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上の方が新しい日付になっています。


2002年12月14日
「激突・歌う若大将」

 今日は千葉県は本八幡のカラオケルームで大忘年カラオケ大会。集まったのは東京楽天地のK氏、船橋ららぽーとのI君、船堀シネパルのM君という東宝系興行会社の3名と私の合計4人。完全なオジサン2名ともうすぐオジサン2名の男ばかり4人だ。それがやれ加山雄三だ、クレージーだと歌い狂う。異常な光景だ。2時間半、14曲を歌った。2時間半で14曲というと曲数が少ないと思われるかもしれない。それは曲間のトークが長いのである。誰かが何かを歌うとそれから連想した映画などの話がああでもない、こうでもないと延々でるのでなかなか次の曲に進まないのだ。しかし楽天地のK氏の「ニセダイショウ」という異名に恥じぬ(?)若大将ぶりには驚いた。加山さんのモノマネって似てる人あまりいないと思うがK氏は声がそっくり!
 私はたまにつきあいで「カラオケスナック」なら行くけど、純粋にカラオケをやるカラオケルームは5年ぶりくらいだ。しかしいいですねえ、こういうのは。今のマイクってワイアレスなんだ、知らなかった。いやあ、楽しかったなあ。


2002年12月12日
「続・インチキ大魔王を拝命」

 さて、すぐ前に書いたMac Fanの次の号が出た。予想通り(予想通りって前号にそう書いてあったからあたりまえなのだが)また私達のガレージムービーのことを載せていただいている。できれば立ち読みでなく買っていただきたい。180ページに載ってます。
 この作品で採用した全米で大流行のオートマチックメニュー方式についてもふれられている。オートマチックメニュー方式とはDVDにおける、やれ字幕メニューだ、やれ特典映像だ、というあの選択の面倒さを軽減するために開発されたもので、ただプレイボタンを押すだけで自動的に次々に再生されるものだ。たいした発明である。犬蔵氏も「自分は何もしていないのにメニューの「本編再生」が勝手に選択、クリックされ、頼んでないのに再生がスタートした」と驚愕されている。(賢明なる諸君はおわかりだと思うが、ただ、そういう手順を追ったムービーなのだ)
 さて実は犬蔵氏こそスーパーグレートインチキ大魔王だということを証明するために、ほんの一例として以下のことを紹介したい。犬蔵氏の作品で荻窪東宝でも紹介させていただいている「ゴジラ対若大将」のポスターだが、実はアレの予告編が存在する。氏の個人的な楽しみで作られたものだが、ゴジラが現れ高圧線が破壊されると、若大将のパーティー会場が停電するなど、そういった本編からの映像を巧みに編集し、さらに伊福部昭、弾耕作音楽を駆使しての抱腹絶倒予告編である。これには私、インチキ大魔王もかなわない。(ところで気がついたけど犬蔵氏が私を称して「インチキ大魔王」って、全然ほめられてないですね)


2002年11月30日
「インチキ大魔王を拝命」

 ネットを通じて懇意にしていただいている中村犬蔵氏にMac Fan誌上で荻窪東宝製作のガレージムービー第一作目の「サンフランシスコの若大将」に続き最新作「暗黒街秘密警察・支離滅裂」もとりあげていただいた。ありがたいことである。発売中の12月15日号の188ページなのでぜひごらんいただきたい。(しかも次号にも続くそうである。)
 その中で中村氏は「ワタシ自身、一部方面では「中村捏造」を名乗るほどにパクリ、インチキ王を自負しているが俺がインチキ王ならこの人はインチキ大魔王」と評されている。誠にもって光栄の至りである。(いやいや、実は中村氏こそ私など及びもつかないスーパーグレートインチキ大魔王なのだが)
 これからもパクリ、インチキこそ私の生きる道と信じ精進していく覚悟ですので皆さん、よろしく。


2002年11月28日
「三十数年来の恋人を手に入れる?」

 1964年(私が高1)くらいからずーっと恋い焦がれていて、しかし手が出せない存在があった。モズライトというエレキギターだ。ベンチャーズや加山雄三が使用しているやつでギターのロールスロイスと呼ばれている。名器なのだ。しかしベンチャーズ、加山雄三(ランチャーズ)以外には寺内タケシ(ブルージーンズ)が使っているくらいで、他に使っている人を見たことがないという不思議なギターだ。
 モズライトが載っている本を何冊も買ったり、写真を参考にミニチュアモズライトを作ったり、俺が買わないで誰が買うんだ、というくらい惚れていて、そこまで好きなのに今まで何故買わなかったのだろう。それは値段が高いからだ(ガクン)。現在作られているので数十万、60年代当時のビンテージものだと百万を越えるのもある。だから「いいなあ」とは思っても「買おう」と思ったことはなかった。
 ところが待てよ、国産のモズライト(ライセンスを取得した日本メーカー製)という手もあるぞ、と思いつく。これだと十数万で買える。しかもその中古で格安の出物がありとびついてしまった。65年モデルのレプリカで色は若大将と同じパールホワイト! いやーかっこいい! 何十年も写真やビデオを穴のあくほど見つめた形が目の前にある。ものすごくときめくものがある。ボディーのこのカーブ、誇らしげに付いているモズライトのロゴ! さあ弾きまくるぞお! いや待てよ、私はギターはろくに弾けなかったのだ。

 実は同じ日、自主映画をいっしょに作ったM君もモズライトを買っている。こちらは同じく国産なのだがメーカーの違うモズライトだ。(どうなっているのだ?)今、二人でデケデケデケデケとやって遊んでいる。レパートリーである「ブラックサンドビーチ」と「ウォークドントラン」の2曲をつっかえつっかえ弾いている。バンド名は「石山新次郎とヤングビーツ」。しかし石山新次郎なんて奴はもちろんメンバーにはいない。「頭おかしいんじゃないの?」と奥さんは言う。


2002年10月20日
「TOKYO二人展」

 昨日の「砧同友会」の興奮もさめない翌日の今日、小穴ひとみさんと、師匠である江原達怡さんが青山で「TOKYO二人展」というのを開かれているので友人のS君とおじゃまさせていただいた。運よく江原さんも小穴さんもギャラリーにいらして、手みやげも持たず、絵を買うわけでもない私達を本当に快く歓迎してくださった。ありがとうございました。
 江原さん、小穴さんそれぞれ10数点ほどの作品がならんでいる。江原さんは青と白が基調のすがすがしい山の絵。小穴さんは小穴タッチの心情をよく表した絵だ。とてもお二人らしいと私は思った。S君と二人、感動して眺め入っていると盛況だったギャラリーも一段落してきて、昨日の砧の会の話などでもりあがった。
 そのとき私達は江原さんからいろいろ面白い話をお聞かせいただいたのだが、その中からひとつ紹介したい。森繁さんが撮影の合間に「君たち山の中でウサギを捕まえる時、どうやるか知ってるかい」ときいたそうだ。江原さんはウサギのつかまえ方など知らないから「いえ、知りません」というと森繁さんは「いいかい、こうやるんだよ。まず大きい声で
「ウサギ出てこーい」と言うんだ。次にもう少し小さい声で
「ウサギ出てこーい」次にまたもう少し小さい声で
「ウサギ出てこーい」
「ウサギ出てこーい」
「ウサギ出てこーい」
「ウサギ出てこーい」

とだんだん声を小さくすると、ウサギは人間が遠くへ行ってしまったと思って顔を出すからそこをすかさず捕まえるんだ」と教えてくれたそうだ。まったく森繁さん一流のギャグだ。

