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日本一の若大将 (1962)監督・福田 純



↑ こちらをクリックすると「日本一の若大将 マラソンコースロケ地MAP」が別ウィンドウで表示されますのでご参照ください。

「全日本大学マラソン大会」で若大将たちはどこを走ったのだろう。そのコースをたどってみよう。



開始より1:19(東京都新宿区霞ヶ丘町・明治神宮外苑・聖徳記念絵画館前)

「韋駄天のやつ、張り切ってやがるなあ!」

「全日本大学マラソン大会」のスタート地点は神宮外苑の絵画館前。
出場選手たちがスタートを待っているシーン。
我らが若大将、田沼雄一(加山雄三)はコーチの滝沢(中丸忠雄)から、「頑張っていけよ。どうだ? 調子は?」などと渋い声で調子を聞かれている。するとそのすぐ前をライバルの韋駄天(いだてん)こと伊田天一(大木正司)が準備運動しながら通り過ぎる。
伊田は長距離の選手というより重量挙げの選手のように見える。



(撮影・2010・01・24)

後ろに見える建物は聖徳記念絵画館。俗に絵画館だ。大正期に作られた建築物ということで、神宮外苑の象徴のような存在だ。




開始より1:20(東京都新宿区霞ヶ丘町・明治神宮外苑・聖徳記念絵画館前)

いよいよ42,195キロメートルのスタート。 絵画館を右に見て手前方向へ走りだす。



(撮影・2010・01・24)

現在写真を見ると背後には国立霞ヶ丘陸上競技場(以下国立競技場)がそそり立っている。しかし作品画面では選手の向こうには木立が見えるだけで特に建造物は見当たらない。だがよく見ると木立の間、矢印のところに何か見える。これが当時の国立競技場と思われる。国立競技場は1964年の東京オリンピックに向けて観客席の大幅拡張工事をしている。それが完成するのが「日本一の若大将」公開の翌年の1963年。撮影時には工事中だったのだ。何本かのクレーンが見える。(2010年記)

そしてこの国立競技場も今は無い。2020年の東京オリンピックに向けて現在建設中。どんな景色になるのか。(2017年記)




開始より1:20(東京都新宿区霞ヶ丘町・明治神宮外苑)

絵画館前をスタートした選手たちはすぐに右(南方向)に曲がる。若大将ファンの女の子たちが声援を送る。



(撮影・2010・01・24)




開始より1:21(東京都新宿区霞ヶ丘町・明治神宮外苑)

絵画館を後ろに見て早くも韋駄天がトップ。若大将は二位につけている。



(撮影・2010・01・24)

巡礼時は冬だったので、通りのイチョウ並木はすっかり葉が落ちている。
現在の通り沿いにはオープンテラスのカフェなどもあり、都民の憩いの場だ、
この日はたまたま1960年代ころのヨーロッパ車を愛好するクラブの集まりでもあったのだろうか、青大将が乗れば似合いそうな赤いオープンカーなどがたくさん集合していた。




開始より1:21(東京都港区北青山2丁目・国道246号、青山通り沿い)

次に登場する場面では選手たちが俯瞰で映し出される。道路の中央に都電の線路が見える。
神宮外苑から南に出たのだから、この道は国道246号(青山通り)と思って間違いないだろう。
では青山通りの何処のあたりか。青山通りは東京オリンピック(1964)を境に拡張され、現在では建物もすっかり変わってしまっているので、特定が難しい。



(撮影・2013・06・03)

何か手がかりはないだろうか。看板がいくつか見える。その中で赤円内の看板には「外苑ビル」と書かれてあるのがやっと読めた。しかしこの時点でビルは見当たらないので「外苑ビル建設予定地」などと書かれてあるのかもしれない。現在も「外苑ビル」は存在する。現在建っている外苑ビルは竣工して間もないようだ。映画撮影後のこの場所に「外苑ビル」が建ち、取り壊され、また新たに建設されたのだろう。

作品では俯瞰撮影しているが、沿道の高い建物から撮影したと思われる。1962年の住宅地図には「外苑ビル」の斜め向かい側に「青山電話局」と示されている。位置的に考えるとこの郵便局の屋上から撮影したのではないだろうか。
現在も同じ位置にNTTも入居している大きなテナントビルがある。
巡礼写真もこのビルの、何階か(4〜5階くらいの高さだろうか)から撮りたかったのだが、各階をテナントが使用しているビル内に入室することは不可能。しかたなくビルの前から撮ったこんな写真でご勘弁を。

