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クレージー作戦 くたばれ!無責任 (1963)監督・坪島孝


鶴亀製菓 に勤務する田中太郎(植木等)は無気力なしょぼくれ社員だ。今日も住んでいる団地から出勤する。
カラー作品のはずなのに白黒画面で始まる。クレージー作品とは思えないしっとりとした音楽。喜劇ではなく、まるで文芸作品でも始まるような雰囲気だ。
団地を写した白黒画面を背景に、横書きされたスタッフや出演者の名前だけがブルーやグリーンに色がついている。なんともかっこいいオープニングだ。








↓ 植木は団地近くの「すみれヶ丘団地」と書かれたバス停からバスに乗ろうとする。満員で乗りそこなってしまうのだが、この時、バスの側面に路線の表示が見える。



↑ 荻窪駅〜八重洲口を結ぶ路線のようだ。経由地を見ると
「荻窪駅ー根岸ー寺田町ー竜成寺前ー原町一丁目ー青山二丁目ー赤坂四丁目ー八重洲口」
と読める。

なに!荻窪! これには思わず反応してしまう。なにしろ「荻窪東宝」というくらいで荻窪に住んでいるのだから。
荻窪には「荻窪団地」という団地がある。もしかしたらここは荻窪団地なのだろうか。そうだとしたら家から歩いて15分ばかりの所だ。

落ち着いて画面に写る状況を見てみる。
まずこのバスは実際に運行されていた路線なのだろうか。
バスは小田急バスのようだ。あとでカラー画面になるので、よりはっきりするが小田急バスに間違いない。
しかし荻窪駅が出発地点のように書いてあるが、小田急バスは荻窪には今も昔も乗り入れていないのだ。
これはやはり撮影用に用意した架空の路線のバスなのだろう。ということはバス停に書かれてある「すみれヶ丘団地」というのも架空だろう。
それにしても路線表に「荻窪駅」と書かれた表示は気にはなる・・。



↑ 植木を残しバスは発車する。この時、バス停近くの広い範囲が映し出される。バスが通る道路は高い位置にあって、団地は低い位置に建っているようだ。しかしこのような高低差のある地形は荻窪団地付近には無い。以前はこんな高低差があったのか? いやそれは絶対にないと思う。

「なんだ、やっぱり荻窪団地でロケしたのではないのか。ではいったいここは何処なのだろう」とビデオを見る度に思っていた。
それからずいぶんと時は経つ・・・・




↑ 植木が出てきた団地が何処なのか分かる日が突然やってきた。

テレビ東京に「モヤモヤさまぁ〜ず2」という番組がある。
「テレビ的な見所が無いマイナーな街には、何があるか分からずモヤモヤする。このモヤモヤを解消すべく現地を訪れる」という番組だ。
その番組に我が荻窪が選ばれた。どうやら荻窪はモヤモヤするらしい。大きなお世話であるが。
彼等は荻窪団地を訪れる。(2010年5月30日放送)

私の目は画面に釘付けになる。
「あれ? この団地の玄関、「くたばれ無責任」で植木等が団地から出てくるシーンの場所に雰囲気が似ている・・・」




↑ しかし玄関が似ている団地は他にいくらでもあるだろう。 確かめるために、あらためて「くたばれ無責任」を見てみる。
写真上は冒頭のタイトル部分の空撮場面。分かりやすいように団地の棟ごとに色分けしてみた。
写真下は映画公開と同年の1963年に撮影された荻窪団地付近の航空写真の一部。同じように色分けしてある。
まったく一致する。赤く塗った棟(荻窪団地3号棟)の折れ曲がったような特徴的な形状は他にはないだろう。
停留所がある場所で地形の高低差がある謎は置いておくとして、少なくともこの映画冒頭に登場する空撮の団地、これは荻窪団地に間違いないことがわかった。

では植木が出てきた玄関も「モヤモヤさまぁ〜ず2」で映し出された玄関と同じだろうか。そうだとしたら、これは荻窪団地の中のどこなのだろう。
実際に確かめるために現地に見に行く。
写真で赤く塗った荻窪団地の巨大な3号棟中央付近の玄関あたりで「モヤモヤさまぁ〜ず2」が撮影されたことがわかった。映画画面と比べてみても各部分が一致する。
やはり植木は荻窪団地から出てきたのだった。