お二人とは江原氏と小穴さん 小穴さんのお母様やS君と昨日の写真を見る

2002年10月19日
「聖地へ」

 砧(きぬた)の東宝撮影所では俳優さんや監督、スタッフさんが集まる「砧同友会」という会が定期的に行われているらしい。今回も江原達怡さんと小穴ひとみさんのご厚意により出席させていただいた。なんと「生きてる」の高野さんも招待されていて、いっしょに出かけることができた。高野さんは「生きてる」でも紹介させていただいている胸像の展示、小穴さんも似顔絵の展示を依頼されている。私は別に役に立たないのだが招待をいただいて全く恐縮である。
 いよいよ砧の撮影所に足を踏み入れた私と高野さんは、感動を味わう間もなく早速展示のお手伝い。 お名前を失念してしまったのだけれど、用心棒のときに黒沢組についたこともあるという美術さんの指導のもと、まず小穴さんの絵をパネルに配置した。さすが美術さんだけあって見た目の水平、垂直、配置のバランスなどにはきびしく「もう3ミリ上げて」「もうちょい下(しも・左のこと)に」などと5メートルくらい離れたところから指示がでる。私と高野さんとがそのとおりに配置するのだが、考えてみればこれはすごいことだ。なにしろ砧の撮影所で当時のスタッフさんといっしょに仕事(?)をしたのだから。この歳になってなんと貴重な経験をしたことだろう。
 いつもながら小穴さんの似顔絵はすばらしく、「映画を見てなくちゃあ描けない絵だよなあ」と出席者の方々はしきりに感心する。次に高野さんの胸像を展示。黒沢監督、志村喬、加山雄三の3体だ。これまたいろいろな方が集まってきて「ほー!」と感心する。「この加山ちゃんの後頭部の形がそっくりだよね」とか「黒沢さんてほんと、こんな具合になで肩なんだよね」とか、さすが実際にお仕事をいっしょにされた方々ならではの感想である。
 今回はたくさんの美術であるとか照明であるとか録音であるとかのスタッフさんも出席されていた。そういう方々の当時をなつかしむ会話に耳を傾けていると、この方々(失礼ながら当然もうかなりお歳をめしている)のノウハウというものはものすごいものなんだろうな、と感動する。
 俳優さんも多くの方が出席されていたのだが、この二人の方について書いてみたい。まずひし美ゆり子さん(東宝時代の名前は菱見百合子さん)。ひし美さんはウルトラセブンのアンヌ隊員として有名なのだが、前回の俳優の集いの時は私と席が近く「私も荻窪東宝の俳優名鑑に載ってるの?」と聞かれて「あ、いえ、ひし美さんはあの名鑑の方々よりもう少し若い世代ですので載ってないんです」と言い訳したら「私も東宝映画に出てるのよ」とおっしゃられて「はい、載せさせていただきます」と答えたことがある。その後うっかりそのままにしておいたら今回そのことを覚えてらして「まだ載ってないじゃない」と言われてしまった。ひえーっ!チェックしてくれていたんだ!すみません、載せました。
 もう一人はバイプレーヤーの宇野晃司さん(俳優名鑑参照。たとえば「三大怪獣地球最大の決戦」で浮浪者のような若林映子さんがホテルに入るシーンで若林さんを怪訝な目で見るホテルのフロント役などが印象的)。私は以前からこの方が妙に印象にのこって、いつしかファンになっていた。会場に宇野さんのお姿をみつけたので声をかけさせていただいた。「あのー宇野さん、サインお願いできますでしょうか」と失礼にも会場で配られた参加者名簿の裏表紙を差し出すと「いや、私はサインをたのまれるような役者じゃないんですよ」とおっしゃられる。「いや、私は宇野さんが画面に出られるのをいつも楽しみに拝見しているんです」と言うと「そうですか。ありがとう」と言ってサインをしてくださった。なんだかとてもうれしかったのです。

[写真はこちら]


2002年10月14日
「映画ができた」

 前にも書いた自主映画「暗黒街秘密警察・支離滅裂」が一応完成した。今日はその上映会だ。意気込んでいた頃は大々的にお客様をお呼びして、などと考えてもいたのだけれど、まあそこまでやるほどのものじゃないか、ということで出演者中心でささやかに行うことにする。といっても15人ばかりがどやどやと集まった。
 この映画は主に監督兼主役であるM君と製作者の私との共同作業である。これを作るにあたって二人で話し合ったことは「くだらない事を真剣にやろう」である。まあ、それだけは達成されたように思う。他人が見たら「それはわかるんだけど、よくやるよね・・・」という作品だ。
 なにしろ半年かかってしまった。休み休みの半年ではなくびっしり半年だ。M監督は「いい仕事は時間をかけなければいけない」という正統タイプ。私はどちらかというと勢いでやらないと情熱がさめてしまって、いいものどころか結局何も出来ないタイプ。私は「もうこんなところでいいんじゃないの?」というとM君に「いやいや、もっとこうしたいんですよ」と尻をたたかれる。エネルギーを使いはたした私の胸の赤いランプはいつもピコピコいっていた。
 M君は千葉県に住んでいる。仕事場は東京の江戸川区だけれども荻窪とは東京23区の東の端と西の端で電車で1時間以上かかる。それなのに何十回来てくれただろう。よく通ってくれました。メールでの打ち合わせはきっと何百回になるのではないかと思う。いやあ、大変だったよね。その大変が今考えると楽しいんだけどね。
 この映画はやたらと発砲シーンが多い。火薬を仕込んだモデルガンを使うのだが、けっこう大きな音がする。夜の屋外での発砲ははずかしいこともあり、夜中の2時ころに撮影した。8月の暑い盛り、コロンボみたいなコートを着て帽子をかぶり(私は刑事役だ)汗びっしょりになって三脚をかかえピストルをにぎり監督と二人、夜の街をさまよい歩く。夜中になってもワイシャツはおろかネクタイまで汗がしみてびっしょりになるくらい暑い。飲み屋のおばさんに「探偵さんですか?」と聞かれたこともあった。いくら探偵だって真夏にコートは着ないっつーの。余計めだつじゃないですか。「このへんなら発砲してもそんなに迷惑かからないよね」というあたりでカメラを据え付け数発発砲する。それでも音はけっこう夜の街に響くのですぐに三脚をかかえて走って逃げる。50過ぎてやることじゃない。
 しかし50過ぎてこんなに夢中になれるというのもそうそうあることではない。たくさんの協力者のおかげである。幸せだよね、と思う。

[ポスター見てください]



2002年7月3日
「会社を見てくる」

 1960年代前半くらいの東宝のサラリーマン作品を見ていると、出社するシーンなどのロケでとてもよく出てくる社屋がある。「あ、またここだ。いつもここだな。どこなんだろう」とずいぶん前から気になっていた。最初はきっと東宝の本社なのだろう、と思っていた。しかし有楽町にある東宝本社ではないことがわかり、何ヶ月か前、都心に出たついでに銀座、丸の内あたりのオフィス街をあてもなく探したこともあった。大きな交差点の角にある、というくらいしか手がかりがないのだから見つかるわけがない。40年も前なのだからもう建物が存在しないのかもしれないと諦めかけていたのだが、東宝作品の研究では著名な鈴木啓之氏にお尋ねできる機会があり、それは八重洲にある大和証券ビルだとわかった。
 行ってきました。健在でした。ああ間違いなくあの会社だ。かつてここに森繁が、小林桂樹が、加東大介が、三木のり平が、植木等が、ハナ肇が、沢村いき雄が、淡路恵子が、立ったのかと思うともう涙がぼろぼろと、こぼれ落ちはしなかったが、「ここだったのかあ」という感慨は確かにあったのでした。
「ニッポン無責任時代」(1962)より 2002年の同じ場所。特徴的な入口から伸びるテント状の屋根がやや短くなり、歩道も少し狭くなっている。一階の壁面が模様ブロック状のものからショーウィンドウに変わっているが2階から上のサッシは変わっていない。向こうに見える隣のビルも色は違うが変わっていない。



「社長漫遊記」(1963)より 「社長洋行記」(1962)より 「サラリーマン忠臣蔵」(1960)より
「ニッポン無責任野郎」(1962)より 「日本一の色男」(1963)より 「若い季節」(1962)より


現在の入口。上の写真と比べてほしい。内部の照明なども変わっていない。由緒ある建物とは知らず退社するOLさん達。(知ってたりして) 「日本一の色男」より屋上シーン。屋上シーンは別の建物かもしれないと思っていたらやはり同じビルだった。「ニッポン無責任時代」でもこの屋上は重要なシーンで使われている。 現在の屋上。屋上にある建造物にも変わりはない。(地上から撮影)