(地図提供・麻布田能久さん) (協力・風間ちゃんさん・シー9156さん・ミシェンヌさん・石井洋史さん)




開始より1:21(東京都渋谷区渋谷2丁目・宮益坂上交差点)

都電が走る国道246号(青山通り)から宮益坂上の交差点を左に曲がる選手達。神宮外苑を出てから青山通りを西に向かい、この交差点まで来たようだ。



(撮影・2010・11・28)

この場所が分かりそうでいて、なかなか分からなかった。都電が走っている様子や順路的にも青山通りだとは思っていたが、どの交差点なのか分からなかった。画面に見える手がかりは「大同生命」と書かれた看板くらいのもの。しかし現在の青山通り沿いには当時の建物がほとんど残っていないので探し出すのは難しい。
そこに巡礼師である風間ちゃん氏より報告。「判明しました。ここは渋谷駅に近い青山通りの宮益坂上交差点です」
では下記の説明をごらんになってください。

左側の三つの作品、日本一の若大将(1962) 日本一の色男(1963) 大冒険(1965)の赤丸内に同じビルが写っている。 住宅公団の青葉町住宅である。(現在のこの場所は国連大学)
右の三枚の写真を見てほしい。
日本一の若大将の赤丸内を拡大すると、緑の下地に白文字で「仁丹」と読める。(静止画では分かりずらいが、動画で作品を見ると比較的よく読める)
これは1963年に竣工した渋谷の仁丹ビルで、この当時は工事中。
63年暮れに竣工とのことなので7月公開の「日本一の色男」ではまだ工事中の様子で、足場などが写っている。
ということからこの場所は宮益坂上交差点であることが判明した。

いや、凄いな!
「日本一の若大将」撮影時には工事中であった「仁丹ビル」があった場所、奇しくも巡礼に訪れた時にも同じ場所にあるビルは工事中であった。
(協力・作図 風間ちゃん)




開始より1:21(東京都渋谷区渋谷4丁目)

そして次のシーンでは一転して、なにやら閑静な雰囲気の道にさしかかる。ヘアピンのように道が鋭角に曲がった上り坂の道だ。



(撮影・2010・11・28)




(撮影・2010・02・11)

ここはどこなんだろう。渋谷区近辺に詳しい友人に画面を見てもらったところ即座に「ああ、ここはあそこだよ。今でもこんな感じが残ってる」と教えてくれた。
東京に土地勘がある人はいいなあ、と思う。私など、東京に生まれ育っているのに何にも知らない。
ここは渋谷駅から現六本木通りを東に500メートルばかり行った地点で、有名校なども多く集まっている一角だ。
この坂の上が現在は常陸宮様がお住まいになられている「常盤松御用邸」。
現在、この写真を撮影した地点のすぐ背後は六本木通りと首都高速が通っている。しかし作品製作時、この場所には首都高速も六本木通りも存在しなかった。
(協力・大石一行さん)




開始より1:21(東京都目黒区八雲5丁目西・駒沢オリンピック公園内)

次にさしかかるこの場所。
道は左にゆるくカーブしている。道路に沿ってはあまり建物が見当たらない。といって公園というほど整備はされていない様子。何やら工事中というか造成中というか、そんな感じ。
何処なのだろう。全く手がかりが無い、というわけではない。遠くに4〜5階建ての建物が見える(矢印)。病院か学校か、そんな感じがする。もう一つ、非常に分かりづらいのだが、赤円内に三菱のマーク、赤いスリーダイヤの看板が見える。
雰囲気としてはとても駒沢オリンピック公園を感じさせる。公園内にある競技場を囲む道路の様子にとても似ているのだ。東京オリンピックを二年後に控え、急ピッチで工事中の駒沢公園。おそらくこんな感じだったろう。ここが駒沢公園だとすると遠景に見える建物は隣接する国立東京第二病院(現東京医療センター)?。
しかしそう仮定したとすると、この左にカーブする道路の様子がどうしても合致しない。国立東京第二病院がこの角度で見える位置にはこんな角度でカーブする道は無い。
ではやっぱり駒沢公園ではないのか・・・
このマラソンコースのロケ地探しを始めて、多くの方の協力でほぼ全部に近い地点が解明したにもかかわらず、ここだけがどうしても分からず三年が過ぎた。



