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桃井原っぱ公園
東京都杉並区桃井3丁目


(撮影・2011・08・12)
「桃井原っぱ公園」と言われてもピンとこないが、いわゆる「日産自動車の跡地」である。
もっと遡れば「プリンス自動車跡地」であったり「中島飛行機跡地」であったりするのだが、私が覚えているのは「プリンス自動車跡地」からだ。
しかし平成13年に売却、再開発され、現在はこの公園の他、商業施設、マンション、介護施設、日産プリンス販売店などが新たに建設された。しかし残りの部分は公園として解放されている。公園といっても何もないただの原っぱだ。名前も「桃井原っぱ公園」という。この写真の公園部分だけでも十分広いように見えるが、旧日産跡地の中の一部にすぎないのだ。

日産の売却後、広大な敷地の施設が全て解体され、更地になった時、敷地の周囲は金網と布のフェンスが張り巡らされ、内部が見えないようになっていた。ある日通りかかると、そのフェンスに僅かな隙間があることを発見、そこから覗いてみてびっくりした。「こんなに広かったのか!」。家族をわざわざ連れて行って見せたほどだ。
23区内にこんな場所があったのか!と思った。


広大な敷地の南西の隅にこんな石碑がある。
「旧中島飛行機発動機発祥之地」
プリンス自動車の前身だ。プリンス自動車はその後、日産自動車と合併、荻窪のこの場所も日産自動車になった。
こちらは「旧中島発動機発祥之地」の近くにあるもう一つの石碑。
プレートにはこのように記されてある。

ロケット発祥の地
戦後間もない昭和28年、旧中島飛行機から社名を変えた富士精密工業は東京大学生産技術研究所(現、文部科学省宇宙科学研究所)の指導を受け、ロケットの開発に着手した。
2年後の昭和30年にはペンシルロケットの初フライトに成功し、これが日本のロケット第1号となった。
爾来、約半世紀、富士精密工業は、プリンス自動車工業、日産自動車、アイ・エイチ・アイ・エアロスペースと変遷を重ねたが、ロケット技術は脈々と後進に受け継がれ、現在の日本のロケットを生み出す原動力となった。 ロケット開発の拠点たる日産自動車荻窪事業所は平成10年5月に群馬県富岡市へ移転したが、跡地は再開発されることになった。
この地の生み出した創造的意義に鑑み、ここに記念碑を建立し、往時を偲びつつ、宇宙開発の更なる発展を祈念するものである。
平成13年11月
ペンシルロケットの名前は子供の頃、聞いたことがある。このガラスの蓋の中に収められた文字通り本当に鉛筆大のロケットがその現物、あるいは模型なのだろう。
石碑の裏面にはこのように彫り込んである。

旧富士精密工業株式会社
旧プリンス自動車工業株式会社
旧日産自動車株式会社
 宇宙航空事業部有志一同
 平成十三年十一月建立

なんだか当時の研究員、技術者達のロケットに対する熱意が伝わってくるような気がするではないか。
そうなのか、「あそこではロケットを作っている」という噂は本当だったのか!


「桃井原っぱ公園」。それもいいんだけど、日本の航空技術発達の地、日本のロケット技術発祥の地、戦後の自動車生産草創期の一つの地として後世に残って欲しい気もする。広大な敷地の片隅にある二つの小さな記念碑がせめてもの救いだ。
プリンス自動車には「スカイライン」という名車がある。地平線が見えるくらい広い公園なんだから「スカイライン公園」なんて洒落てる。
中島飛行機は一式戦闘機「隼(はやぶさ)」で有名だ。「隼公園」もいい。
あれ? この前話題になった日本の惑星探査機が「はやぶさ」。
ロケット・・・はやぶさ・・・あれ? もしかしてそういうこと?


陸軍一式戦闘機「隼」



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