東宝のカメラが荻窪団地で植木を撮影してから47年。テレビ東京のカメラが、奇しくもほとんど同じ場所に据えられたのだ。こんなマイナーでモヤモヤする場所に。

荻窪団地は1958年に竣工。築50年以上が経っている。老朽化が進んでいることから、現在は順次建て直しが進んでいた。しかし現地を見に行った時点では、撮影に使われたこの3号棟はまだそのまま残っていた。少数のようだがまだ入居されている方もいるようだ。しかしまもなく解体されるのだろう。間に合った。あぶない、あぶない。

前置きが長くなってしまった。では撮影地の当時と現在を比較してみることにする。



開始より0:02(東京都杉並区荻窪3丁目・UR都市機構 荻窪団地)




(撮影・2010・06・03)

↑ 荻窪に住んでいて、こんな近くにクレージー作品のロケ地があったとは。分かっていれば真っ先に巡礼しなければならない場所なのに。
この3号棟は単身者向けの間取りだそうで、そのあたりは作品でも忠実な設定になっている。建物の細部や外に立つ掲示板、そのままだ。






(撮影・2010・06・03)

↑ 建物を出て団地の敷地の中を歩く植木。
この場面で建物がわずかな角度で折れ曲がった構造になっているのが分かる。

(撮影・2010・06・03)


 巡礼メモ 1

その後、 2012年に荻窪団地は全て解体され、「シャレール荻窪」という、シャレーた名前のUR都市機構による賃貸住宅として生まれ変わっている。
再び現地に行ってみる。植木が出てきた3号棟が建っていた場所だけは現在「シャレール荻窪」から切り離され、福祉関連の施設になっていた。
下の写真は植木が3号棟の玄関階段を下りる場面を撮影したカメラと、ほぼ同じ場所と思われる位置から撮影したもの。位置は周辺道路や航空写真から判断した。全く違った場所のように見えるが、カメラ位置と撮影方向は大きくは違っていないはずだ。
(2016年記)




(撮影・2016・11・03)




さて、 植木が玄関から出てくるシーンを撮影した場所は荻窪団地だということがわかった。これは間違いない。この眼で見てきた。
では植木が荻窪団地3号棟の玄関を出た直後、画面が切り替わって映るバス停はどこなのだろう。背景に団地が写っている。しかしここは絶対に荻窪団地ではない。



↑ くどいようだがもう一度、植木がバスに置いていかれるこのシーンを見てみる。
(映画画面が白黒だったりカラーだったりするのが不思議に思われるだろうが、主人公のしょぼくれ社員、田中太郎(植木等)がしょぼくれている時は白黒、新開発の「ハッスルコーラ」を飲んで元気が出た時はカラーという演出なのです)

当時の荻窪団地付近にはこんな高低差があったのか? いやいや、そんなはずはない。
どうなってるんだ、いったい!?
バス停シーンは荻窪団地とは全然別の場所にある団地で撮影している! それしか考えられない。
ではここは何処なのか。何か手がかりになるものが画面に写っていないだろうか。
目をこらして探してみる。



↑ 讀賣新聞の販売店が見えて・・ ん? これはどうかな? 電柱の広告に「光永産婦人科」と書かれている。
「光永産婦人科」で検索してみると「光永医院」の名で、場所は「神奈川県川崎市麻生区百合丘」とある。産婦人科、皮膚科を専門としている。
もしかしたらここは百合丘団地か?




↑ もっと何かないか。
植木がバス停に並ぶカットの中に団地の棟の番号が写っている。24号棟と25号棟だ。
ここが百合丘団地なら「喜劇 駅前団地」の時にはいろいろお知恵を拝借したSさんのサイト「1960年代の百合小と百合丘」の中に、当時の百合丘団地の詳しい地図がある。何号棟がどこにあったのかも記されている。百合丘団地も荻窪団地と同様、建て替えられ、現在は「サンラフレ百合ヶ丘」となっていて、建物配置は全く変ってしまっている。当時の団地配置図、これは助かる。
さっそくその地図で当時の24号棟と25号棟の位置を確かめてみる。道路に添って百合丘第一団地の24号棟と25号棟。ストリートビューで見ると高低差! おう!間違いないだろう。

↓ 下図は1961年撮影の航空写真。映画画面で24号棟と25号棟が見える角度からバス停の位置を推定してみた。



その後、かつて百合丘にお住まいだったというK様からメールをいただき、たしかにここは百合丘であるということを教えていただいた。疑問氷解。



開始より0:02(神奈川県川崎市麻生区百合丘2丁目・百合丘第一団地(現サンラフレ百合ヶ丘)付近)




(撮影・2012・04・15)

↑ 植木が荻窪団地を出て、その直後のカットで姿を現す百合丘第一団地の角。






(撮影・2012・04・15)