(撮影・2013・06・07)

そしてここが何処なのか、解明される日がついに来た。
発見者は「鰤ほぐしさん」と「麻布田能久」さん。
結論を先にいってしまうと、ああ、やっぱりここは駒沢オリンピック公園。
あんなに考えて分からなかったのに、やっぱり駒沢オリンピック公園!
それも駒沢通りの南側!
地図による説明もここでは結論だけ記入しておくことにする。
この道は「今はもう無い」のだ!



(協力・鰤ほぐしさん・麻布田能久さん)




開始より1:22(東京都世田谷区用賀1丁目)

国道246号、玉川通りを西に向って走る選手たち。ここは世田谷区用賀だ。もう折り返し点が近い。
ちなみに国道246号、起点の三宅坂から、赤坂、青山、表参道を経て明治通り交点(渋谷署前交差点)に至る区間を「青山通り」、それより西、多摩川(新二子橋)までの区間を「玉川通り」と呼ぶ。



(撮影・2010・01・31)

このあたりは本作品公開当時にはまだ畑も多く見られた地域のようだ。 左側に石垣が続いているのが見える。広大な屋敷だ。画面の中央やや左くらいの部分に石垣が途切れた部分が見える(矢印)。これは屋敷の入口部分だ。現在でもこの石垣の様子がそのまま残っていたので、ロケ地特定の決め手になった。
現在では頭上に東名高速につながる首都高速3号渋谷線が走っている。




開始より1:24(東京都世田谷区新町1丁目)

ここも国道246号、玉川通り沿いと思われる。若大将が走る背景の左側に、わずかに赤い消防車が停めてあるのが見える。その右はガソリンスタンドのマークが。



(撮影・2013・06・04)

玉川通り沿いに消防署とガソリンスタンドが並んでいる場所があるはずだ。今でも移転や廃業をしていなければ。 Googleのストリートビューで現在の沿道の様子を調べてみる。あったあった!「玉川消防署新町出張所」とENEOSのスタンドだ。ENEOS(新日本石油のブランド名)の前身は日本石油、作品に写っているマークは日本石油時代のものだ。ここに間違いないだろう。
しかしこの地点、先ほど通った石垣が見える地点より手前なのだ。後戻りしたことになる。しかもこの後、折り返し地点を過ぎて、逆方向に走っても登場したりする。しかしまあ普通気が付かないし、いいということにする。




開始より1:25(東京都世田谷区用賀2丁目)

いよいよ折り返し地点。玉川通りの中央分離帯に立てられたポールにさしかかる若大将。



(撮影・2013・06・04)

作品製作当時の環状八号線と玉川通りは平面交差であったが、現在は玉川通りが環状八号線の下をくぐる立体交差になっている。
折り返し点のポールが立っていた位置は、現在では立体交差の下り勾配が始まる際のあたりになるようだ。
当時は前方左に信用金庫の店舗があるように見えるが、現在は無い。




(撮影・2013・06・04)

折り返し点のポールをまわろうとする若大将。
この撮影地点がどこであるのか探すのに役に立ったのが1963年の航空写真。「日本一の若大将」公開より1年後。それほど変わっていないと思われる。玉川通りに接する脇道と、周辺建物の様子によって特定することができた。
(下図参照)


(協力・麻布田能久さん)




開始より1:25(東京都世田谷区玉川台1丁目上空)

若大将が折り返し地点を通過するとカメラは空撮に切り替わる。



(撮影・2010・01・31)

この場面で映し出されているのはどのあたりなのだろう。
場面の進行と場所が実際に沿っているのなら、折り返し地点より東側の玉川通りのはずだが。

このように玉川通りと脇の道が45度に交わっているのは、玉川通りが環状八号線と交わる瀬田の交差点から東に数百メートルの地域だけの特徴だ。畑が碁盤の目状に広がっている場所に、斜めに国道246号線を通したのだろう。
作品の空撮画面の右の方に45度で交わる道と、三角形に写っている縞模様状に作物が植わっている畑がある。この道と畑ではないだろうかという場所が1963年の航空写真に写っている(下の写真、赤とグリーンの部分)。その位置から追って空撮場面の場所を推定することができた。

