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社長紳士録 (1964)監督・松林宗恵

原田写真事務所 麻布田能久 荻窪東宝 共同企画

「天国と地獄」のロケ地調べで協力をいただいているHさんがご用事で鹿児島に行かれたとのこと。「社長紳士録」の鹿児島でのロケ地の撮影をしてきてくれました。わずかな空き時間を利用して16カット!もちろん綿密な下調べがあってのことなのでしょうが、とても私にはできません。映画画面と現在の比較。調べたことがない私には質問したいことが山積みです。
天保山橋で見える水面はどうなっちゃったの? 鴨池空港は今はないの? 城山観光ホテルは建て替えられた? 城山観光ホテルの石碑は? 日本澱粉はTSUTAYAかあ!などなど。
Hさんの解説でご覧いただきしょう。ではHさんお願いします。



開始より0:58(鹿児島市鴨池新町・旧鹿児島空港・通称鴨池空港)

>鴨池の空港は今はないの?



移転して今はこのようになりました。
1957年(昭和32年)7月1日–旧・鹿児島空港(通称・鴨池空港)が開港。 1972年 (昭和47年) 3月末で閉港。

1972年 (昭和47年) 4月1日に(新)鹿児島空港が鹿児島県霧島市に開港。

映画に登場する飛行機は、登録番号「JA6151 (登録番号は他社に売却されても日本ならばそのままの番号です) 」の「東亜航空 (東亜航空→東亜国内航空→日本エアシステム→日本航空)」所有の 「デ・ハビランド・ヘロン(乗客定員14名)」という機体です(こんな小さな飛行機なのに「4発機」です)


*参考URL
http://dansa.minim.ne.jp/His-Civ-Heron-0000Study.htm#_151
http://dansa.minim.ne.jp/a6404-11-ToaAirWays-History.htm

この「東亜航空」ですが、調査していくと1963年10月11日に「福岡ー鹿児島線」の定期免許を取得していることが分かりました。
ANAのホームページにある「年表詳細」を見ると「昭和38年 (1963)10/16福岡-鹿児島、福岡-宮崎、福岡-大村線を東亜航空に移譲」との記載がありました。


*参考URL
https://www.ana.co.jp/group/company/ana/chronology/1960.html



(撮影・原田教隆さん・2019・10・18)

映画内で小泉礼次郎社長(森繁久彌)が、部下の猿丸総務部長(三木のり平)にプリンスホテルの玄関で飛行機の手配を指示するシーンがあります。



小泉社長「猿丸君、飛行機の手配をしてくれるか」

猿丸「これからすぐにですか?」

小泉社長「もちろんです、今日は福岡泊まり、明日は鹿児島だ」



このシーンを観て「なぜ、羽田からANAの直行便(経由便)に乗らないのか?」と思いました。

件のANAのホームページを見ると同年7月にANAは「ビームライン、東京-函館、東京-小松、東京-高松-松山、東京-宮崎-鹿児島の4路線運航開始(F-27使用)」との記述があります。

つまり、ANAを利用すれば福岡に一泊せずに鹿児島に行けたのです。



多分、この作品は「東亜航空」とのタイアップだったので、羽田路線を持っていなかった東亜航空に気を使い、わざわざ「福岡泊まり」の設定にしたのかも知れません(あくまでも想像ですがw)

また、タイアップらしいシーンとして「航空機の飛行シーン」「本物の機内での撮影」があげられます。




(撮影・原田教隆さん・2019・10・18)

↑ 右の格納庫は 2009年の夏頃まであって「南国交通」バスの車庫として使われていたそうです。 ちなみに「南国交通」は、鴨池空港の開業当時から現在まで空港のハンドリング業務を請け負っています。

鹿児島空港のカウンターにはANAやJALの制服を着たお姉さんがいますが、実は南国交通の社員なんです(地方の空港はどこもそうです。宮崎空港は宮崎交通が請け負っていたり) そんな関係で、鴨池空港閉港後の格納庫を南国交通のバスの車庫に使っていたのかも知れません。