2002年6月18日
「マスコミに嗅ぎつけられたぞ!」

 前々項の「映画を作る!」で2年前に「サンフランシスコの若大将」なる作品を作ったことを書いた。主演の若大将はもちろん私だ。この作品、何を考えたか大量にダビングし各方面にみさかいなく配ったことがある。
 その勝手に送りつけた一人に 札幌に住む中村犬蔵さんという方がいる。当劇場にかざってある「ゴジラ対若大将」のポスターを製作した人だ。この方、知り合いになった当時は趣味で「デンキネコ」というキャラクターが活躍するCGによる作品をお作りになっていたのだが、みるみる活躍の場を広げられて現在、パソコン雑誌の「MacFan」で毎号エッセイも担当されている。その7月1日号に私の「サンフランシスコの若大将」がデーンと1ページ紹介していただいたのだからお付き合いは大切にしておくものだ。
 それにしても犬蔵さんの文を読むとこの作品、知らない人が読んだらものすごい大傑作かと思ってしまうように書いてある。その通りなのだが。
 そして現在秘密裏に製作中の「暗黒街秘密警察・支離滅裂」(いい歳してしょうもない・・・)のことまでチラ、と紹介されている。あれ?なんで秘密が漏れたんだろう。あそうか、日記に書いたもんなあ。よーし、こうなったら気合い入れてなきゃあかんなあ!

中村犬蔵氏HP


2002年5月7日
「自主映画フロム・サンフランシスコ」

 何年か前からサンフランシスコに住む日本人女性の方とメールのやりとりをさせてもらっている。最初メールをいただいた時はダーっとアルファベットが並んでいるので「わ!英語のメールもらっちゃたよ」と思ってよく見るとこれが日本語をローマ字で書いたもの。彼女(Mさんという)のお持ちのパソコンが英語環境なので日本文字が打てないためだとわかった。だから私もローマ字で日本語を書く、という文通がしばらく続いた。Mさんはアメリカに住む日系人社会のことなどを教えてくれ、こちらからは最近の日本の事情や映画のことなどをローマ字で書いて送った。今ではMさんも日本語対応のパソコンなので日本語でメールできるようになったのだが。
 私は3年前にサンフランシスコに旅行したことがあり(その時はまだMさんを知らなかった)ビデオカメラを持って行ったので一人で「映画」らしきものを撮ってきて日本で追加撮影をして仕上げたことがある。(前項で書いたものの一本)そのテープを無謀にも見知らぬMさんに送ったりもした。

 そのMさんが、婚約者を連れて日本に行くので会いませんか、と言ってくれた。心待ちにしていると今日連絡が入りお会いすることができた。Mさんのお話はとてもおもしろい。婚約者のK君は30代なので「君」と呼んでは失礼かもしれないが若々しく日本語のたどたどしい日系二世の好青年でラーメンとカツカレーとルパン三世と天才バカボンが好きという。
 帰り際、お土産の日本兵のGIジョーといっしょに「実は私(Mさん)も恥ずかしいものですけど自主映画作ったことがあるんですよ」と一本のビデオテープをいただいた。

 夜、そのテープを見ておどろいた。とてもすばらしいと思った。まず8ミリフィルムやビデオで撮ったシリアスなものが3本入っている。それもすばらしいのだが荻窪東宝のお客様にぜひご紹介したいのがその後に入っていた「スパイキャッチャーJ3」「ゴーゴーサニーボーイ」「エレクトリックサーフギャル」と題するミュージックビデオ風の3本だ。どれも60年代のマイナーなジャパニーズポップスに映像を付けたものだ。一見それは日本の60年代を再現したミュージックビデオなのだが、驚くべきことは、これが90年代にサンフランシスコで撮影されたということだ。出演しているのはみんなMさんの友達の在米日本人で服装もとてもよく日本の60年代を再現している。Mさんは多分70年代の終わりに生まれて80◯90年代に青春時代を過ごされた方だと思うが、60年代の雰囲気がとてもよく分かっている。サニーガールズというMさんを含む三人娘がミニスカートにブーツのコスチュームでオープンカーに乗ったり踊りまくったり、サンフランシスコ郊外の海岸を湘南に見立てたりと、黙って見せれば誰もここが外国とは思わないかもしれない。(車が右側を走っているのが変だと気がつくかもしれないが)大笑いして私はこれを見たが、作るのは大変だっただろう。サンフランシスコに住んでいて「日本の60年代映像を作りたい」というMさんの心意気には感動した。

 サンフランシスコには日本町という所があって、和菓子屋さんがあったり、日本映画のレンタルビデオがあったり(社長外遊記とかあって、K君はフランキー堺の日系二世がとてもよくできていると感心しているらしい)アマチュアによる落語の寄席なども開かれるらしい。日本の文化を大切にする気持ちは日本に住む人に負けない、というか外国に住む日本人の方のほうがその気持ちを大切にしているような気がする。




2002年4月26日
「映画を作る!」

 家庭用ビデオカメラを使い、家族や友人に出てもらってストーリーのある10分から20分程度の作品を作ったことがいままで三度ある。そしてどれも見ている方がはずかしくなるような実につまらない愚作である。というのは実は謙遜で、自分では今まで見たこともないような傑作だと思っているのだけれども、何故か誰もそうは言わないのが不思議でしょうがない。そしてそういう作品を自分では「映画」と呼んでいる。
 最初に作ったのは22年前で、二作目が12年前。最新作の三作目が2年前で、きっちり10年に一作の割合で作っているがこれは偶然だ。製作に10年かかったわけでは全然ない。しかしもしかしたら10年周期の病気だったのかもしれない。

 それが病気の周期が急に短くなったのかまた作り始めてしまった。タイトルは「暗黒街秘密警察・支離滅裂」。なんだか見る前から、どんなものかはだいたい想像がつく。これは友人のM君がシナリオを書き、私が監督ということで作るはずだった。ところが撮影を2日後にひかえても私が描かなければならない絵コンテが全然できあがらず、シナリオを書いたM君なら撮影現場で絵コンテなしでもなんとかなるだろう、という無茶苦茶な理由で急遽監督交代、私はプロデューサーに就任、という無責任ぶりを発揮する。
 さて21日は撮影初日。何と10人の社会人が顔をそろえた。こんなに大勢の人に迷惑かけていいんだろうか。朝の9時前から夜の11時過ぎまで、みんなでああでもないこうでもない、と撮影は進む。初対面同士の人もいるので適度な緊張感もあった。私は今まで全くの自己流だったが今回はM君をはじめ自主映画の経験者もいててきぱきと作業が進むが、NGはどうしても出るので何度も同じ演技をしてもらわなければならないし、みんな疲れて重苦しい空気になることもある。しかし演技など初めてという人もとてもよい味を出していて本当にすばらしいと思った。一番反省すべきことは私は監督でもないのにちょっと口を出しすぎなこと。

 ああ、みんな迷惑に思ってるだろうなあ、と心配していたら翌日、今回はじめて出演してくれたG君が遊びに来てくれた。うちの奥さんが「G君、きのうはすみませんでしたねえ。迷惑だったでしょう? 遊びなんだから何もあそこまで真剣にやらなくてもいいのにねえ」と言うから私は「いいんだよ。そういう遊びなんだから」と言ったらG君も「そうなんですよ。そういう遊びなんですよ」と言ってくれたのには救われた。

(「この支配人、加山雄三を見に行ったり、俳優会に顔を出したり、遊んでばっかりじゃないか。何やってる人なんだ?」と思われるかもしれないが、仕事もちゃんとやってます)