巡礼写真は空撮というわけにはいかないが、ちょうどよい場所に3階建てのカー用品ショップがあった。屋上の駐車場を拝借してパチリ。タダで拝借は申し訳ないので車のウィンドウ用クリーナーを購入。

本編の空撮場面より 1963年の航空写真(分かりやすいように角度はそろえてある)




開始より1:26(東京都港区南青山4丁目・根津美術館前交差点)

直前まで走っていた国道246号から、今度はやや狭い道路へ入ってきたようだ。そして緩やかなカーブを選手達は走り過ぎて行く。
ここは南青山4丁目の根津美術館前交差点だ。
国道246号を東に走り、表参道交差点を右折してきたのだろう。
ストーリー的にはこれから若大将の実家、麻布の田能久の近くを通らなければならない。ここならこれから麻布方面に向かうと、なんとなく感じることができる。



(撮影・2010・11・28)

道路の幅、交差点の形状は当時と変わってはいないが雰囲気は大きく変わっている。
選手達が向こうからやってくるこの道路、当時は山の手の閑静な住宅街だったようだが、現在では高級マンションや商業ビルが建ち並び、通称「フロムファースト通り」と呼ばれているようだ。「PRADA」とか「Cartier」などの高級ブランドショップビルが並び、私など近寄り難い一角になっている。



(撮影・2010・11・28)


この南青山4丁目交差点、同じ場所が「フレッシュマン若大将」(1969)にもロケ地として使われている。作品冒頭で若大将と酒井和歌子がタクシーに相乗りするシーンである(写真右)。
共通点を探してみると、赤円内の部分に同じものと思われる塀と建物がある。

(協力・風間ちゃんさん・シー9156さん)




開始より1:26(東京都千代田区平河町1丁目)

「雄一!おまえに大東実業から採用通知が来てるぞ!・・・・・・しまった!勘当をやめたと言うのを忘れてた!」

いよいよレースも終盤にさしかかり、ゴール地点が近くなってきた。
テレビでマラソン中継を見ていた雄一の家族や「田能久」の従業員達は、もうすぐ雄一ら選手達が近くを通過するので、直接声援をおくるため、外に出て待つ。
それほど広い道路ではなく、商店街のような場所だ。やがて選手達が現れ、次々に角を曲がって走って行く。雄一はなかなか見えてこない。トップからは離されているようだ。

この地点がどこなのかを探すのは、なかなかの難問だった。
若大将の実家、すき焼の「田能久」は、この作品では港区の麻布にあるという設定になっていると思う。当然このロケ地も麻布に近い場所だろうと予想して探してみるがなかなか見つからない。
手がかりとしては曲がる角にある「◯◯硝子(ガラス)店」、角の手前に「萬来軒」という中華料理屋(赤矢印)、曲がった先にある「天津自動車塗装工場」という看板などだ。
それらの店を探しても現在の麻布近辺には無いようだ。もうどの店も無くなってしまったのだろうか・・ここが何処だか、なんとか知りたいものだが・・・。
そこへ突然の吉報。某氏から「判明しました!ここは千代田区の平河町です」との報告。
麻布じゃなかったのか!



(撮影:シー9156さん・2010・08・22)

「日本一の若大将」製作当時のこの地域は、ほとんどが木造の店舗のように見える。しかし現在はビル化が進み、街の様子はすっかり変わってしまっている。そういう地域でかつてのロケ地を探し出すのは容易ではない。
しかしそのまま残ってるものもあった。地面をよく見てほしい。四つ写っているマンホールが同じ位置に残っている(青矢印)!


ようやく雄一が現れ角を曲がると父親久太郎が待っている。久太郎は勘当中の雄一に走り寄り、就職の採用通知が届いていることを知らせる。 >



(撮影・2010・09・19)

「たしかにここだけど、言われてみなければ絶対気がつかないだろうなあ」が現地を訪れてみて感じたことだ。
麻布田能久の近く、という設定のロケ地に何故ここが選ばれたのだろう。

ストーリーの中で設定された実際の地域での撮影が難しかった場合、代わりに観客にはどこなのか分かりにくい場所で撮影を行うということなのだと思う。だからそれを後になって「ここはどこなんだろう」と調べてみると当然分かりにくい。やっと分かってみると「何故この場所なんだろう?」となるわけだ。
特にこの作品の場合、マラソンという公道で一般車の通行を止めて行われる競技の撮影なので、苦心も多かったのではないかと思う。