また、左側のターミナルビルも数年前(2017年10月頃?)まであったらしいです。



なお、現在ある建物は「ニシムタ スカイマーケット鴨池店(2015年4月オープン)」という 商業施設です。

空港跡地なので「スカイマーケット」を付けたのだと想像します。


*参考 URL
https://nangoku-kotsu.com/about/jigyou/air/#air
https://matikago.exblog.jp/2739879/
https://airfield-search2.blog.ss-blog.jp/kamoike-airfield
https://blogs.yahoo.co.jp/wish98208796ken/10295049.html
https://nishimuta.co.jp/shop/post_23




開始より0:58(鹿児島県鹿児島市甲突・天保山橋)
橋の形状はそのままの様子でした。



(撮影・原田教隆さん・2019・10・18)




(撮影・原田教隆さん・2019・10・18)

>天保山橋で見える水面はどうなっちゃったの?



「天保山橋」付近は「甲突川」の河口付近なので、錦江湾の満潮に影響されます。 なので、1964年公開当時の画像は「満潮時」で水位が高いのではないでしょうか?




開始より0:59(鹿児島県鹿児島市山下町・鹿児島市役所付近)

現在、「蘇鉄の木」が植えてある部分が整備されて「みなと大通り公園」という公園になっています。 1964年公開当時の画像には「堀」のようなものがあります。

これが「名山堀」と言われていた大きな堀の一部(支流?)かと思います(現在は埋め立てられています)

また、現在もこの近くに「名山堀」といわれる飲み屋街が残っています。 


*参考 URL
http://region-kagoshima.net/staff-571
http://region-kagoshima.net/staff-575
http://region-kagoshima.net/staff-579
http://region-kagoshima.net/staff-583
http://region-kagoshima.net/staff-585



(撮影・原田教隆さん・2019・10・18)

↑ 撮影中に散歩中のお爺さんがいたので、スクショしたプリントを見せて「この写真はここですよね? (場所は確定しているのに一応確認のためにw)」と、わざとらしく質問をしたら「ここに私の昔の家が写っているので 間違いないです。芝生の公園より蘇鉄の木が植わっていた時代が良かった」と言っていました。 





(撮影・原田教隆さん・2019・10・18)

↑ 次にカメラがパンしてこのアングルになります。

※1964年公開の画像に写っているバスは「鹿児島市営バス」だそうです。 当時の市営バスは「市役所前からの発着」が基本だったみたいで、画像に写っているバスは「バス停」に停まっているバスみたいです (私の母の情報w)





開始より0:59(鹿児島県鹿児島市城西3丁目・株式会社日本澱粉 現株式会社サナス跡地付近)



(撮影・原田教隆さん・2019・10・18)

↑ 1964年公開の画像の右側には橋が掛かっています。 右側に「石井手用水」という水路があったそうです(柳の木も写っています) 現在は埋められて歩道になっています。

*参考 URL
http://burakago.seesaa.net/article/367421507.html

※2019年画像の真ん中に写っている「薄レンガ色の3階建て」の1階が飲食店で、写真を撮ってい たら店主が「のぼり」をしまう為にお店から出てきました。

ここでも私はすかさず店主に近寄りスクショしたプリントを見せて「この写真はここですよね?(場所は確定しているのに一応確認のためにw)」と、質問をしました。

店主はビックリして「です!です!この建物は私の昔の家です!懐かしかぁ!」と言ってくれました。 プリントを差し上げたらが「もらってよかですか!」と凄く喜んでもらえました。

このような出会いも「東宝映画のロケ地を訪ねる」の楽しみですね!






(撮影・原田教隆さん・2019・10・18)

↑ 事前調査で「実際にある会社」と知りビックリしました。後述の「城山観光ホテル」と同様にタイアップだったのかも知れません。会社名の入ったトラックが工場か出て行くシーンもありますからね。

また、前述の「プリンスホテルの玄関シーン」でも、



小泉社長「あ、富岡君、僕はこれから鹿児島へ出張をするぞ!」

富岡営業部長(加東大介)「日本澱粉へ?」



と、会社名を強調していますw






現在「株式会社 日本澱粉」は「株式会社 サナス」という会社名になり( 2017年4月1日に変更)薩摩酒造や本坊酒造、本坊商店を中核とした本坊グループの主力企業だそうです。


株式会社サナス

>日本澱粉は TSUTAYA かあ!