2002年4月20日
「おおぜいの東宝俳優を肉眼で見る」

 「東宝俳優クラブの集い」という文字通りの会があり、去年のこの会のことは前にも書いたのだが、今年は私も出席することができた。このところ私にしては妙に行動が活発である。この日記では度々紹介させてもらっている小穴ひとみさんの師匠(?)である江原達怡さんのご厚意である。ありがとうございました。
 都内某所で秘密に開かれる(そんな怪しいものではないが)この会は今回は十回目だそうで、しかも東宝創立70周年にもあたる記念すべき回になるそうだ。
 いつも私がひたっている大好きな東宝映画に出演している方々と実際に会うことができる、これは考えてみればものすごいことなのだが、ものすごすぎて実感がともなわなかったのだろうか、意外と冷静に、気を失ってひっくりかえったりもせずに楽しく過ごさせていただいた。
 司会は幹事の江原達怡さん。会長の池部良さんのあいさつ、副会長の司葉子さんのあいさつと続き、江原さんはその後、なんと「荻窪東宝」の話をマイクに向かって話されている。私は「おいおい、いいですよ。そんなこと話さないで」とあわてていると「では荻窪東宝さん、一言、ごあいさつを」とかおっしゃっている。私は「うわ!まいったなあ」と思いながらもしかたがないので壇上へ。マイクに向かって「突然のご指名で・・」とか言っていたらすぐ前に座ってらした宝田明さんが「もっと前へ」と手招きされたりして私はなにがなんだかわからないうちに気がついたらあいさつが終わったという始末。江原さん、事前に言ってくださいよ。こっちは素人なんだから。
 江原さんは「荻窪東宝というホームページには皆さんのお名前が写真入りで出てます。もう全員です」とおっしゃっている。私は「うわ!ちょっと待ってくださいよ。出てない方もいますよお」と慌ててしまう。追加しなくては。
 しかし俳優さんというのは現役を退いたとはいえ、そのへんのオヤジやオバサンとは確かに違う。もう座っているだけで絵になる、というか、うーん、たしかに違う。それに気品がある。態度が紳士的である。これは確か。気品のある東宝だからなおさらなのだろう。


(左・若林映子)(中・西条康彦・大前亘・白川由美・藤木悠)(右・伊吹徹・宝田明・中丸忠雄)(敬称略)
さらに写真はこちら



2002年4月15日
「加山雄三を肉眼で見る」

 この前の「熱血支配人」で書いたK氏のお世話で加山雄三さんのライブに行く。場所はKENNEDY HOUSEという所。ここのオーナーはワイルドワンズの加瀬邦彦さんだそうだ。
 会場はぎっしり満員。K氏は実に顔が広く、関係者やらお店の人やら、はてはファンのオバチャンたちともお知り合いのようで言葉を交わしている。彼女らはいつも加山さんの催しには顔を出しているという熱心な人たちらしい。
 さていよいよステージに加山さん登場。加山雄三を実際に見るのは初めてだ。今日は一応「加山雄三とハイパーランチャーズ」ということなので加山さんもバンドのリーダーという感じでギターを弾きまくる。ナンバーは加山ソング40%、ベンチャーズナンバー40%、カントリー20%くらいの割合だった。ベンチャーズナンバーが多いのはベンチャーズファンの私としてはうれしかった。加山さんが還暦、というのはつい最近聞いた気がするが、もう65歳だそうだ。しかしまだまだギターも歌も全然OKのバリバリである。良い歳のとり方を見た気がする。やっぱりオレの目標だな。
 司会はワイルドワンズの鳥塚しげき。ハイパーランチャーズのメンバーではないが、やはり仲間なので和気あいあいの雰囲気で進行していく。観客は20代から60代くらいまで幅広い。後方の席には加山夫人や加瀬邦彦さんの姿も見られた。
 4月の何日かは加山さんの誕生日だそうで、例のファンのオバチャンたちは手作りのプレゼントを渡したり、「恋は紅いバラ」を歌った時とかでは涙ぐんだりしている。実は私もあぶなく涙ぐみそうになったが、なんとかこらえられてよかった。50のオヤジが加山雄三聞いて泣いてたんじゃあ気持ち悪いもんなあ。


2002年4月8日
「熱血支配人」

 このところ映画興行関係の方と会ってお話をうかがう機会にめぐまれている。
 先月は東京の錦糸町を中心に映画館チェーンを展開している東宝系の興行会社TR社のK氏と、K氏もメンバーの一人である「若大将サポーターズクラブ」の方、A氏とS氏の2名とお会いできた。「若大将サポーターズクラブ」というのは熱狂的?な若大将ファンクラブで、その存在は知っていたが実際にお会いするのはもちろん初めて。お会いする前はみなさん若大将になりきってガクランを着ていたり、アメフトのかっこうをしてたりしているのかと思っていたらそんなことはなかったが、しかし皆さん、私と同じく四代目若大将(加山、大矢茂、草刈正雄に次いで。原辰徳は除く)を襲名したとしてもおかしくない、私と同じなかなかのナイスガイだ。特にK氏は不思議なことに風貌が加山雄三と似ているのには正直、びっくりした。お噂では加山モノのカラオケもなかなかの腕前だというのでぜひ拝聴したいものだ。
 そして昨日は江戸川区にある東宝上映館のI支配人とお話できる機会があった。その東宝上映館で映写技師をしている私の知り合いM君の紹介だ。I氏は私と同年輩で、同年輩となるとさすがに「あの頃はああだった、こうだった」という話はよく合う。私は映画ファンと言えるほど映画を見ていないのでなかなか話についていけないことも多いのだが、映画の話、東宝の話を聞くのは大好きで、いつも終電の時間を気にしてのあっという間の数時間になってしまう。
 お二人の支配人のお話を伺っていて共通なのは、いかにお客様によろこんでもらえるか、旧作をどういう方法で上映したら楽しんでもらえるか、の情熱である。やり甲斐のあるお仕事だと思う。


2002年4月6日
「桐野夏生」

 去年の暮れくらいから桐野夏生(きりのなつお)という女流作家に凝っている。江戸川乱歩賞を受賞したりしているので有名な作家なのだろうけど、私は知らなかった。いろいろな作家の作品を集めた短編集を読んでいてその中の桐野夏生の作品がとても面白く、こういうのをもっと読みたいと思い、氏の長編を買ってみたらもう、面白いのなんの、次々買って夢中で読んでいる。
 私はいつも寝る時、蒲団の中でマンガや本を読むのだが、読むのがすごく遅い。特にマンガではなくて字ばっかりの本(いい大人がそう言うか?普通)読んでいるときは特に遅く、読んでいるうちに書いてある内容から連想したことを考えてしまって、眼は字を追っているのだが頭は違う事を考えている、という状態にすぐなってしまう。そうなると「あ、いけね」となってまた読み返す。それと、一字一句もらさず、ちゃんと読みたい、というクセも読むのを遅くしている。言い回しに何か作者の意図したものがあるに違いない、と思うからだ。馬鹿だと思うだろうが極端な場合、「ハハハハハ」と笑っている場合、「なるほどなあ、この場合、確かに『ハハハハハハ』より『ハハハハハ』のほうがしっくりくるなあ」などと感心したりする。ちょっと病気である。
 話がそれてしまった。桐野夏生はおもしろいのである。一言でいうとハードボイルドである。かっこいいのである。氏の作品に比べると他の女性の作家の作品がすごく甘ったるく所帯じみて思える。女性の書いた作品だからなおさらなのか、登場する男性が大変に魅力的だ。登場する女性も同姓の立場から冷静に見ていてかっこいい。
 しかし残念なことに10作にも満たない桐野夏生の長編、いくら読むのが遅い私といえ、あと1冊を残して全部読みつくしてしまう。
 「OUT」 弁当工場のパートの雅子さん、あんたはすごいよ!
 「ファイアボール・ブルース -逃亡-」 最後は泣きました!
どれも面白いのだが「荻窪東宝」のお客様には「水の眠り 灰の夢」(文藝春秋社刊 ハードカバー・文庫)をおすすめしたいと思う。時は東京オリンピック前夜の1963年。当時の風俗もよく考証されていて、異論はあるだろうが黒澤作品(天国と地獄、野良犬など)を彷彿とさせるものがある。