●写真左
作品に写っている「中華料理萬来軒」。 現在はビルに建替え、営業を続けられている。
某ロケ地特定師さんが潜入試食を試みたらしい。詳しくはこのページ下方の「巡礼メモ」をどうぞ。

●写真右
「天津自動車塗装工場」
最初は比較的はっきり読めるこの工場の看板だけが手がかりだった。以前港区方面にお住まいの方で見覚えがあるという方もいらした。「天津自動車工場」を昭和43年の赤坂の地図で見つけたという情報もあった。
しかしその場所は映画の場面の様子とはどうも違うのだ。もしかしたら「天津自動車」は二つあったのではないだろうか。という疑問がわいてきたところへ「港区と思い込んでいたのが間違いでした。ロケ地は千代田区平河町でした」の吉報だったのだ。やはり「天津自動車工場」は港区と千代田区の二カ所にあったのだ。やっと疑問氷解。
「天津自動車」、現在は練馬区に移転し、往年の外国車のレストアを手がけられているとのことだ。

(協力・風間ちゃんさん・シー9156さん・マドモアゼルじろωみさん・ミシェンヌさん・サダナリさん・大石さん)




開始より1:27(東京都新宿区霞ヶ丘町・都道414号四谷角筈線(カメラ位置))

いよいよゴールである国立競技場を目前にする千駄ヶ谷駅付近のシーン。
トップグループが外苑西通りを青山方面から国立競技場方面に向かってくる。



(撮影・2010・01・24)(地図番号1)

カメラは外苑西通りに架かる陸橋上にあり、俯瞰ぎみに走者をとらえている。現在でも同じ位置から撮影できる。




開始より1:27(東京都新宿区霞ヶ丘町・都道414号四谷角筈線下)

次に先ほどのカットでカメラを置いた都道414号四谷角筈線の下を走者がくぐる。
このカットの時、実況のアナウンサーは「国電中央線のガードをくぐり抜けました」 と説明するが誤りである。中央線のガードはまだ数十メートル先だ。



(撮影・2010・01・24)(地図番号2)

鉄の橋げたは当時のままだが、石垣の側壁は新しく作り直している感じだ。




開始より1:28(東京都新宿区霞ヶ丘町)

今度は本当の中央線のガードをくぐり抜けて、まずトップの伊田が姿を現す。
しかしちょっと変だ。さっきまでは外苑西通りを青山方面から北上してきたのだが、このカットでは新宿通り方面から南下してきている。180度方向が変わってしまった。

実は変なのはここだけではない。
折り返し点付近の国道246号線あたりのシーンでも、よく見ると同じ場所を何度も通ったり、方向が逆だったりするカットが何度かある。
しかしよほどあら探しをするような見方をしなければ気がつかない。通行を遮断して撮影しなければならないであろうから、そんなに多くの場所でのロケは不可能だろう。短時間の少ない場所でのロケだけで、あたかもフルマラソンの距離を走りきったかのような錯覚を覚えさせる演出と編集の巧みさに驚く。



(撮影・2010・01・24)(地図番号3)

ガードの橋げたが黄色と黒の縞模様に塗られているのも変わらないし、コンクリートの汚れ具合も変わってないような気がする。


続いて2位で若大将が国電のガードをくぐる。これも伊田と同じ方向だ。ガードをくぐると道路を左に曲がって国立競技場へと向かう。



(撮影・2010・01・24)(地図番号4)

本編ではオレンジ色の中央線が写っているが、その後、線路の手前側に首都高速が出来て、現在ではこのアングルでは電車を見ることはできなくなってしまった。


「雄一さん、あたし、雄一さんのこと好きよ! 好き好き、大好きよ、あたし・・・」

国立競技場へ向かう測道に入ると、先回りして待っていた澄子と青大将が走り寄ってきて田沼に声をかける。
田沼は一位の伊田からは遅れてしまっている。この澄子の応援で挽回することができるだろうか。



(撮影・2010・01・24)(地図番号5)