↑ バス停の行列に並ぶ植木。 作品の左半分に見えるのが百合丘第一団地の26号棟、右にあるのが25号棟。
建替えられた現在の「サンラフレ百合ヶ丘」の建物の配置は「百合丘第一団地」時代のそれとは全く関連がない。






(撮影・2012・04・15)

↑ 作品では「八重洲口」と行き先が表示された架空のバスが来る。
現実にこの場所は小田急バスの路線上にあり、現在のバス停も映画とほぼ同じ位置にある。現在の停留所名は「サンラフレ百合ヶ丘前」ではなく、今でも「第一団地前」だ。

作品にガードレールが写っている。これは人を車からガードする為にあるのではなく、土手になっている団地敷地内に落ちないようにする為に立てられたもののようだ。現在では広い歩道ができて、逆に車道がその分、狭くなったように見える。

赤線で示した位置に当時のガードレールがあったと推測してみたがどうか。歩道中央付近に側溝があるのでそれが根拠。
当時の読売新聞販売店の位置に現在は病院。






(撮影・2012・04・15)

↑ 満員のバスに乗り切れなくて路上に残された植木の俯瞰場面。
バス通りと団地内とは高低差があることがわかる。赤線はやはり当時のガードレールの推定位置。

すでに植木は前年公開の「ニッポン無責任野郎」で自由が丘から成城学園前まで、一瞬にして移動した経歴がある。(「聖地巡礼・ニッポン無責任野郎」参照)
この時の瞬間移動の直線距離は約7キロ弱。しかし今回の荻窪から百合丘までは直線距離、約13キロ。倍近くに記録を伸ばしている。


巡礼メモ 2

「喜劇 駅前団地」(1961) も百合丘が登場、というか百合丘が舞台になっている作品なのだが、画面を見比べていたら面白いことに気がついた。

「喜劇 駅前団地」で孫作(伴淳三郎)がトラクターに荷物を乗せて引っ越しをしているが、トラクターが故障して道路の角で立ち往生するシーンがある。(聖地巡礼「喜劇 駅前団地」参照)
百合丘ということは分かっていたが、ここがどこだか詳細には考えたことはなかった。しかし画面を見ていると背景に写っている団地建物に「28」と書いてあるのに気がついた(赤丸内)。
「28号棟か、植木が並んだバス停に近いな。これはもしかしたら植木がバス停に向かって曲がる角と、孫作がトラクターを停めた角とは同じ角じゃないか?」
と気がつき、地図で確認してみるとやはり同じ角だった。
矢印の色は同じ建物を指している。へえ!世の中、狭いもんだ。





開始より0:24(東京都世田谷区祖師谷3丁目)

ハッスルコーラ の販売がうまく行かず、製品を発案した石黒専務(山茶花究)は課長の大沢丑松(ハナ肇)にその責任を押し付ける。大沢はそれを出世と思い込み、お祝いに妻と食べるケーキを片手に意気揚々と自宅に帰る。
踏切を渡り、線路沿いの坂を下るとすぐに大沢の家。線路を通過する電車は例によって小田急線。

団地の謎が解決し、ここもいつかは突き止めたいな。と思っていた場所。
そんな折に「Sさん」から連絡。ここは小田急線成城学園前駅から新宿方向に向かってすぐの線路の北側だという。「住宅地が線路より一段低くなっているところということで、成城学園前駅前後にあたりをつけて・・」とSさんは言う。こういう土地勘が無いんですよねえ。私には。
ストリートビューで確認してみる。なるほど、小田急線の北側には線路に添った道路があり。そこから斜め左にそれる坂がある。下った坂からさらに低い位置に住宅が並ぶ様子。間違いない。


大沢丑松(ハナ肇)が自宅に帰るシーンの新旧比較動画




(撮影・2013・10・14)

↑ まずハナが背後を走る小田急線から斜めに離れるような角度で坂道を下ってくる。
線路の高さが当時と違うのは、当時地上を走っていた小田急線が、現在では成城学園前駅(この画面で向かって右側)では地下化されているものの、新宿方向(画面左方向)に向かって高架化されているので、この位置ではすでに地上より高い位置に線路が通っているためだ。





(撮影・2013・10・14)

↑ 坂を下りるハナをカメラが追う。ハナの行く先には植え込みを挟んで、せまい角度で道路が分岐しているのが見える。しかしハナはそのどちらにも進まず、すぐ左側にある階段に向かう。





(撮影・2013・10・14)

↑ 階段を数段下り、自宅の玄関に向かうハナ。警報機の画面から後、ここまでワンカット。
現在では大沢課長(ハナ肇)の自宅として撮影された建物はもう存在しない。




(1963年航空写真)

