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『ゴジラ対若大将』60年代プログラムピクチュアの仇花
 1964年2月、ゴジラシリーズ第四作『モスラ対ゴジラ』のクランクアップを目前にした東宝は、早くも1965年の正月映画として『ゴジラ対若大将』の企画を完成した。同門のエース同士の対決に難色を示す向きも無い訳ではなかったが、両シリーズの客層を拡大する可能性を力説する田中プロデューサーに押される形で製作が始まる。

 同年3月には脚本も第3稿までが完成。4月末には『モスラ対~』が封切られるや、直営館には早くもメインキャストの刷り込まれた半裁ポスターが貼り出された。当時としては異例の早さであった。
5月中旬には特撮班が横浜港の実景から撮入する。追って劇場用の特撮予告の編集が始まり、音楽担当の伊福部昭が予告用のテーマを作曲するものの、同時に撮影の進んでいた加山雄三主演作の『赤ひげ』(監督/黒澤明)のスケジュールが大幅に遅れ、加山の出演が事実上不可能となった。このため製作サイドは正月作品として、ゴジラシリーズ第五作『三大怪獣地球最大の決戦』を急遽立案、動員540万人のヒットを飛ばすが、『ゴジラ対若大将』は日の目を見ること無く姿を消した。

余談になるが先行して撮られた横浜港のフィルムは『三大怪獣~』のゴジラ上陸シーンに、伊福部昭のテーマ曲も長くの間幻とされてきたが、30年の時を経てあらたにオーケストレーションされ、93年度作品『ゴジラVSメカゴジラ』のタイトルとして各々使用されているのはファンならずとも周知の逸話である。
少数ながら現存する『ゴジラ対若大将』の半裁サイズのポスター(上)と、 1997年に札幌で催された展示会に出品された台本(左)


資料提供・文/中村犬蔵
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