2019年画像にある(工場跡地にある)「TSUTAYA」「ファミリーマート」は、「株式会社 サナス」の子会社「株式会社 PLACE」が運営しています。
株式会社PLACE
多分、敷地の所有権はそのままなのでしょうね。

*旧鹿児島空港から日本澱粉までの動画




開始より1:02(鹿児島県鹿児島市新照院町・城山観光ホテル 現城山ホテル鹿児島)



(撮影・原田教隆さん・2019・10・19)

>城山観光ホテルは建て替えられた?



↑ 建て替えられています。「2019年撮影のアングル」については「宴会場棟」の入口にいた案内係の方(60 歳代)に確認 をしたので合っていると思います。



※ 画像に写っている棟は、その「宴会場棟」です。なお「城山観光ホテル」の現在の名称は「城山ホテル鹿児島」です。(2018年5月に名称変更) 法人名は「城山観光」のままです。



名称の変更理由はこちら ↓


 https://www.sankei.com/region/news/180114/rgn1801140032-n1.html




(撮影・原田教隆さん・2019・10・19)

↑ 1964年公開のアングルはホテル建物から俯瞰で撮られています。




(撮影・原田教隆さん・2019・10・19)


↑ 1964年公開の画像にある「小山」を少し削って、現ホテルの建物を建設したみたいです。




開始より1:10(鹿児島県鹿児島市新照院町・城山観光ホテル 現城山ホテル鹿児島)



(撮影・原田教隆さん・2019・10・19)

↑ このアングルで確定かと思います。




(撮影・原田教隆さん・2019・10・19)

↑ このアングルで確定かと思います。
※1964年公開の画像の左上にあるのが「城山遊楽園」です。




(撮影・原田教隆さん・2019・10・19)

↑ このアングルで確定かと思います。




(撮影・原田教隆さん・2019・10・19)

↑ このアングルで確定かと思います。




(撮影・原田教隆さん・2019・10・19)

>城山観光ホテルの石碑は?

2019年画像に写っている「石碑」は、これらしいです。↓
https://blog.goo.ne.jp/hurry0192/e/5e1c68b50aaac0bf4ad7cf852d662dee

※ 撮影中、ちょうど良いカメラ位置に「石碑」がありまして「邪魔なところにこんなのを作りやがって!」と思いましたが、こちらが悪いのです。

半世紀以上前の同じ場所に立ってみたい人は普通はいませんよねw




(巡礼後記)



今回の「社長紳士録(鹿児島ロケ地)」巡礼に際して「荻窪東宝」様には、こちらのページで発表することをご提案頂き、「麻布田能久」様には、緻密なロケ地情報のご提供を頂きました。

ご協力頂いたお二方には深く感謝申し上げます。



また「城山ホテル鹿児島」のコンシェルジュのお姉さん。

半世紀以上も前の映画をスクショしたプリントを見せて「これ、今のどのあたりですか?」と、訳の分からない質問をしても嫌な顔を一つもせずに「ホテル50年史」まで見せてくれてありがとうございました。



今後も機会があれば新たな「東宝映画のロケ地を訪ねる」を発表したいと思います。

この度はこちらのページにご訪問を頂き、ありがとうございました。



H




Hさん、ありがとうございました。
簡潔で、分かりやすく、笑えて、心温まる。素晴らしかったです。

(協力・Hさん、麻布田能久さん)



追記

Hさんは気にはなりながら、現状の撮影を断念した場面がある。それは空港から日本澱粉に向かう車中からのカットで、場面の登場順序としては天保山橋場面と鹿児島市役所場面の間に挟まる地点だ。
↓ それがこの場面。
広い道路を進む先に交差点があり、さらにその先には桜島が見える。
大きい交差点なのだが、当時は信号機が付いてないようで、社長が乗った車が走る道路も、交差する道路の車も、遠慮なくビュンビュン突っ込んでくる。




↑ (1974年航空写真 作図・麻布田能久さん)
麻布田能久さんは以前から、ここではないかと推測していたという。市内の「高麗橋交差点」という地点だ。

↓ この地点を現在(2019年)のストリートビューで見るとこう見える。
正面に桜島が見えなければならないはずなのだが建物や並木にさえぎられてよく見えない。しかしよーく見ると建物の隙間から、わずかーに桜島が見えている。方向としては間違っていないし、道幅などからして他に有力な候補地は見当たらない。