↑ 映画公開と同年、1963年撮影の航空写真を見てみる。 位置、逆L型の建物からして矢印の建物で間違いないと思う。



(1980年のロケ地付近空撮 資料提供「東京「あの場所は?」秘宝館」さん)

↑ こちらは1980年の成城大学付近の俯瞰写真。少なくともこの時点までは大沢課長の家は存在した。

このシーンの始まりで、まず踏切の警報機が赤く点滅しているのが映り、警報機の「カンカン」という音が聞こえる。 次のカットでハナは線路を後にし、坂を下って来る。警報機の「カンカン」という音は最初と同じくらいの大きさで聞こえてくる。ハナが踏切を渡ってからすぐに警報機が鳴り出し、坂を下ってきた、と解釈できる場面だ。(動画参照)
それを裏付けるように上り小田急線車両が通過する。けっこうなスピードが出ている。この場所は成城学園前駅から500メートルばかり新宿方面に進んだ位置なので、この速度は考えられなくはない、とロケ地特定をされたSさんは言う。たしかにそう思える。
ところが1963年の航空写真を見ると、ハナが線路を渡ったであろう位置には踏切が見当たらない。それに渡ったばかりの線路を電車が通過中の場面で、点滅する警報機が直接写っていないにしても、すぐそばにあるはずの夜間の赤い光の点滅が何か、たとえば樹木の葉などに反射しているのが写っていてもいいはずだ、と思う。それも見えない。
ということは、あの警報機、別の場所で撮影したものだろう。というのがSさんも私も一致した意見。
ちなみに1963年の航空写真では、100メートルばかり成城学園前駅寄りに踏切のように見える部分があるにはある。




開始より0:37(東京都練馬区石神井台1丁目・石神井公園)

田中太郎(植木等)が、通勤の時に出会う大東京商事の交換手、前川恵子(浜美枝)と公園でデートをするシーン。
ここはすぐに何処だか分かった。コンクリートの橋に見覚えがある。子供の頃からよく行った練馬区にある石神井(しゃくじい)公園のボート池だ。





(撮影・2007・12・09)

↑ 石神井公園の池には、真ん中あたりに小さな島があり、そこに渡れるように橋が架かっている。植木と浜が乗ったボートがその橋の下をくぐる。

作品中のこのカットは、カメラを乗せたボートが実際に橋の下をくぐって撮影している。
私もそうしなければ忠実なアングルで写真が撮れないのだが、どのボートもカップルや親子連ればかりだ。おっさんが一人でボートに乗る勇気がなかった。この写真は岸から撮ったものである。ああ、巡礼者失格である。





(撮影・2007・12・09)

このカットは池の岸からの撮影のようなので、だいたい近い位置からの撮影ができた。右端に下を通った橋が見える。
↑ おバカなことをしている私を見て、鴨が笑いながら泳いで行った。

この公園には小学生の頃よく行った。まあちょっと遠いが自転車で行ける距離だ。池に住んでいる小さな魚(タナゴとかクチボソとか)を池に沈める罠(セルビンといった)で捕まえる。モーターを仕込んだ模型の船でも遊んだ。今ではそんな遊びは禁止されているだろうが。 この池の底には二度と浮かんで来なかった私の潜水艦が今でもあるはずだ。





丸の内 のオフィス街を行進するクレージーの七人。会社のきたないやり方に嫌気がさし、本社への復帰辞令を蹴って独立を誓うラストシーン。

↓ この行進する正確な位置については麻布田能久さんが詳細に検証していただいた。いやあ、いつものことながらの観察と推理。本当に恐れ入る。







開始より1:31(東京都千代田区丸の内1丁目・丸の内仲通り)




(撮影・2007・11・27)

どの巡礼写真も、作品の一場面を撮影したカメラと、できるだけ同じ位置から撮影しようと心がけているのだが、画面の中に、いくつか昔と変わっていない手がかりが無いとなかなか難しい。上下、左右のカメラの位置は比較的探しやすいのだが、前後の位置を探すのが難しい。ワイド気味、あるいは後に下がりぎみで広い範囲を撮影しておいて、後から切り出せばよいかというと、そうもいかない。遠近感の付き方が違ってくるし、前後にある物の位置関係も変わってしまう。
たとえばこの写真も前後のカメラ位置がどの辺なのか判断しにくかったが、 当時と変わらないシンプルなデザインの街路灯と東京銀行(現三菱東京UFJ銀行)の位置が変わってなければ、だいたいこのあたりで正解だと思う。

(協力・麻布田能久さん)