競技はゴール寸前、そんな時、澄子が素直な気持ちで愛を告白する感動的なシーンだが、今その現場を訪れてみると、ごく平凡な、全くどうということのない場所に感じられてしまう。
それはまあいいのだが、澄ちゃんが青大将の車に乗り、一般車は通行止めであるはずのコース内に侵入し、若大将と並走して声援を送ったり、若大将の自宅近くでは父親が出てきて入社試験の結果を告げたり、またここでは競技中の選手に走り寄って愛を告白したりと、いったいスポーツを何と心得てるのか!と言いたい。

ちなみにここは若大将第一作「大学の若大将」で、青大将の運転する車が若大将のおばあちゃんをはねてしまった場所でもある。







開始より1:29(神奈川県横浜市神奈川区三ツ沢西町・横浜市三ツ沢公園陸上競技場)

「第4コーナーを回りました!あと直線100メーターであります!田沼並んだ!並びました!」
「雄一さん!頑張って!」
「田沼出ました!田沼グングン出ました!田沼優勝!田沼優勝であります!」

「僕は女の子には興味がないんだ」などと言っておきながら、澄ちゃんとかいうちょっと可愛い女の子から声援されたくらいで、こんなにも急に元気になってしまう田沼という青年はいったいどういう奴なんだ!
などと考えてはいけない。スポーツ万能で優等生のスーパーマン若大将も、恋の力の前では私たちと一緒なのだ。「オレはスポーツは得意じゃないし勉強もできないけど、恋をすると若大将と一緒なんだな!ちきしょう!オレもこんな恋がしたいぜ!」こんなふうに考えるのが若大将映画鑑賞の作法。

さてマラソンコースを順を追って見てきたが、最後の締めはゴールの競技場。
これまでの経過を見ていると、明らかに千駄ヶ谷の国立競技場をめざして走っている。しかしゴールのシーンで画面に現れる競技場は千駄ヶ谷の国立競技場ではない。
ここは横浜市の三ツ沢公園内にある陸上競技場なのだ。1955年に神奈川県で開かれた国体のメイン会場として使用されることを目的に建設された競技場だということだ。



(撮影・2010・04・04)
まず先頭で韋駄天が競技場に入ってくる。

韋駄天に続いて二位で田沼が競技場へ。



(撮影・2010・04・04)

三ツ沢公園陸上競技場を巡礼に訪れたのは4月4日。関東地方は桜が満開だ。
小雨が降ったり止んだりしている肌寒い日曜日だったが、公園内には桜の木がたくさんあり、花見客で大変な賑わいだ。
競技場では高校生の競技会が行われていた。見学の入場は自由にでき、端の方ならグラウンドにも立てるのだが、さすがに競技中のトラックにまでは遠慮しなくてはならないので、やや後退した位置からの撮影だ。
しかし土手に囲まれた、すり鉢状の地形に変わりがないし、観客席も基本的にメインスタンドのみベンチで、他の部分は芝の観客席なのも当時と変わらないことが分かる。


若大将が二位で入場し、一位の韋駄天をグングン追い上げているので沸くメインスタンドの観客たち。



(撮影・2010・04・04)

メインスタンド上部中央に来賓席のような囲まれた見物席があり、その上部には屋根が張り出して、庇のようになっている造りがそのまま残っている。真ん中の時計も変わっていないように見える。
本編では報道のカメラマンが、野球場のダッグアウトの屋根のような所に立ってカメラを廻しているが、現在はそのようなものは無い。


いよいよこれから若大将が韋駄天をかわし、一位でゴールする場面。



(撮影・2010・04・04)

作品では場外左手に団地形式のような建物が見える。これは某企業の社員寮なのだが、巡礼写真ではそれが見えない。それはのちに「ニッパツ三ツ沢球技場」が手前に建造されたため見えないのであって、社員寮は現在も存在している。
競技場をとりまく桜が満開だ。


このゴールのシーンに使われた競技場がどこなのかが分からなかった。
地図や航空写真で陸上競技場を見つけては映画の画面と照らし合わせていたのだが、なかなか一致した競技場がみつからない。
しかたなくこのページで「お心当たりのある方はぜひご一報お願いします」と情報を求めたところ、わずか三日後に回答が寄せられた。横浜市だったのか!そこまでは探してなかった。
「北あけみファン」さん、ありがとうございました。