2002年1月14日
「佐藤允氏のトークショー」

 阿佐ヶ谷「ラピュタ」では今、岡本喜八特集の上映を行っているが、その中のイベントとして岡本作品には数多く出演されている佐藤允さんを迎えてのトークショーに行く。今日の司会をつとめられる佐藤利明氏からご案内のメールをいただいたおかげで今日の催しに気が付き、急遽友人を誘って二人で参加する。佐藤利明氏は浦山珠夫さんという、どこかで聞いたことがあるような気がするもう一つの名前も持ってらして、今日は浦山さんということになっている。
 アクション映画の中の佐藤允さんは豪快そのものだが、実際の佐藤さんはどういう方なのだろう、ということに私は興味があった。司会の佐藤利明氏は「普段寡黙な方だけに、1時間以上の長丁場、心配していたが楽しい時間を過ごせた」ともらしてらした。
 豪快だが寡黙。この言葉が佐藤允氏の男らしさを表している。豪快だが無神経、という人は世間にいくらでもいる。しかし佐藤允さんは周りにとても気を遣うとても細やかな神経をお持ちだと感じる。そういえば、と、三船敏郎さんを思い出した。三船さんも豪快ではあるが、とても周りに気遣いをされる方だったと聞いたことがある。このお二人、似ているかもしれない。
 佐藤允氏は日本のリチャード・ウィドマークといわれていたそうだが、ご本人の言葉では「私はアメリカ映画よりフランス映画が好き。ジャン・ギャバンを尊敬し、パリへは暇さえあれば旅行をしていた。」そうだ。実際の佐藤氏を見ていると、それが意外ではなく感じられる。


左が佐藤允氏。右は今回の司会を務める佐藤利明(浦山珠夫)氏。


2001年12月24日
「イブの夜は海底軍艦で」

 また「ラピュタ」へ行き、こんどは「海底軍艦」を見る。観客はカップルが一組いたほかは皆一人の客ばかり。私ももちろんその一人。淋しい奴らがイブの夜に集まった。
上映終了は夜の11時近く。阿佐ヶ谷からトボトボ歩いて荻窪に帰る。途中、ちょっとハラがへったなあ、と思ったら住宅街の中にぽつんと、ラーメン屋の明かりが見えたので入ってみる。ものすごく小さなラーメン屋で、関西弁の若い人たちの客が3人ほどいて、私が入るともういっぱい。3人の客たちは友達がアパートの家賃を20日までに入れなかったので大家から追い出される話や、楽で良い金になるバイトの話などをしていた。ラーメンは結構うまかった。カウンターのすみっこでイブの夜に一人ラーメンをすすっているオヤジ。なんだかものすごくカッコイイのではないかと思った。
ウチに帰ったら冷蔵庫にサランラップを被ったクリスマスケーキが一切れ。また一人でモソモソ食った。

話は飛ぶんですけど、クリスマスケーキっていうと白い生クリームでイチゴが乗ってるのがまあ普通です。ところが生クリームみたいにフワッとしてなくて、もっと油っぽいというか生クリームよりちょっと硬めでやや黄色みがかった「バタークリーム」のクリスマスケーキって知ってますか? イチゴなんかは乗ってなくて、そのかわり、やはりバタークリームで上手に作ったバラの花とかが乗っているやつ。スポンジの間にはマーマレードかアプリコットジャムがはさんであれば理想的。私はあれの方が大好きなんです。でも近頃は見かけないので、さらに淋しいクリスマスです。


2001年12月12日
「いちばん近い映画館」

 表紙でご案内している阿佐ヶ谷の映画館「ラピュタ」へ行き「世界大戦争」を見る。僕は今日ここへ来たとたん後悔した。もっと早く来るべきだったと。
50席ほどのこぢんまりした試写室のような雰囲気で、落ち着いて鑑賞できる。映写が始まる前、係の女性の方がマイクを通したアナウンスではなく、場内から肉声で上映開始を告げるのがいい感じで妙に感激した。


2001年12月10日
「忘年会」

 お酒はあまり飲めない。おいしいと思ったこともあまりない。やれ久保田だ、やれ八海山だ、などと言われてももてんで分からない。コーラのほうがよっぽどうまい。しかしおいしいものが食べられるので宴会は好き。(でも二次会のカラオケスナックは勘弁してもらいたい。オジサンはこういう所、行かなくてはならないことがあるんですよ。オバサン相手にド演歌唄ってるの聞いて「ハイ、一人○千円ね」などと言われるとお酒も飲んでいないのに暴れたくなる。演歌はちょっと苦手だけれども歌謡曲は好き。ムード歌謡とかね。黒沢年男は『僕は演歌は嫌いです。え?僕が唄ってるって? あれは演歌じゃなくて歌謡曲です』と言っている。)
おとといは高校の時のクラス会のような忘年会。何十年ぶりに会って誰だかわからなくて「どこのオヤジだよ。老けてんなあ」と思っても、「○○君だよ」と教えられると当時の顔が甦ってきて老けて見えていた顔がすーっと若くなる。しょっちゅう会っている友人や自分はあまり変わってないと思っていても知らない人が見ればやっぱり年相応のオッサンなのだなあ、と思い知らされる。
今日は和菓子屋の組合の忘年会。実は私、和菓子屋だったのだが今年の春、廃業している。しかし呼んでいただいた。ありがたいものだ。
そして毎年、忘年会の大トリは大晦日の夜、3人のメンバーで蕎麦を食いに行き除夜の鐘を聞く。それぞれの奥さんが加わったりすることはあっても基本的にこの3人で行くのはいつからだったろう。忘れてしまったくらい長く続いている儀式なのだ。


2001年12月09日
「東宝砧撮影所」

 世田谷に用事があり車で行き、カーナビを見ると東宝の砧(きぬた)撮影所がすぐ近い所にあることがわかり寄ってみることにする。実はいままで砧撮影所には行ったことがない。家からは10・ちょっとの距離だ。全国規模からみれば近所ともいえる近さなのだが。
砧撮影所は現在は東宝スタジオと名を変え住宅街に囲まれた一角にあった。もちろん勝手に中には入れない。以前は多分、周りは畑とかだったのだろう。正門の前以外は車がやっと通れるくらいの狭い道が多い。こういう時、カーナビは本当に役に立つ。とりあえず撮影所に沿って外を一週してみた。かまぼこ形の屋根のスタジオや海の特撮などに使われたプールがあったのであろう場所がフェンスの隙間から見える。
急に思い立って訪れたので心の準備ができていなかったせいか、かえって「ああ、ここなんだ。ここで作られたんだ」という感慨が大きい。
スタジオツアーも行われているような話を聞いたことがあるので機会があれば参加してみようかなと思う。



2001年12月03日
「哲楽?」

 テレビの公開録画の見学で、お台場にあるフジテレビに行く。東京に住んでいながら臨海副都心へはずっと行ったことがなかったのが、それが急に先週はあるイベントで行き、そして今日だ。臨海副都心というものができるまでそこに何があったのかよく知らないがまるで未来都市だ。東京のいなか者は驚いてしまう。
まあそれはいいのだが公開録画がおもしろかった。CS放送のフジテレビ721の番組に「チャンネル北野」という枠があり、その中に「談志の哲楽堂」という企画があるそうでその収録を見させてもらった。談志というのは勿論立川談志だ。談志のほかに松尾貴史(タレント)、道平陽子(女優)、西丸震哉(食生態学者)、毒蝮三太夫(科学特捜隊隊員)の5先生が様々な事柄の真理を追究する。1時間番組2本分の収録なのだが、これはちょっと放送できないだろう、という発言も少なくないので3時間の収録。たっぷり笑った。もっと長くても勿論よかった。ふれこみ通り、目からウロコの3時間だ。
談志というと嫌いな方も多いのではないかと(偏見か?)思うのだが僕はわりと好きだ。行っていることが正しいかどうかは分からないが。だいいち落語の天才だ。本人もそう言っている。現在では談志の落語をあまり聞けなくなってしまったのだが。(立川一門は寄席には出ていない。テレビでの落語放送もほとんど無くなった)
フジテレビ721関係の知り合いに便宜をはかっていただいて(ありがとうございます)席は一番前のど真ん中。ステージの上にはゆるい弧を描くように5つのイスが置いてあり出演者がそれぞれ座る。その弧を凹面鏡にたとえると焦点の位置に僕がいる。3メートルくらいの距離だ。出演者とはしょっちゅう目が合う。会場の僕に話をふられたらどうしよう、とドキドキしてしまったがそれはなかったのでホッとした。