高麗橋という橋の近くを通る、この高麗橋交差点でほぼ間違いはないと思う。
しかし麻布田能久さんは「いや、もうちょっとウラを取らないと」と、さすがロケ地特定のオーソリティ、慎重だ。
ではさらに確定材料を探してみる。



↑ 交差点のこちらから見て右角に注目してみた。何か文字らしいものが見える。拡大してよく見ると、うーん「ラサメ〇〇」だろうか。
試しに「鹿児島 ラサメ」で検索してみる。「ヲサメ病院」という病院がある。住所は?「鹿児島市高麗町」! ズバリだ! 「ラ」じゃなくて「ヲ」かあ!


↑ 現在の「ヲサメ病院」

↓ 麻布田能久さんもさらに証拠を探し出してくれた。
「1968年公開の『喜劇 駅前火山』の最後にこんなシーンがありましたので、社長紳士録と比べてみました。高麗橋を渡るシーンです」

「社長紳士録」で映っている鉄筋5階建ての建物と、櫓のような高い建物が一致している。これでさらに間違い無し。
この建物は当時の「鹿児島実践女子高等学校」(現 鹿児島女子短期大学)だそう。
これで決定。
ここは「鹿児島県鹿児島市高麗町・高麗橋交差点」と特定!


(作図・麻布田能久さん)

それから数日後、麻布田能久さんから、さらに裏付ける情報が提出されてきた。
この高麗橋交差点の北東角(ヲサメ病院の向かい側、前出の説明画像で「高麗橋交差点北東角」と示した場所)が、映画の撮影当時、何に使われていたのか。当時の住宅地図には何と記されているのか。その確認を鹿児島県立図書館に依頼していたのだという。
その回答が鹿児島県立図書館から届き、それによると、映画撮影年に近い1965、1968、1969年の住宅地図では「鹿児島事ム機」と記載があるという。↓





いや、すごいな!
ではその「高麗橋交差点北東角」を拡大して見てみる。
矢印部分の看板の文字が、そう言われてみると「鹿児島事務機○○(商会?)」と読めないだろうか。いや読める。
同じ建物で、その右横には「名刺」と看板が出ている。事務機店が名刺製作もしているのは自然だ。決定!決定!

いやあ、面白かった!
この場面、車で交差点を通過するだけの、わずか5秒くらいのワンカット。特定材料が少ないだけに余計に面白かったのだと思う。
Hさん、麻布田能久さん、本当にご苦労様でした。



さらに追記

社長一行が宿泊した「城山観光ホテル」(現 城山ホテル鹿児島)。今回Hさんはここに宿泊されたのです。
ホテルのご厚意により「城山グループ創業50周年記念誌」という本を閲覧させていただいたそうです。
「50周年記念誌」と言うくらいですから、50年にも及ぶ資料が収められているのですが、ここではその中から「社長紳士録」が公開された年代に近い資料写真を見せていただくことにしましょう。



↑ 写真左:「社長紳士録」からホテル正面玄関。  写真右:「50周年記念誌」からほぼ同じアングルの写真。映画公開年から2年後の写真です。右側の方に増築部分が写っています。しかし残念ながら現在はこの建物全体がもうありません。



↑ 「城山観光ホテル」に隣接し、社長たちも訪れた、遊園地「城山遊楽園」(経営はホテルと同系)の招待券。



↑ 「50周年記念誌」に載っている「城山遊楽園」。ティーカップ、観覧車、噴水などが写っています。



↑ 「社長紳士録」に映し出されるそれらのものです。



↑ 「城山遊楽園」内にある回転展望台です。1960年台前半くらいに世界中で「回転レストラン」というものが流行しました。東京では「ホテル・ニューオータニ」とか有楽町の「交通会館」などが有名ですね。「城山遊楽園」のものは展望台であり、レストランではありませんが、この流行を取り入れたものだと思います。



↑ 「社長紳士録」公開2年後のホテル内のラウンジ。いい雰囲気ですねえ!
あー、ここでカクテルとか飲んでみたかったなあ!




以上です。
おかげさまで、すっかり1964年の鹿児島に行った気分になれました。

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