さて、国立競技場直前まで行き、突如映し出されるのが、随分と規模の違う三ツ沢公園陸上競技場。皆さんは驚かれたかもしれない。実は私も驚いた。「おいおい、ここをあの1964年東京オリンピックのメインスタジアムであった国立競技場に見せているつもりかい」
しかしよく考えて見ると次のようなことに気がついたので「日本一の若大将」をちょっとかばわせてもらう。
冒頭のスタートシーンでも書いたように、国立競技場が1964年東京オリンピックに向けて、観客席の拡張工事を始めたのは1961年くらいからだと思う。だから「日本一の若大将」撮影、公開の1962年はまだ工事中。あの聖火台までそそり立つ拡張スタンドが出来ていない。一般観客の国立競技場に対する認識は1964年の東京オリンピック後とは違うのだ。
上に三枚の写真を並べた。
左が2020年東京オリンピックに向けて取り壊しが決定する前、2009年の国立競技場。
真ん中は拡張工事前(あるいは工事中)の国立競技場、1961年の様子。
右が「日本一の若大将」公開前年の1961年の三ツ沢競技場。
三枚の写真は400メートルトラックの形状を基準に大きさを合わせてみた。上空から見ると拡張前の国立競技場と三ツ沢競技場は上から見た大きさにおいて大差ない。しかしもちろん三ツ沢競技場の観客席の大半が芝生であったりの違いはあるが、現在、私たちがこのゴールシーンを見て感じる違和感ほどには、当時の観客の違和感は大きくはなかったのではないかと思う。
(2017記)



というわけで、若大将はスタートからゴールまで走りきり、見事優勝しました。これもひとえに皆様のおかげ・・、 いやいや、このマラソンコースの撮影地点の全てが判明しましたのも、多くの皆様の応援のおかげでした。

風間ちゃんさん シー9156さん ミシェンヌさん マドモアゼルじろωみさん サダナリさん 北あけみファンさん 石井洋史さん 麻布田能久さん 大石一行さん 鰤ほぐしさん

どうもありがとうございました。



さてさて、それともう一つ。
マラソンコースではないのだが、「日本一の若大将」の冒頭、陸上部の田沼らが練習をしている京南大学の校庭として撮影に使われたグラウンドがある。
一見したところ遠くに校舎らしき建物が見えるだけで、これといった特徴は無い。
これといった特徴は無い、ということは場所の特定が難しいということ。
ここがどこかも「風間ちゃん」さんによって解明されている。


(作図・風間ちゃんさん)

ここは世田谷区深沢にある「日本体育大学」だ。
映画の画面から建物などの配置を割り出し、その時代の航空写真から合致する場所を探し出す、という手法で特定するものと想像されるが、横から見た映画の場面、上から見た航空写真を比べるのは非常に難しい作業だろう。上の図を見ると映画の画面からパノラマ写真なども作って検討している様子がうかがえる。
現在の「日本体育大学」はグラウンドこそ同じ位置にあるものの、校舎などの建物は、当時のものはほとんど残っていないようだ。



 巡礼メモ 1



麻布田能久が近いであろう設定のロケ地、千代田区平河町を特定するにあたって、決め手になった手がかりに「中華料理・萬来軒」があった。
この萬来軒、作品中ではチラッとしか出てこない。DVDを前後に何度もコマ送りしてやっと見つかる程度だ。
このロケ地特定をなしとげた某氏はこの「中華料理・萬来軒」で食事をしてきたという。
「中華料理・萬来軒」で食事をするということは正直言って何の意味も無い(笑)。萬来軒、映画のストーリーには何の関係も無し。ただチラッと写っているだけなのだから。
しかしである。萬来軒が今でも営業を続けていてくれたからこそ、このロケ地を特定できたと言えば言えないこともない。それに敬意を表してそこの料理を味わう。もしかしたら意味があることかもしれない。いや、きっとあるだろう。あるにちがいない。いや、もしかしたら無いかもしれない。どうなのだろう。
たぶん私もそのうち行くことだろう。

某氏はラーメンとチャーハンを注文し、出来上がってきた時に、「日本一の若大将」の中でこの付近が写っているシーンのプリントをご主人に見てもらったそうだ。
ご主人、とても懐かしがられたそうで、
「若大将は凄いよ!この間もテレビ見てたら、さだまさしなんかも『若大将見て音楽始めた』って言ってたな~ あ~若大将はスゲーや!」
と大感激。
写真のご主人は萬来軒の二代目だそうで、無理矢理渡された名刺によると現在は平河町の町会長をされている名士とのこと。 そんな気さくで話し好きの良い二代目であったおかげで、ラーメンはすっかりのびてしまったそうである。
(2010・09・15記)