2001年11月29日
「おもうつぼ」

 コンビニなどでジュースにオマケが付いているのを見るとすぐ買ってしまう。今年の夏はP社のコーラに猿の惑星のボトルキャップフィギュアが付いていたのでコーラばっかりガブガブ飲んでいた。なのに結局全種類はそろわなかった。C社のコーラにはLEGOが付いていたのでそれも買って、またしてもコーラを飲みまくった。ついには「まろ茶」とかいうのにはなにやら綺麗な入浴剤が付いているのまで欲しくなり「まろ茶」ばっかり飲んでいた。バカではないかと思う。
最近はG社の北海道、東北地区限定発売のキャラメルに「タイムスリップ」と称して懐かしい家電製品や自動車のおもちゃが付いているのを知り、どうしても欲しくなり知り合いから取り寄せてもらい、今はキャラメルをしゃぶりまくっています。


2001年11月21日
「英語版荻窪東宝」

 英語版「荻窪東宝」を見られるようにした。
と言っても翻訳サイトを利用させていただいてのもの。こういう事ができるとは、うかつにも今まで知らなかった。いやしかし、たいしたテクノロジーですなあ。
訳も案外正確で(といっても私の語学力で判断してのことですので”多分”ですが)感心する。見慣れたページがアルファベットで満たされると、なんだかカッコよく見える。
しかしやはり人名などの固有名詞は苦手なようで、中真千子が「Inside Truth 1000 child 」になったり池部良が「Ikebe Good」になったりするのはご愛敬。でもゴジラはやはり有名なようで、ちゃんと「Godzilla」になる。


2001年11月11日
「新宿末廣亭」

 寄席に行ってみたくなり、奥さんといっしょに新宿の末広亭に行く。
自分では落語好きみたいに言っているが、それはテレビやテープで親しんでいただけで、実は寄席に入るのはまだ2回目。1回目も末広亭だった。それも30年近くも前だ。
末広亭の前はたまに通るので見慣れているが、木戸銭(ひとり2700円)を払い、中に入るとそこは記憶以上の別世界。すでに昼の部は始まっていて、おねえさんが案内してくれる。イス席はほぼ満員なので左右にある畳に座布団の桟敷席へ。ほどなく上演中の若手さんの落語が終わり、休憩時間。いなりずしや海苔巻きのおべんとうとお茶を買い、始まるまで喫煙室でたばこを吸う。
末広亭の建物自体もそうとう年期が入っているのだが、各部の造りがこれまた実に趣深くて、昔の場末の映画館を彷彿とさせる部分も多い。たとえばこの喫煙室にしても広さは3畳ほどなのだが、ビニールのソファー、足のついた金属の灰皿、木枠の引き違い戸に模様入りガラス等々、なんとも言えず懐かしい。
さて休憩時間も終わり後半に。いなりずしを食べながら全部で7◯8つの演目を楽しむ。一番面白かったのは意外なことに漫才。大瀬ゆめじ、うたじという二人なのだが、こんなセンスのある人、なんでテレビがほっておくのだろうと思う。
テレビといえばこの末広亭、昔はなんと毎週日曜日に中継放送があった。東京では日本教育テレビ(現テレビ朝日)の番組で、毎週ひとつかふたつの出し物を放送したあと、大喜利で当時の若手、中堅で小せん、円鏡、夢楽、柳昇といった人たちが出演していたのを思い出す。司会は馬場さんというアナウンサーで、偶然、今日私たちが座ったあたりの左側の桟敷でいつも司会をしていた。
そういう噺家さんたちも今はもちろん若手ではない。噺家さんがテレビに出る機会も少なくなってしまった。今日見たなかに知っている人は一人もいない。昭和は遠くになりにけりだな。(あー、年寄りくせえ)


2001年10月01日
「長嶋茂雄監督のことなど」

 読売巨人軍の長嶋茂雄監督が本日の阪神戦をもってユニフォームを脱ぎました。(今日時点、厳密に言えばこれからヤクルトが全部負ければプレーオフなのでまたユニフォームを着るのですが)
 いままでの感動、本当にありがとうございました。豪快にして繊細、スポーツ界のみならず日本を代表する素晴らしい日本人だと思います。
 テレビでは「ひとつの時代が終わった」という声をさかんに流しています。まさにその通り、と思っていたら、そのことと一緒に書いてはいけないのかもしれませんが、同じ今日、名人・古今亭志ん朝師匠がお亡くなりになりました。私は20年ほど前、志ん朝師匠にこっていて、テレビから録音したテープを車で聴いたり、夜、寝付く時に聴いたりして志ん生ゆずりの「明烏」「つき馬」などの郭話(くるわばなし)を暗記してしまうほどでした。いつか録音テープやビデオを整理したり、できれば高座も見に行きたいなどと考えてていたところでした。ご冥福をお祈り申し上げます。


2001年8月10日
「東宝俳優人気投票」

 今年の5月25日からスタートした「東宝俳優人気投票」ですが、2ヶ月半の間に1788票ものご投票をいただきましたが、本日とりあえず締め切りとさせていただきました。前回の「特撮作品人気投票」は約半年の期間で600票余りでしたので、やはり俳優さん個人への投票となると、熱心な応援など関心の高さを示した結果になりました。
 1位に輝いたのは江原達怡さんです。若大将シリーズでおなじみの江原氏ですが、若大将シリーズ以外にも、というか、若大将シリーズ以外のほうがずっと多く東宝作品に出演されていて、今日までの根強い人気をあらためて感じさせていただきました。
 おしくも僅差で2位の植木等さん以下、93名のノミネート中、上位30名の俳優さんを発表しておきます。しかしもちろん、ここに入っていない役者さんも東宝映画にはなくてはならない、そして人気を誇った俳優さんたちであったことは言うまでもありません。

順位 名前(敬称略) 得票数

01 江原達怡 149
02 植木 等 145
03 加山雄三 128
04 小林桂樹 84
05 三船敏郎 81
06 佐藤 允 76
07 森繁久弥 53
08 黒沢年男 42
09 夏木陽介 37
10 志村 喬 33
11 酒井和歌子 31
11 フランキー堺 31
13 堺 左千夫 27
13 団 令子 27
15 若林映子 26
16 田中邦衛 24
16 平田昭彦 24
18 宝田 明 22
19 谷 啓 21
19 藤山陽子 21
19 星 由里子 21
22 山茶花 究 20
22 淡路恵子 20
22 二瓶正也 20
25 藤木 悠 19
25 三木のり平 19
27 久慈あさみ 18
27 有島一郎 18
27 伊藤雄之助 18
30 中 真千子 17



2001年5月27日
「昔のテレビ受像機」

 1950年代から60年代くらい(というより昭和30年代と言ったほうがふさわしい)の古いテレビをコレクションしている方がいて、見せていただきました。角のまあるい白黒画面のあれです。
持ち込まれた古いテレビの修理なども引き受けられているというので、失礼ながら雑然とした仕事場を想像していたら、とんでもない、オートロックの近代的なマンションの一室に整然とそれらが並べられていて驚いてしまいました。50台くらいはあったでしょうか、ほこりをかぶっているような物は一つもなく、とても手入れが行き届いていて、愛情が感じられます。それでもここにあるのは所有している一部だというのでさらに驚きました。
この方はそれが本職ではないのだけれども、アンティークとして市場に出ている「映る」テレビの9割がたはこの方の手に掛かった物だといいます。この日も私のほかに2組、修理の依頼で訪れていた人がいましたが、とても良心的な仕事をされているという感じです。

