遊園駅近くを探すがどうも見つからない。おかしい。 この場面の手がかりは右に見える「◯南海ス」の看板とその向こうの「銀行」の看板。中央遠くには「イケダ」と書かれた看板も見える。左側の「カネボウ」の看板は映画のために用意されたものだろう。 結果、ここは「向ヶ丘遊園」駅前の商店街ではなく、同じ小田急線でも7駅も新宿寄りにある「千歳船橋」の駅近くの商店街と判明する。 映画画面に見える手がかりが現在も存在するとは限らない。いや、もう存在しない可能性の方が高い。なにしろ半世紀も経っているのだから。そういう困難な状況で何処なのかを探すのは本当に楽しい。 |
(撮影・2015・07・27) (協力:シー9156さん、風間ちゃんさん、Miyaさん) |
巡礼メモ 1 |
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今回の巡礼にはこの場所の特定に協力していただいたMiyaさんに同行していただいた。Miyaさんはこの千歳船橋にご家族でお住まいになられていたこともある。 写真左は作品からの一部拡大画像。「イケダ」と書かれた看板が写っている。(作品画面の赤円内) 中央は現在の「イケダ」さん。(鍵、印鑑、表札などを扱う店舗) 「イケダ」が現在も同じ位置の存在することを確認した私はそのまま立ち去ろうとしたのだが、Miyaさんが「ちょっとお話を聞いてきます」と店内へ。Miyaさんの説明で同店訪問の趣旨はお分かりいただけたようだ。写真右は「駅前音頭」公開の時にはまだお生れになっていないであろう現在の「イケダ」ご主人と、「イケダ」の表札を持つお嬢さんと、「イケダ」を探してついに訪れたMiyaさんとの奇跡のスリーショット。 |
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開始より0:48(東京都世田谷区船橋1丁目)
「寿司清のオススをどンぞ。皆様のご来店をお待ツスております。寿司清のオススをどンぞ」
「何を言ってやんでえ! 俺んちは『オスス』じゃねえ『オスシ』だ!」 街頭放送のアナウンス嬢が由美(大空真弓)からしづ子(横山道代)に変わる。ところがしづ子は訛りがあり「オスシ」と言えない。 「オスス」と言っている街頭放送を聞いて、当の寿司屋の店主が外に飛び出し、文句を言う。看板には「寿司清」と書かれている。 |
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(撮影・2015・07・27) この「寿司清」(すしせい)は実在の寿司店だ。(店主役は俳優さん) かつてこの千歳船橋に森繁久弥邸があり、その屋敷に通ずる通りは現在も「森繁通り」と呼ばれている。寿司清はその通り沿いにある。森繁さんはこの店を贔屓にしていたということだ。 (協力:Miyaさん) |
巡礼メモ 2 |
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Miyaさんと今回の巡礼の主目的である「寿司清」でランチへ。 「寿司清」のご主人のお話。 「『千歳旅館』(あるいは『千歳館』)という旅館が2000年くらいまでそこの角にあったんですが、そこが『駅前旅館』のモデルになったそうなんです。昔は『連合』(『連合映画撮影所』、後の『東京映画撮影所』)のスタッフさんがよく『千歳旅館』を使っていたようです」 「駅前旅館」(1958)は駅前シリーズの第1作目の作品で、映画では旅館は上野にある設定だが、旅館の造りや雰囲気がモデルになったのだろう。貴重な話が飛び出てくる。 「私(Miyaさん)も四丁目(経堂)だったんで、子供の頃、時々森繁さんがサイドカーが付いているようなオートバイに乗って、白いマフラーをなびかせているのを見かけて。かっこよかったんですよ」 「そうなんです。ハーレーでね。その辺のオヤジとは違うって感じでしたよ。でも(森繁さんは)普段はほんとにいいオジさんという感じで気さくな方だったんですよ。会うと「おー」とか言って。森繁さんはパーティーとかよくやってらして、そういう時は私の父がよくお宅へ寿司を届けたりしてたんです」 おー!すごいなあ。なんだか様子が目に見えるようだ。来てよかったー。 |