 巡礼メモ 2



麻布田能久さんの奇行にならって「たぶん私もそのうち行くことだろう」と書いたが、行かずに7年近くも経ってしまった。
ついに行きました。ご主人、お元気の様子だった。
最近、若い時ほど食えなくなって(情けない)ラーメンとチャーハンはちょっと重い。チャーハンだけにした。しかしただのチャーハンじゃない。カニチャーハン!(威張ってどうする)
ご主人に話しかけるのはできなかったが、写真を見て欲しい。特に一番右の壁の写真の新旧。自分でも見上げた巡礼者精神!
(2017・07・04記)


 巡礼メモ 3



「萬来軒」での食事に続き某氏の奇行はさらに続く。とどまるところを知らない。

き‐こう【奇行】普通の人のしない、風変わりな行動。
(小学館デジタル大辞泉より)

若大将らが玉川通りを走っている場面で、ほんとうにちらっと写るガソリンスタンドがあることは紹介した。「玉川消防署新町出張所」が隣にあるENEOSのスタンドだ。
某氏(仮に「麻布田能久」さんとしておこう)はここで車にガソリンを入れてきたという。
ああ、素晴らしい!
「萬来軒」と同じようにこのスタンド、だだ写ってる、というだけでストーリー上、なんの関係もないことは言うまでもない。だから、ここでガソリンを入れる、ということには何の意味もなさない。
しかしこのスタンド目指してガソリンを入れに行く。
ああ、なんと素晴らしい!
「ゴー!ゴー!若大将」でもガソリンスタンドが登場する。しかしこのスタンドでは澄子が仕事をしているという設定だ。某氏がそのスタンドに行った(現在は存在しないが)というのならそんなに驚かない。寅さんファンが柴又に草だんごを買いに行ったようなものだからだ。
しかしマラソンコースに偶然写っているスタンド。そこにガソリンを入れに行く。これを素晴らしいと言わずして何と言おう。
折しも前日の8日に東京では20年ぶりに20センチを超える大雪が降り、翌9日は都知事選で桝添氏が当選。その同日のことであった。
(2014・02・11記)


 巡礼メモ 4

作品中の場面によっては、カメラを高い位置に据えて撮影している場合もある。
そういう場面では巡礼写真も同じように高い位置から撮影したい。しかし腕を伸ばしてカメラを高く掲げてもせいぜい2メートル程度にしかならない。
そこで新兵器。モップやガラス拭きなど、先の部分が取り外しできる掃除用具だ。このアルミ製の柄の先にカメラを取り付ける。シャッターはセルフタイマーで切るのだ。一脚という商品もあるが掃除用具の方が安くてすむ。
この柄は伸縮するので、最大に伸ばして手で高く掲げればカメラは地上から4メートル位になる。
今回は南青山やヘアピンカーブのシーンで活躍。
しかし場所によっては「覗き見」と間違われないように注意が必要。これを持って行く時は奥さんに「逮捕されたら迎えに来てくれ」 と言って出かける。

それとロケ地巡礼に欠かせないのは画面をプリントした資料である。これが無いことには同じ位置と方向が探せない。
カメラを構え、あたりの風景と画面のプリントを見比べながら、立つ位置をいろいろと変えたりしている目付きの怪しい人物がいたら「巡礼」していると思って間違いない。「ご苦労様です」と声をかけよう。
(2010・11・28記)


 自慢コーナー  ソニー・ポータブルテレビ



若大将が水上スキー大会で優勝し、もらった賞品がポータブルテレビ。
10年程前、下北沢のアンティーク店で同型を発見、3000円くらいで購入した。SONY製で、裏のプレートには「MODEL 5-303」と書かれてある。
モデル名の5は5インチのことだろう。映画公開年の1962年の製品だと思う。
アンテナが折れてしまっているのが惜しい。電源ケーブルを紛失してしまったので映るかどうかわからない。映ったとしてもアナログ停波の2011年までだが。
(2010・02・17記)



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