 実は私も古いテレビは好きで少しだけれどもコレクションもしています。コレクションというのはただ数を集めるだけでなく、系統立ったテーマがあったり、気に入ったデザインであったり、稀少なものであったりというのなら、全然コレクションとは言えない代物が多く、ただいくつか持っているというだけなのですが。
 私が古いテレビがほしい、と思ったのは20年くらい前からです。それでもほしい対象のテレビはそれからさらに20年くらい前の物なので手に入れるのは容易ではありません。なぜなら、たとえば電蓄(電気蓄音機。昔のレコードプレーヤーですな)であるとか、真空管のラジオであるとかなら古道具屋さんにも並んでいたのですが、テレビとなると全く皆無です。アンティークとしての地位が確立されていなかったのです。だからほしいと思っても売っているところが無い。価値がないのだからゴミのようなもののはずなのに、なぜか捨てられてもいない。しかたがないからそれでも一生懸命、落ちてないか探すわけです。しかしいくら20年前とはいえ、そうそう捨ててあるわけではありませんでした。あったとしてもあまり面白味のない、比較的新しい物ばかりです。(といっても、それから20年経った現在ではこれもまた味わいのある物になってきているのですが)
 そこで知り合いの電器屋さんに聞いてみました。下取りして捨ててしまうテレビはどうするのかと。そうしたらそれは専門の処理業者がいて集めているのだと判りました。場所をきいたら一応都内なのですがえらく遠くです。行きました。そこまで。そうしたらありましたありました。テレビの墓場が。もう宝の山です。と言いたいところですが欲しいのはそのなかのほんの一部。百台か二百台の中の一台くらいです。ブツは雨ざらしで山積みされています。その下の方に埋まっているのを見つけては業者さんに「あの、すみません、これ……」とか言うと、親切な人で、「あいよ」と言って取ってくれます。そこで2◯3台もらったのが私のコレクションの始まりでした。
 それから何年か経ったあたりからアンティークとしてのテレビの地位も少しはできてきて、下北沢あたりの店であるとかにも並ぶようになってきました。現在ではYahooのオークションとかにも、いつもいくつか出品されています。

 今回、私がおじゃましたコレクターの方はだいたい私と同じ位の年齢のようでした。月光仮面や少年探偵団と共に少年時代を過ごしてきた世代です。しかし修理の依頼で来ていた二組の方達は20代のようでした。熱心にいろいろ質問する様子を見ていて、頼まれて来たのではないことはすぐわかります。物の魅力というのは不思議だなあ、と思います。
2001年5月15日
「東宝俳優人気投票」

 以前から俳優さんの人気投票をやってみたかったのですが、なんとなく躊躇していました。しかしそれで役者さんとしての優劣を比べるわけではないし、少数派ならではの魅力を持った役者さんも当然存在するわけですし、実施することにしました。どんな結果になるのかとても興味深いと思います。ぜひご投票お願いします。
 昨年からご投票いただいていた「特撮人気投票」は締め切らせていただきました。ありがとうございました。結果をここに残しておきます。さすがに上位にランクされた作品はどれが一位になってもおかしくない傑作ぞろいで、とても順当な結果のように思えますがいかがでしょう。

順位 タイトル 得票数

01 空の大怪獣ラドン 51
02 フランケンシュタイン対地底怪獣(バラゴン) 48
03 妖星ゴラス 45
04 海底軍艦 44
05 フランケンシュタインの怪獣サンダ対ガイラ 43
06 モスラ 41
06 マタンゴ 41
08 地球防衛軍 37
09 ゴジラ 34
10 ガス人間第一号 31
11 モスラ対ゴジラ 30
12 キングコング対ゴジラ 28
12 三大怪獣地球最大の決戦 28
14 怪獣大戦争 26
15 宇宙大戦争 17
16 大怪獣バラン 14
17 緯度0大作戦 13
18 美女と液体人間 11
19 電送人間 10
20 世界大戦争 9
21 キングコングの逆襲 8
22 怪獣総進撃 7
23 ゴジラの逆襲 5
24 日本誕生 4
24 宇宙大怪獣ドゴラ 4
26 ゴジラ・エビラ・モスラ南海の大決闘 3
26 白夫人の妖恋 3
28 透明人間 2
28 1967 怪獣島の決戦ゴジラの息子 2
28 1955 獣人雪男 2




2001年4月29日
「東宝俳優の同窓会」

 往年の東宝映画に出演されていた俳優さんたちは、今でも交流があるのだろうか、たまに集まって現役時代の想い出話に花をさかせる会があるのではないだろうか、などとはいつも想像していました。そんな集まりがあったらなんて素晴しいだろう、でも多分、そういうことも、もうないのなかもしれないなあ、とも思っていました。
ところがあったのです。
似顔絵の小穴さんがその会に出席したのだそうです。
彼女が江原達怡さんの「夢穂高美術館」で似顔絵展を開いたのは前に書きましたが、それらの作品の紹介も兼ねて、招待されたのだそうです。(いいなあ!)
今月の某日、都内のホテルで開かれた「東宝映画俳優クラブの集い」というのがそれです。
出席者は総勢約60名なのですが、私の知っているところでは、池部良、佐藤允、中丸忠雄、夏木陽介、江原達怡、伊吹徹、西条康彦、大前亘、若松明、宇野晃司、中島春雄、水野久美、北あけみ、原知佐子、中真千子、中川ゆき、南弘子、(順不同、敬称略)といったところです。ちょっとすごいです。

今はそれぞれの立場の方たちが、以前は同じ目的のために活躍された人たちが、40年の月日を経たある日、まるで引き寄せられるように一つの場所に集まる。 なんだか神秘的にすら思えます。当事者でもない私まで、なんだかわけもわからずじーんとしてしまうような感動的なことです。

この出席者の名前を見ていて、この日たまたま都合のついた方々が集まった偶然の顔ぶれとは思えない、なかなかの配役のような感じがしませんか? もしこのメンバーで出演している作品があったとしたら、きっとすごくおもしろい作品ですよね。 出演者からして監督は岡本喜八さんかなあ、やっぱり。中島春雄さん(ゴジラの中身だった人)もいるからゴジラも出てくる特撮・青春サスペンスアクションものですね。きっと。



2001年3月7日
「荻窪の映画館」

 ある人に「あなたの住んでいる荻窪の映画館の思い出」について聞かれたので、ではここで書きます。ということにしました。
荻窪には現在、一軒の映画館もない。荻窪という土地を知らない方に説明すると、一応、JR中央線沿線にあって、東京駅からは約30分。駅前にはビルもたくさんあるのだが、5分も離れるともう住宅街、という、まあ半端に開けた場所です。
しかしこんな程度の街にも映画全盛期には5◯6館もの映画館がありました。
私は昭和24年の生まれで、それ以前のことは分からないのですが、私がものごころついた頃には「荻窪文化」という映画館だけがありました。ここは新東宝の封切り館で、アラカン(嵐寛寿郎)の「鞍馬天狗」や(歳がバレますな。生まれ年を言ってるんだからもうバレてるか)宇津井健の「スーパージャイアンツ」を見た記憶があります。ほとんどは母親に連れて行ってもらっていたのですが、なぜか東宝作品の「ゴジラの逆襲」を父親といっしょに見に行った記憶があります。「ゴジラの逆襲」に出てきたアンギラスの映像が鮮明に思い出されます。父親から「あれは模型を使って撮ったのだ」と説明されたように覚えています。
昭和30年代前半の、当時は「郊外」と呼ばれただであろう荻窪のその映画館は、なぜか明るく楽しい娯楽の王様、ではなく、なんとなく秘密めいた薄暗い雰囲気であった印象です。しかし今思い返してみると、小さな売店で買ってもらったラムネやジュース、それを飲む、ひびわれてズーズーいう麦藁のストロー。できることなら今、もう一度入ってみたい趣深い映画館ではありました。
その「荻窪文化」は取り壊された後ローラースケート場になったりして、現在ではアメリカンエクスプレスの本社が入っている高層ビルが立っています。
「荻窪文化」の次にできたのが「スター座」。最初は洋画封切り館で、その後ピンク映画専門館となり、荻窪では最後の映画館として数年前までがんばりましたが、いまは区の駐輪場。入場券の販売窓口のあたりがタイル貼りになっていたりしていい感じだったなあ。