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開始より1:12 (1646 Kapiolani Boulevard, Honolulu, HI)
本作品で徳之助(森繁久彌)たちはハワイへ行く。駅前シリーズ初の海外ロケだ。 ホノルル空港に着いた徳之助らはタクシーに乗ってホテルに向かう。タクシーの車窓から見た市内の景色が映しだされる。だいたいは名所なのだが、その中に一つ気になる場所がある。「TOHO THEATRE」と書かれた建物の前を通りすぎるのだが東宝の映画を上映している映画館なのだろうか。ほんの数秒のカットだ。 発見者ミシェンヌさんの説明です。(抜粋) TOHO THEATREついてブログで情報をみつけたので、ここにリンクします。 Kapiolani Theatre やはりこの映画館も1964年にオープンして、日本の東宝映画ばかりを上映していました。ところが1976年に買収され名前も「Kapiolani Theatre」に変更されてハリウッド映画も上映する劇場になったそうです。このブログの写真は既に改名された後の映画館の外観が載っていますね。でもビルの感じは「駅前音頭」の頃と変わっていないので、同じ場所だと言う事は一目瞭然であります。 今、麻布田能久さんの頁から、ホノルルの丸急デパート建設予定地近辺をストリートビューで見ていたら、この映画館があった場所1646カピオラニは、現在でも建物はこの映画館と同じように見えます。エントランスのひさしが同じです! 一階には現在「Papa John's」というピザのチェーン店が入っていますが建物は当時と同じかもしれません。と言う事は映画を上映する部屋は壊されて店舗が入れる様にしたと言う事かもしれませんね。意外な発見でした 「今回は飛行機がホノルルに着陸する直前から、空港→ワイキキに向かう道中、自分の脳内に『駅前音頭』の中で森繁達がハワイに着く直前から市内観光中?に流れるあの曲がずっと流れっぱなしで、現在のハワイもあの当時の東宝映画の中のハワイとダブらせながらというか、もうイメージはあのハワイでしか自分の中にないのが悲しい性というか、笑っちゃうというか我ながら何とも可笑しかったです」 |
(撮影・2015・11・09) あらためて画面に目を凝らしてひさしの横に書いてある文字を読んでみた。こう書いてある。 「GRAND OPEN SAMURAI PIRATE JULY 1ST」 「SAMURAI PIRATE」? 調べてみると「SAMURAI PIRATE」とは「大盗賊」(三船敏郎主演、谷口千吉監督、1963年作品)の洋題だった。 1964年8月11日に公開された「喜劇 駅前音頭」は、同年6〜7月頃ホノルルロケを行い、7月1日にオープンした(する?)「TOHO THEATRE」を撮影する。同館のこけら落としは「大盗賊」であった。ということのようだ。 (協力・ミシェンヌさん) |
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開始より1:18(Kahanamoku Beach, Honolulu, HI)
「Beach Mat, Beach Mat, ゴザいらんかね」
ダイヤモンドヘッドが見えるワイキキの浜辺でゴザを売っている日本人がいる。メリー三井(三木のり平)だ。次郎(フランキー堺)と染子(池内淳子)に声をかける。 |
(撮影・2015・11・09) |
(撮影・2015・11・09) のり平の後ろに見えるホテルは「Waikiki Marina Resort the Ilikai」。現在写真ではその右手前にヒルトン・ハワイアンビレッジ内にある「Lagoon Towaer」が写っている。この建物は1967年にオープンなので、この作品撮影時(1964年8月11日公開)にはまだ無い。 赤円内の建物は椰子の木に遮られてよく見えないのが残念なのだが、回転レストラン「ラ・ロンド」のあるビル。(東宝映画のロケ地を訪ねる「正・続・社長外遊記」参照) |
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