さて、いよいよ1960年代頃の映画黄金期には駅のすぐ近くに東宝、日活、東映、それに洋画封切りの4館がズラッと並んでいました。お正月とかになると、お客が入りきれないほどおしかけて、通路に座り込むのは勿論、立ち見の客でドアが半開き状態になって、背伸びをしたり、子供は親に肩ぐるまされたりして映画を見たものです。考えられます?
特に「荻窪東宝」についてはこの支配人日記の一番最初に書きましたのでよろしかったらお読みください。

私は荻窪のこのような映画館に出入りして今日に至ってきたわけです。(ピンク映画館になってからのスター座には、はずかしくて入れなかったのですが)
子供の頃行った繁華街の映画館は圧倒的に新宿でした。特に大作といえばミラノ座が多かったです。今の私の奥さん(いままでの奥さんも、これからの奥さんも今のところいない予定ですが)と初めて行った映画館は新宿プラザで007でした。余談ですが。

本や漫画と違って、絵空事とわかっていながらも生身の人間が演じる「実写」で見せられた映画からは、私たちは強烈な影響を受けてきたと思います。 こんなこと書くとなんだかキザではずかしいのですけど、友情だとか愛だとかついて考えたり、カッコよさにあこがれたり、こういう生き方っていいなあ、と思ったり、いつかはこんな女優さんみたいな人と恋をしたいなあ、なんて思ったり。 私たちがかつてあの暗闇で見てきた『映画』は、今の私たちを形作っている主要な要素のひとつかもしれません。



2001年1月17日
「夢穂高美術館」

 当「荻窪東宝」の「似顔絵のお姐ちゃん」の作者である小穴ひとみさんがトップページでお知らせしているように、長野県の「夢穂高美術館」で似顔絵展を開いていて、私もやっと行ってまいりました。
小穴さんは弱冠22才のお嬢さんなのですが、どういうわけだか1960年代くらいの東宝作品が大好きで、ハタチ前から東宝スターを描き続けているのですからおそれいっちゃいます。
そして今回の発表の場である「夢穂高美術館」はご存じの方も多いと思いますが、俳優の江原達怡(えはらたつよし)さんが館長をつとめる美術館で、有名人の描いた作品を専門に展示していることで有名です。
江原さんは数多くの東宝映画に出演されていますが、若大将シリーズで雄一の属する運動部のマネージャー役でおなじみです。
小穴さんが東宝スターの似顔絵展を開くにはこれ以上ふさわしいところは無いといえるでしょう。

さて私が「夢穂高美術館」へ行ったのは1月10日のことなのですが、もう実にいろいろあって、うーん、何から書いたらいいのか迷ってしまうのですが、とりあえず順番に書くことにします。
新宿を朝の8時発の「スーパーあずさ」とかいう、なんだかかっこいいのに乗って「夢穂高美術館」の最寄り駅である穂高駅についたのは11時ちょうど。
駅前からタクシーで「夢穂高美術館お願いします」と言ったらすぐに分かってくれました。
「タバコすっていいですか?」と運転手さんにに聞いたら「10分くらいですねえ」と返事が返ってきました。
ま、いいやと思っているうちに、おお、ついに「夢穂高美術館」に着きました。前日積もった雪のせいで、なおさら閑静に感じられる林の中にあって、ちょっと美術館らしくない、さりげないたたずまいです。
あとで聞いたところによると、隣にもっとハデな感じの別荘があって、そっちを夢穂高美術館と勘違いして行ってしまう人もいるらしいです。

タクシーを降りると、その音が聞こえたらしく、美術館の中から一人の女性が出てきて「河合さんですか?」と聞くじゃありませんか。おもわず「あ、はい」と答えると「お待ちしてました」と言って中に案内してくれました。
小穴さんに行く日を伝えてあったので彼女が連絡しておいてくれたらしいのです。
そしてそして、そのおかげで江原さんに会うことができました!
私は江原さん出演作の中では一番新しい「メッセンジャー」を見ていなくて、一番最近の江原さんは1981年の「帰ってきた若大将」なものですからちょっとまごつきましたが、間違いなく本物の江原さんが、あのマネージャーの江口君が私を迎えてくれたのです。
江原さんに会えるとは思っていなかったので、なんだかしどろもどろの挨拶をした後、館内を見てまわりました。

まず館長のしたためた挨拶文が掲げてあります。
「ここに展示してある作品は、美術とは関係のない世界ですばらしい業績を残されている方々の『夢の世界の表現』です。世の中に名前を知られた著名人の本業が、その人のわずかな部分でしかないということがお分かりいただけると思います。」(抜粋)か。うーん、さすが江原さん、いいこと言うなあ。
などと感心したあと、いよいよ作品です。

写真でしか知らない加山さんの海の絵、「おお、これだこれだ」
やはり印刷物で見たことのある黒澤監督の絵コンテ、「おお、これだこれだ」
片岡鶴太郎さんの作品、「あ、すげえ」
佐藤允さん「わあ、らしいや」
夏木陽介さん「車が好きだからなあ」

などなど展示されている数多くの絵画は、私が想像していた「芸能人が描いた絵」をはるかに越えている作品ばかりでした。本当に驚き、感動します。

そして、
「おっ、あったあった!あははは・・・」
小穴さんの作品をまとめて展示してある部屋。
「うわあ、あははは」
もう、一人で笑いっぱなしでした。

淡路恵子さん「夜の街をバックにたばこ片手の厚化粧! 感じでてるなあ」
三木のり平さん「小穴さん、やっぱりのり平さんのこと分かってるよ」
江原さん「このヘアスタイル!これですよこれ!手に持っているクシがいいですねえ」
エレキの若大将からの場面「加山雄三や寺内タケシってガニマタでリズムとるんですよねえ、最高!」
椿三十郎からの場面「金魚とフンか、こりゃいいや!」

などなど小穴さんのは全部で40点くらいもあります。もうほんと、おもいっきり楽しめました。
中には「こりゃあいくらなんでも失礼すぎやしませんか」と見るほうがビクビクしてしまうようなデフォルメをした作品もあるのですが、東宝スターならそんなことで怒るような人はいないだろうから大丈夫。
順路を一巡りして戻ってくると江原さんは館内にある喫茶室にいてくれて「河合さん、コーヒーでいいですか?」とごちそうしていただきました。
私は江原さんとお会いできるとは思っていなかったので、私からはとりとめのない会話に終始してしまいましたが、江原さんは当時のことなどをいろいろ話してくださいました。
喫茶室には東宝関係の出版物やアルバムなども閲覧できるようになっていて、こりゃもう東宝ファンなら行くっきゃないですぜ!

そろそろおいとましようかと思っていたら、江原さんが「河合さん、そば喰いにいきましょう」とお昼にさそっていただいたのには本当に驚き、感激でした。
元レーサーの江原さんの運転する軽自動車に乗せてもらい、雪景色の中をドライブすること約20分、見晴らしのいい所にあるそば屋に連れて行ってもらったのです!
私は江原さんがモータースポーツに関わっていたことは知ってましたが、それは趣味の範疇なのかと思っていたのですが、日産や三菱などのワークスドライバー(メーカーが正式にサポートするチームのドライバー)をやっておられたことをうかがい、びっくりしてしまいました。加山さんが江原さんに「スピンターンのやりかた教えろよ」とせがんだりしたそうです。
そば屋でも江原さんは映画のこと、美術のこと、いろいろ話してくださいました。
その後、また軽自動車で駅まで送ってもらい、私は感激で恐縮で感謝で、もうなんだかいっぱいでした。

江原さん、どうもありがとうございました!

そして小穴さん、本当にありがとう。一生忘れられない日ができました。
それから、作品、とてもよくできていて、心から楽しめました。

江原さんは現在63才で若大将映画の当事者、私は51才でそれをリアルタイムに見た世代、小穴さんはブラウン管で面白さを発見した世代。上下40才以上のへだたりがあっても同じ話題で語れる当時の東宝映画って、世代なんて軽々と越えてしまうものすごいパワーを持っているんだなあとつくづく実感した一日でした。


左・「夢穂高美術館」玄関前で 右・ワゴンRと江原氏




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